第2話 前屈みに前向きに②

 ククルを迎え入れて二日が経過していた。


 ジルは何とか彼女とコミュニケーションをとろうと画策するが、無視されるか罵られるばかりでいま一つ進歩しない。優しく接すれば接するほど殻に籠っていく。それも、ただの殻ではなく媚薬付きの棘の殻。


 セラやカリナも部屋を度々訪れては話し相手になろうとしたり一緒に遊ぼうと試みたりするのだが、彼女に対する行為はその全てが不毛であった。


「ふぅ……。どうすれば心を開いてくれますかね~。ククルちゃ、さん……」


 藁で編んだ帽子を被ったセラが、額に浮かぶ珠のような汗を拭いつつポツリと漏らす。彼女が雑草を抜く毎に纏めた黄金の長髪がお茶目に揺れた。セラの言葉にカリナも鼻から溜息を漏らし、口を尖らせる。


 時刻は昼過ぎ。三人は畑の草むしりに勤しんでいた。一応、以前『ホワンダ』で購入した日傘を使ってみてはいるのだが大した効果は得られず、結局日除けの帽子を被っている。


 セラとカリナの愛情の籠った世話の賜物か、今や中庭は立派な野菜や果実の産地となっており、毎日のように収穫で大忙しであった。


 セラの魔法を使えば涼しい中での作業も可能なのだが、下手に温度を弄れば作物に良くない影響を与えるとのセラのお言葉により皆それぞれ作業用の服装で畑仕事に取り組んでいる。


 夏場における中庭での作業に限り、安全性を配慮して男物の丈夫なズボンと薄手の長袖シャツを着させるようにしている。身体のラインがくっきりと浮かび上がり、上着が汗で透けてしまうのだが、それはそれでとジルは許容していた。


「ジル様。何か良い方法はないですかね?」


「う~ん。そうだねぇ……。何かないかねぇ……」


 草むしりをしているフリをしつつ、セラの透けた胸元に視線を送るジル。本人としては横目でこっそり見ているつもりなのだが、傍から見れば凝視であった。


「何か話しかけても舌打ちされたり罵倒されたりでさ。時には無理やり追い出されちゃうしで、交流自体が出来ないんだよね。どうやったら心を開かせられるのやら」


「あれ?そうなんですか?私やカリナちゃんが話しかけた時は、反応は無かったですが黙って私達の話を聞いてくれてましたよ?」


「俺も閉ざしちゃおっかな、心……」


 もしかして俺、嫌われてる?主人のその問いにセラは苦い笑みを浮かべ、カリナは黙々と草の根を引き抜いた。


「取り敢えず最低限の生活はしてくれてるのはありがたいんだけどね。一先ずそこは安心してるよ」


 ククルはこちらの歩み寄りを拒絶する一方、食事、風呂、手洗いといった最低限の暮らしは享受していた。ただし、風呂は一人で入り、食事は自室で。そもそも奴隷として買われておきながらその態度は如何なものかと憤慨するのが普通なのだが、ジルはそれ以上に安堵していた。


「でもやっぱりこのままだとダメだよなぁ。どうしたものか……」


 三人が同時に小さく唸った。その時であった。


「ん!?」」


 屋敷の二階から大きな物音が。悲鳴のような声も混じっていた。ジルが異変に気付き声を発した時には既に土足のまま駆けていた。セラとカリナも靴を脱ぎ棄て後を追う。


 二階に到着したジルが目にしたのは、後襟をナナに咥えられぶら下がったまま藻掻もがくククルの姿であった。


「何だこいつ!おい!バカ!放せ!!!」


 背後のドラゴンに殴る蹴るを繰り返すも拘束が解かれる気配は一向に無い。大声を上げながら抵抗を続ける彼女の眼にはうっすらと涙が浮かんでいた。


 ジルに気付いたククルは怒りと恐怖を目に滲ませ、声を張り上げる。


「お前!こいつを何とかしろ!私に危害を加えたらどうなるか分かってるのか!」


「……ナナ。お前何やってんだ。降ろしなさい」


 少し迷った様子のナナであったが、遅れてやってきたセラとカリナの動揺を見ると渋々と口を開けた。急に解放されたせいで床に倒れ込んだククルは転がるように全員から距離を置き、ジルを睨む。


