第9話 近付く終焉
悪い夢でも見ている気分だった。
何度メイスを叩き込もうが目の前の化け物は悲鳴も漏らさず、怯むことも無く、何事も無かったかのように立ち塞がってくる。その魔力に侵された赤黒い躰を軟体動物のように不気味に動かしながら、しかし叩き付けられるそれは鉄塊のように硬い。自らの攻撃が一切通用せず相手になぶり殺しにされている現状は、肉体的に疲弊し切ったジルの心をも削り取っていた。
メイスを振るう度に堪らず声が漏れ、血と唾液が散る。エルバンに命中しても僅かにのけぞるのみ。まるで巨大なゴムを殴り続けているかのような徒労感。
どす黒く染まった瞳からは感情と人間性を感じさせず、戦っているモノが果たして本当に生き物なのか確証が持てない。腕や足は太さや長さを自在に変え、関節を無視した不規則な動きでジルを襲う。
「くっ……そ!」
三体の攻撃を一身に受けながらもジルは間隙を突き一体のエルバンの懐に潜り込んだ。狙うはただ一つ。
掠れた咆哮と共に全身が悲鳴を上げる。二本の腕と一本のメイスが怒涛を纏い弧を描いた。空を裂き、地を抉り、そして、エルバンの首を吹き飛ばす。無理矢理引き千切られた頭部は泥土のような血を撒き散らし転がった。
兇暴にエルバン達は微かに怯んだ様相を見せ、ジルは手応えに光を見出す。しかし、その灯は嵐に晒された蝋燭の火の如く一瞬で消し飛んだ。
驚くべきことに、エルバンの首の切断面から数本の太い管のようなモノが伸び始めたかと思うと、それらが飛ばされた頭部目掛けて射出される。
(冗談だろ……)
その動きの意図を察したジルはすかさず阻止しようとするが他の二体のエルバンがそれを許さなかった。肥大し固められた鉄のような拳を何とか防いでいる最中、それは完了する。
吹き飛ばされたエルバンの首は大した時間も掛けず胴体と接着されてしまっていた。
「……」
首を刎ねても絶命に至らないどころかさしたるダメージも無い。流石のジルも絶望感が色濃くなっていた。
おそらくこの化け物共は生物と言うよりは魔力そのものと考えた方が良いだろう。心臓を抉るでもなく頭を潰すでもなく、こいつらの身体に封じられた魔力を上回る魔力を叩き込み活動を停止させるしかない。
物理では無く魔力の勝負に活路を見出そうとするジル。だが、今の疲弊し切ったジルではこの化け物を上回る魔力を捻出する事はかなり厳しい。だとすれば、方法は限られてくる。
(……足りるのか?いや、そんな事を考えている暇は……)
ふと、セラを視界に捉える。よく見えはしなかったが決して楽観的な表情を浮かべていない事だけは容易に予想できた。
これだけ無様を晒せば仕方ないか、と、ジルは苦い奥歯を噛み締める。彼女の為にも生きて帰らなければならない。だが、この化け物を倒したとしてもまだ二人の皇子が控えている。
逡巡の中、不意にセラの姿が影に覆われた。その影が城壁から降りてくる何者かの衣服によるものであると気付くのに時間は掛からなかった。くすんだ白のローブを纏った男は音も無く静かにエルバン達の前に降り立つ。
先程迄灼熱を帯びていた周囲の空気が一気に冷めて行くのを感じた。
「戦闘中、失礼する」
男はフードの中に灰色の瞳を妖しく浮かべ、徐に懐に手を忍ばせる。
この男が何者かは知らないが味方でないことは明白である。何かの武器を予感させたジルは咄嗟に身構えるが、しかし謎の男が取り出したのは布の塊。よく見れば、その布は何かを包んでいるようだ。
「こんな時になんだが、これを返しておこうと思ってな」
男はジルの目の前にそれを放り投げる。
一つ転がる度に布がはだけ、その中身の全貌が明らかになった時には鎧の下のジルの目ははち切れんばかりに見開かれていた。
「これは……」
そこにあったのは、二つの翼。鳥類のではなく、ドラゴン族の翼。それも、まだ小さく、可愛げが有り、そして……。見覚えのある、翼。
「……」
鎧の目元が、紅く煮え滾る。その光景に翼を投げて寄越した男は静かに微笑み、告げた。
「自己紹介が遅れたな。我が名はマルドム。オズガルド第三帝国の……」
