第3話 閉じることのない世界の中で③

『オオオオオ!』


 目を見開き唾が飛び散る。勇ましい咆哮が戦場に轟く。死を覚悟した漢の全てを投げ捨てた渾身の一撃が放たれた。しかし、その熱量に反して目の前の悪魔は静かに、そして冷徹にこれを『処理』する。渾身と呼ぶに相応しい力と魔力を込め怒号と共に振り下ろされた戦斧を悪魔は手の甲で軽々と弾き、反対の手で頬を叩く。重武装したオークは周囲に居た戦士を巻き添えにしながら吹き飛んでいった。


 ただひたすら不気味であり、そして強大であった。目の前で猛威を振るう黒い鎧の男は恐ろしく静かに、淡々と命を駆除していく。屈強な戦士達が全ての熱と意志を躍動させ突撃するも、落ち葉の如く散らされた。


 まさに悪魔。その巨大な鎧を朱に染め妖しく光るその姿、まさに『レッドデビル』。自らの力に絶対的な自信を誇っていた戦士達は次第に委縮し、逃げ出す者も居た。


 だがその実、ジルは苦戦を強いられていた。端から見れば余裕のように見えるがその鎧の下では苦しんでいた。一晩中休む間も無く走り続けた事による疲労に加え、躱しきれない攻撃に微量ではあるが確実に削られていく体力と魔力。


 荒れ狂う暴力と頑強な鎧に隠されてはいるが、彼は確かに焦っていた。


 遠く前方を窺えば膨大な敵。魔族の中でも屈指の巨躯を誇るギガースに加え、帝国の魔兵器部隊や魔導部隊、更にはデアナイトまで控えている。こんなところで無駄に浪費してしまってはセラを救い出すどころか生還すらままならない。


 ――そんな焦燥が彼の胸中を掻きまわす最中の出来事であった。


『――!』


「っ!?」


 確かに聞こえた、その声。汗と血と熱に塗れた騒音の中確かに届いた澄んだ声色。物理的に考えれば届く筈の無いその声が、しかし彼の耳には届いていた。


「セラ!」


 声の方へと視線を向ける。そこには、城壁から身を乗り出し自分に声を届けようと必死に喉を震わせるエルフの姿が在った。一瞬安堵で気が緩むが次の瞬間ジルの瞳に映ったのは、髪を鷲掴みにされ城壁から引き剥がされるセラと、此方を眺めほくそ笑むソリアの姿。


 刹那、ジルの中で何かが弾けた。


 声にならない声を張り上げジルは大地を蹴り飛ばす。巻き起こる暴風は周りの戦士達を吹き飛ばし、その巨体は大きく跳ねた。銃弾のようにソリア目掛けて跳んでいくジル。しかし彼の憤怒は憎き皇子に届くことはなかった。


『オオオオオ!』


 ギガースの咆哮が轟く。しまった、そう思った時には既にギガースが手にする超巨大な棍棒の一撃をまともに喰らってしまっていた。自身が付けた勢いに合わせるよう振り抜かれた棍棒の威力は凄まじく、鈍く巨大な音と共にジルは激しく地面に叩き付けられ大地を穿つ。砂ぼこりは城壁よりも高く舞い上がり戦士達の視界を塞いだ。


「……っ!」


 引き裂かれるような激痛が全身を走る。喉の奥からは出口を求める灼熱が込み上げる。


 埋まった地面から即座に立ち上がり態勢を立て直すが、これ好機と跳びかかってきた傭兵が振るう大剣を無防備な後頭部に叩き込まれ一歩前によろめく。その姿に周囲からは歓声が上がった。あのレッドデビルが明らかに弱まっているのを目の当たりにし潰れかけていた戦意が蘇っていた。


 今がチャンスだ。


 どこかで声が上がる。


 一気に叩き込め。


 そう扇動する。


 我先に手柄をと、傭兵達は悪魔目掛けて飛びかかった。


 そして彼らはほぼ同時に絶命し、血塗れの肉塊となって乾いた大地にばら撒かれる。


 血と肉の雨の中に立っていたのは、夜のように黒い巨大なメイスを手にした悪魔であった。


「......もう、知るか」


 呟く。


 かつては仲間だったかもしれない。そんな傭兵達をなるべく殺さずセラを救おうと試みていたため、広範囲に被害が及ぶメイスの使用を避け素手での戦いを自分に強いていた。しかし、欲に塗れた彼等を見て考えを改めた。


 邪魔する奴は皆殺し。


 そう決断した彼の心に砂粒程度の情けすら望むべくもなかった。


 襲い来る者共を薙ぎ払い、前方を塞ぐ者共を叩き潰す。一振りで確実に誰かの命が消し飛ぶ光景に戦慄する戦士達。荒れ狂う嵐のようだった。近付こうにも隙は無く、運良く懐に入れても一瞬で命を奪われる。飛び道具は鎧で弾かれ魔導部隊が放つ魔法もメイスに掻き消される。


 まるで縦横無尽に動き回る一つの要塞。誰も手が付けられず、ただ無闇に命を散らしていく。


『オオオオオオオオ!』


 一体のギガースが動き出した。鈍色の巨体を揺らし悪魔目掛けて駆け寄ると、手にした棍棒を天高く掲げ振り下ろす。


 それに対しジルは真っ向から力勝負に出た。振り下ろされる巨凶に対し両手で握ったメイスを掬うように振り抜く。激しい音は衝撃波となり平原を走り抜け、砕けた棍棒の破片が周囲に降り注いだ。同時に、棍棒を吹き飛ばされたギガースの巨体が揺らぐ。


 その隙をジルは見逃さない。迷い無く足下に詰め寄ると渾身の力を籠め右脚にメイスを叩き込む。激痛に喉を震わせながら背中から倒れ込んだギガースに向けジルは跳び、その巨大な額目掛けメイスを振るった。


 鈍い破砕音と共にギガースの顔は地面にめり込み、数秒の痙攣の後、静止する。二体目のギガースが吠え、棍棒を振るうが今度はそれを躱し、棍棒を足場にしてそのまま腕を伝い淀みない流れでギガースの鼻っ柱にメイスを叩き込んだ。ギガースはくぐもった悲鳴を漏らし、地面に倒れ伏す。


 一分にも満たない時間の中で二体のギガースがやられるという壮絶な光景を前に、傭兵達は脚を震わせた。尚もレッドデビルを取り囲むがしかし誰も襲いかかろうとしない。


 いよいよ帝国の本陣との激突か。誰もがそう思ったその時。戦場に、刃の閃光が瞬いた。


「!?」


 咄嗟にメイスを構え刃を防ぐジル。隙を作ったつもりはなかった。しかし、目の前の兵士は自分の意識を上回る速度で懐に潜り込み、そして剣を突き立てていた。


「よう、相変わらずの暴れっぷりだな、ジル」


 弾ける火花。メイスと剣が競り合う音に混じり、眼前に現れた一人の兵士がそう呟く。


「その声......。ロバート、か?」


 その問いに対し、かつての戦友は静かな笑みで答えた。

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