第8話 夢が終わる時間

「いや~!最高だったな!」


 身体中にキスマークを付けたロバートが館から少し離れた所を見計らって声を上げた。


「あれぞ男の夢って感じの場所だったな……」


「俺はすっかり疲れたよ……」


 暮れかかった空に両手を伸ばし、疲労の籠った温い息を吐きだす。三階から降りた後もサキュバスを見て回ったのだが、強烈過ぎるフェロモンに長時間当てられたためかジルの精神はすっかり摩耗していた。


 二人の雄は夢のような世界を抜け、現実へと戻ってきていた。


 今から急いで帰ればみんなで夕飯を食べる時間に間に合うだろうか。深い朱に染まる夕日をぼんやりと眺めながらそんな事を考えるジルにロバートが問い掛ける。


「で、どの子にするか決めたのか?」


「ん~……。正直、サキュバスがあそこまで凄いとは思わなかった。本音を言えば欲しいけど、ウチのメンバーの事も考えたら少し保留かな。我が家のパワーバランスが崩れかねない」


「そうか。ま、流石にお前にサキュバスは早過ぎたのかもな。アレだったらサキュバス以外の別の店も紹介してやるよ。なに、『そういう』店はいくらでも知ってるからさ。困った時は俺を頼れよ」


「助かるよ」


「おう。で、モノは相談なんだけどさ」


 頼もしい友人が不意に放った猫撫で声。彼は懐から恐る恐る一枚の紙を取り出すと、それを隣で歩くジルに手渡した。


 それは、請求書。ロバートが一晩サキュバスをレンタルする際に発生する料金が記されていた。


「すまん。商館を紹介したお駄賃だと思って」


「お前なぁ……」


 重い溜息を吐きながらもジルはその請求書を懐に仕舞い、鎧を発動させた。



 ―――――



「「おかえりなさい!」」


「うん、ただいま」


 丸一週間は旅をしていたような疲労を抱え自宅に戻ったジルを出迎えたのは、可愛らしい二人のメイド。


 二人の無事を確認すると同時にジルは鎧を解除し、少し疲れ気味の笑顔をセラとカリナに向ける。


「お食事の用意は出来ていますが、どうされます?」


 ジルが脱いだ靴を丁寧に揃えるカリナの横でセラが問う。


「先に水浴びしてくるよ。汗だくだ。その後にしよう」


「分かりました!直ぐにお水の準備をしますね!」


「早く終わらせてきてくださいね!」


「ん?う、うん……」


 やけにそわそわした様子で急かしてくる二人。おそらく土産話が聞きたくてうずうずしているのだろう。そしてその予想は当たっており、食事の時間になるとカリナが料理に手を着けないまま質問してきた。


「ジル様!どうでしたか?」


 曖昧な問いは堪え切れない欲求の表れか。セラもスープを飲む手を止め蒼い瞳を爛々と輝かせている。その隣ではナナがひたすら肉に齧りついていた。


「正直、凄かった。話には聞いていたけど、あそこまで凄いとは思わなかった。もう何と言うか、凄い、って言葉しか出てこない程、凄かった」


 そしてジルは、商館で体験した出来事を順を追って説明し、セラとカリナは感嘆と相槌を交え真剣に聞き入っていた。彼女達もジルと同じくサキュバスという存在を文献や風の噂でしか聞いたことが無く、妄想で定義されるような存在でしかなかった為、実際に見聞してきた彼の話は知識欲を強烈に潤してくれた。


「とまぁ、そんな具合かな。流石にレンタルする勇気は無かったよ」


 温くなったスープを喋り続けて乾いた喉に流し込む。話が一区切りついたところで漸くセラとカリナも料理に手を着け始めた。


 忙しない食器の音が響く。


「一晩ぐらいならよろしかったのでは?私もサキュバスの魔法を体験してみたかったです」


「女性には効果無いんじゃないの?」


「上位のサキュバスだと同性も異種族も関係無く虜にしてしまうみたいですよ?」


「え!?そうだったのか……。というかそんな強力な魔力を持ったサキュバスなんか迎え入れたら俺死んじゃうのでは……」


「かもしれませんね」


 愉しそうに意地悪な微笑みを浮かべるセラ。サキュバスに少し触られただけで気絶した今日の例を考えると割と冗談では済まされない気がするジルであった。


「それで、ジル様は誰を買われるか決めてるんですか?」


 そう問うカリナの尻尾は座っていても分かるぐらい大きく振れていた。隣でパンを齧っていたセラの少し尖った耳がピクリと揺れる。


 しばらく返答に悩んでいるような主の姿に保留の意を感じ取っていた従者であったが、しかし返って来た言葉はその予感を裏切った。


「これは、って候補は決めてる。一応ね」


「「!!!」」


 息を呑む二人の従者。期待によって前のめりになる身体がジルに圧を与える。サキュバスに会えるという興奮と仲間が増えるという喜びが彼女らの胸中を満たす。が、ジルは慌てて両手を左右に振った。


「まだ、まだ決定じゃないから。これから別の商館にも行く予定だし。何より共に過ごす仲間として迎え入れるんだ。そう簡単には決められないよ。しっかり吟味してからでないと」


 それもそうだな、と、セラとカリナは顔を見合わせ頷く。


「誰が新たに加わるのか、楽しみにしてますね」


「センパイとして家の事はしっかり教えます」


 誰が来ても問題無い。そんな二人の力強い表情にジルも落ち着いた表情で頷いた。


 実は彼の中ではもうその候補を迎え入れる事でほぼ決定していたのだが、軽率と思われたくなかった点と、彼女達の期待に応えられるか不安があったため明言を避けていた。セラもカリナもきっと受け入れてくれるという信頼はあったが、しかしどうしても懸念点はある。だが、この様子なら大丈夫だろう。そう安堵し料理を平らげた。






「ジル様?」


「ん~?」


 食後のコーヒーを飲みながら新聞を読んでいると、ふと、皿を洗うセラが背中で問うた。


「ちなみに、そのサキュバスさん達と私。どちらの方が魅力的でしたか?」


「も、ちろんキミだよ。変な事聞くなぁ」


「そうですか。それは良かったです」


 彼女の顔は見えないが、声は明るかった。


 サキュバスの魅力はあくまでも性的な物であり、女性として、仲間としての魅力に関しては間違いなくセラとカリナが上だ。


 ……と、瞬時に自分に言い聞かせ難は逃れた。それからは特にセラも追求しようとして来なかった為ジルは胸を撫で下ろし活字へと視線を戻す。


 その晩、ジルの風呂の時間に乱入してきたセラとカリナはいつもより積極的に主を攻めた。タオルも身に着けず肌を密着させこれでもかと彼の中に眠る雄をくすぐった。


 嫉妬してくれたことは嬉しかったのだが、その日眠りにつく際のジルを覆う疲労感は戦時中にも引けを取らなかったという。





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