瞬時に沸騰したジルの頭はそれ以上の戯言を許す気は無かった。純粋な憤怒を以てマルドムと名乗った男目掛けて踏み込む。割れんばかりに奥歯を噛み締め振るうそれはこの戦いにおいて最高の一撃であった。
「は?」
真っ先に感じ取ったそれは、あまりにも大きすぎる違和感であった。
一身に浴びた、風。そして、清涼。鎧を身に纏っている彼が感じる筈の無いその感覚。その違和が告げる答えに気付いた時には、もう遅かった。
『バオオォォォ!!』
歓喜の咆哮が上がる。
エルバンの巨大な拳が、『生身』のジルの身体を直撃した……。
―――――
「マルドム。奴の鎧を剥がせるか?」
それはソリアからの唐突な質問であり、そしてそれは否定しようのない命令でもあった。隣で城壁から身を乗り出し戦闘の行方を見守っているセラに悟られないようソリアは小声で続ける。
「奴の鎧は恐らく魔力の塊。であれば、お前なら剥がせるのではないかと思ってな。難しいか?」
「恐らく可能かと。しかし、よろしいので?」
「構わぬ」
いい加減レッドデビルの素顔を拝んでおきたい。奴の苦しみもがく様を自分の、そしてエルフの瞳に焼き付けたい。そんな思惑があってのソリアの命であったがマルドムは意に介さず静かに城壁から降り立った。
―――――
「……ぅ……く……」
漏れる声が溢れる血流に遮られる。
身体中の感覚が麻痺している。痛みは無いが力も入らない。半開きの瞼からは穏やかな晴天が覗いていた。
永遠に思える程の時間、しかし、実際には吹き飛ばされて数秒と経たぬ内にジルは立ち上がろうとしていた。僅かに動く度に損傷した臓物は暴れ狂い溢れる血を体外へ逃がそうとする。
歯の隙間から血に混じって息が吐かれる。何とか手放さなかったメイスを杖代わりに立ち上がり、顔を上げる。
メイスを握る手は、肌色であった。
「ほぅ……。セラセレクタの裁判で聞き及んではいたが、成程、確かに秀麗な見た目をしている。私はてっきり、オークのような醜い姿を想像しているものとばかり」
ジルの露になった姿を目にしたマルドムが嘲笑混じりに呟く。城壁の上で眺めていたソリアも愉しそうに口角を吊り上げていた。
レッドデビルと畏れられた者の素顔が端正をそのまま表したような好青年であった事実に見る者は目を丸くした。血に濡れてすっかりどす黒くなってしまった服から覗く手足は筋肉質ではあるが決して太くなく、あの腕であれ程までに巨大なメイスを振り回せる腕力に驚く者も居た。
マルドムの右手には魔力を奪い取る力が備わっており、そしてジルも大まかではあるがそのような能力であろうと予想していた。そのような能力を持つ男の参戦に加え腹部を中心とした全身への壊滅的なダメージは、戦況をほぼ決定付けていた。
ジルは再び魔力を集中させ鎧を生み出す。まだ彼の中に滾る戦意と憤怒の炎は消えていない。しかし、その光景はまるで弄ばれる小動物。負傷により鈍った動きは最早相手の攻撃を躱すことも叶わず、攻撃を防ごうにも身体に力が入らず、頼りの鎧はマルドムによって掻き消されてしまう。
「……ッ」
エルバンに頭を思い切り殴り付けられ倒れ伏す。かろうじて鎧は出していたが最早声も出なかった。
「終わりだな」
倒れたジルに向け吐き捨てるマルドム。
「安心しろ。まだ殺しはしない。貴様にはソリア様の玩具になってもらわねばな」
「……」
マルドムが近付いてくる足音が聞こえる。
立て、立ち上がれ、立って戦え。自分の中で何かがそう叫ぶが、身体は動いてくれない。
「なに、貴様もきっと愉しめる。なんせ、ソリア様に抱かれるあのエルフを特等席で見られるのだからな」
「!!」
ジルの指が地面を抉る。どこに眠っていたのか、身体の奥底から力が漲る。果てしない怒りが彼の頭の中を侵し尽くそうとしていた、その時だった。
「そこまでです!!」
剣のように鋭く凛とした声が戦場に響く。
戦場に居た戦士達は皆、声の方を見上げた。
そこで見たもの。
それは城壁の縁に立つ一人のエルフ。
――そして、天を覆い尽くさんとする巨大な氷の刃であった。
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