「そのドラゴンを私に近付けるな!もし次私に何かしてみろ!契約違反にするぞ!お前終わりだぞ!」


 随分と稚拙な脅し文句を鑑みるにククルの恐怖は相当なものだったようだ。声も体も小刻みに震えている。自分より遥かに巨大なドラゴンに捕まってしまえばその反応も当然か。


 よく考えたらその辺のところ。ドラゴンが屋敷の中を当然のように闊歩し、生活に溶け込んでいる状況に配慮できなかったのはジルの落ち度でもあった。


「ナナ!何やってるの!そんなことしちゃ、めっ!」


 珍しく大声で怒鳴るカリナに、ナナも頭を垂れ情けない鳴き声を漏らす。怒ったカリナは罰として草むしりの手伝いを命じた。


 セラはナナのした事の意図が分かっていたらしく、カリナに連れられるナナの角を優しく撫でた。


「申し訳ない。ナナが怖がらせてしまったね。よく言って聞かせるよ」


「別に怖がってはない!いいか!『契約』を忘れるなよ!次何かあったら報告するからな!いいな!」


 ククルはそう吐き捨てると、震える身体を壁に預けながら覚束ない足取りで自分の部屋へと帰っていった。後襟はナナの唾液でべっとりと濡れていた。


「……ナナも、あの子なりに何とかしようとしてくれたんでしょうね。ちょっと乱暴でしたけど」


 「それは分かるけど、余計嫌われた気がするなぁ」


 でも、と、続ける。


「一応、感情を顕わにすることはできるみたいだな。それが確認できただけでもヨシとしよう」


 前向きな主人の言葉にセラも笑顔で首肯する。少しだけククルの部屋に視線を送った後、ジルは自分が土足であることに気付き、土で汚れた靴を脱ぐと申し訳なさそうにセラに渡した。


「自分で掃除するよ」


「いえいえ!私にお任せください!」


 掃除が下手な主人には任せられない。そんな意図は露知らず、ジルはこの場をセラに任せた。


 ――確かにナナのやり方は強引であり、余計ククルの敵愾心を煽る結果となってしまったがこの騒動はジルに一つの決意をさせるに至る。


 ククルの怒りが鎮まるのを待った翌日、朝食が終わった後にジルはククルの部屋を訪れた。


「入るぞ」


 少し語勢が強い。返事を待たず部屋に入ったジルの表情は怒っていたり強張っていたわけではないが、いつもの流れる雲のように穏やかで飄々としたものではなく、感情を窺えない冷たいものであった。


 突然部屋に入って来た男に対しククルは催淫の魔法を放つ。両目が仄かに紫に染まり、間違いなくジルに命中した。


「……?」


 しかし、男に反応は無い。入り口で立ったまま真っすぐ少女を見詰めている。意識するほどでもない違和をククルが抱いてる最中、ジルは小さく鼻息を漏らすと未だに座ったままの彼女へ告げる。


「命令だ。屋敷の清掃をしてもらうよ」


「……」


 肝となったのは、彼女が前日放った『契約』という言葉。


 彼女を預かる上で結ばれる契約の内容は、『貸し出し中の奴隷が度を超えた理不尽な暴行やその他の要因により身体若しくは精神的に看過出来ぬほどの害を及ぼされた場合、莫大な違約金が発生する』というものである。


 あくまでもレンタルであるが故に彼女を護るべく定められた条項であり彼女もこれを盾にしているようだが、逆に付け込む隙でもあった。


 契約の内容には、一般的な奴隷の常識的な範囲で命じられた事には従う義務を奴隷に課すことも定められている。これは本来の奴隷という身分からすればわざわざ定めるまでも無い当たり前の事なのだが、しかしコークが用意した契約書にはそれがきちんと記されていた。


 つまり、彼女が契約を重んじるのであればこの条項にも当然従う必然性があるということである。


「掃除の仕方はセラとカリナに教わるように。その他の家事も同じようにやる事。良いね?」


「……」


 どのみちこのまま引きこもらせても埒が明かないと判断したジルは、とにかく彼女を部屋から出す方法を探した結果がこの『命令』であった。


 ククルは少しばかり目を伏せ考え込む素振りをした後、細い足でふらりと立ち上がる。一瞥することも無く、裸足をひたひたと鳴らしながら無言でジルの隣をすり抜けていった。


 意外にもあっさりと聞き入れたその姿勢にジルは複雑な想いを抱きつつ。意識が薄れる寸前まで止めていた息を吸うような、そんな解放感にも似た大きな咳を漏らすと、彼は大急ぎでトイレへと向かうのであった。








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