第2話 秩序の為に

 話はセラが攫われる二日前に遡る。


「出頭しろだと?この俺にか?」


 少しくぐもった野太い作り声。帝国からの来客に対し脅すようにそう言い放ったのは黒き鎧姿の大男、ジルであった。


 来客、と言っても決して好意的なものでは無い。黒地の服の輪郭を赤の線が囲む格式高い者にのみ着用を許された軍服に身を纏った帝国の遣いは、ジルに出頭命令を告げるべく屋敷に訪れていた。


 爽やかな顔立ちに片眼鏡を掛けた軍人の名はハイゼン。この大陸で最も権力を持つオズガルド帝国の法務機関に所属する男である。


「失礼します」


 小さなノックの音と共に清楚なワンピース姿に着替えたセラが応接室に入り、白磁のティーカップに入れた紅茶を二人の前のテーブルに置く。その滑らかな所作と周囲が霞む美しい容姿にハイゼンはしばし呼吸を忘れ見蕩れていたが、ジルの苛立たしそうな咳払いで我に返った。


 ジルの機嫌が悪いのも無理はない。先程迄セラとカリナと三人で仲良くティータイムを楽しんでいた所を邪魔された挙句、出頭命令迄出されているのだ。無機質な鎧の下から刺すような敵意が伝わってくる。


 話の内容はこうだ。


 以前ジルがナナソ草採取のクエストの際に手を掛けた二人の男。彼らは実は帝国貴族の血を引く人間であり、彼らがレッドデビルに殺害されたことに対し帝国の民は憤慨している。無論、この度の件はジルに何一つ責は無い事は重々承知なのだがこれを放置しておくと最悪暴動に繋がりかねない為、形としての裁判を開き国民に納得してもらう必要がある。との事であった。


「被害者は俺なんだぞ」


「解っております。ですが、本来であれば血筋に関係無く殺人は皆等しく裁判にかけられるのが規定でございます。例えそれがあの高名なジル様であっても変わりません。そうでなければ国民に示しがつかないのです。帝国の秩序の為、これは曲げることが出来ないのです」


「それはそっちの都合だろう。俺には関係の無い話だ」


「そうはいきません。ジル様もご存じの通りこの大陸はその殆どがオズガルド帝国の領土でございます。そしてこの屋敷も帝国の領土の中に位置する物。でしたら、きちんと我が国の法に従ってもらわねばなりません。それが出来ないと言うのであればこちらとしては土地と財産没収の上国外追放、という処置を取らざるを得ません」


「……」


 まるで納得できない。ジルはそう主張するかのように大きくため息を吐き出しソファーに深く腰を掛けた。


 彼一人なら歯向かってやっても良かった。が、今は所帯を抱える身である。ジルがこの命令に背くことで従者達にも多大な迷惑が掛かりかねない。今の時代、帝国に逆らうのは得策ではなかった。


「無論、裁判の結果はジル様の無罪で確定しております。あくまでも形だけです」


「ならばその旨を伝えれば良いだけの話じゃないか」


「なりません。規則ですので。一つでも例外を作ってしまえば秩序はいとも容易く崩れ落ちます。これは民の平和と安寧の為なのです。どうかご理解ください」


 眉唾であった。あのハンター二人が本当に王族の人間だったのかも甚だ信頼できることではない。その後、喧々諤々とお互いの言い分を伝え合ったが結局ジルが折れる事となった。帝国側のこじつけのような理由も多々あったが、兎にも角にも帝国に逆らうメリットの無さが彼をその結論に至らせた。


 裁判の日取りは二日後、帝国が指定した町で行われるとの事。また、出頭の際は必ず一人での事。


「手早く終わらせてくれ。俺も暇ではないのだからな」


「ご安心ください。裁判自体は半日とかかりませんので日帰りできる筈です。当日の早朝に迎えを送りますのでそれまでにご準備をお願いいたします」


「そうだな。武具をしっかりと研いでおこう」


「ハハハ……。笑えない冗談ですよ……」


 ハイゼンは温くなった紅茶を一口含むと小さく喉を鳴らす。部屋の隅で様子を窺っていたセラに礼を述べると裁判に関する概要が書かれた紙をジルに渡し、部屋を後にした。


 その瞬間、脚の力が地面に吸い取られたような感覚が襲う。ハイゼンは膝から崩れ落ちそうになるのを身体を壁に預けることで何とか耐えた。分厚い軍服の背中は目視できるほど汗で滲んでいた。


(……何という。まさに悪魔だ)


 これまでに数多くの凶悪犯を見てきた彼だがそのどれもがレッドデビルの足下にも及ばない。面と向かっているだけで心の臓を握られているような威圧感は彼も初めての体験であり、彼が悪魔と呼ばれているのも得心した。


 だが、何にせよ、彼は今回の仕事で一番の難所を成し遂げた。後はマルドムに報告し裁判の準備に取り掛かるだけである。


 帰り際、ふと、エルフの従者の横顔を思い出す。


 そして納得した。ソリア皇子が奪い取ろうとするのも無理はないな、と。



 ――――――――――



「面倒な事になった……」


 鎧の発現を解除したジルはソファーの上でセラに膝枕されながら重い息を吐いた。そんな苦労を背負う主人の頭をセラは優しく撫でる。


「驚きましたね、裁判だなんて……」


「向こうの言い分も分からないでもないけどね。ただ、ちょっと嫌な予感がするんだよな……」


「嫌な予感、ですか?」


「うん。色々とね。まぁ、対策は色々と考えてあるから大丈夫だとは思う、けど」


 頭の上にクエスチョンマークを浮かべるセラを余所に、ジルは何度目か分からない溜息を吐きながら瑞々しく張りのある太ももの谷間へと顔を沈めるのであった。




 ジルの行動は早かった。




 その日の午後、ジルはギルド『猫の手』に駆け込みそこで最も信頼できる人間であるミスラに裁判に関して打ち明けると、腕利きの傭兵を数十人ほど集めて自分が留守の間にセラとカリナ、そしてナナを護衛して欲しいと依頼を出した。


 ミスラは最初驚いていた様子だったがその依頼を快諾。彼女の人選で裁判当日のジルの屋敷に護衛を手配する手筈となった。


 その後、ジルはレムメルの街にてとある魔具を購入し、セラに渡す。それは手で握れば隠れてしまう程度の小さな筒で、冒険者が緊急連絡用に使う物であった。筒の蓋を開けると中から小さな魔力の球が飛び出し、あらかじめ指定していた場所に飛来するといった代物である。


 文字や音声を伝達する機能は無く、主に『火急の用事がある』という旨を伝える為に使われる物ではあるが、それでも有ると無いとでは安心感が大きく違う。もし自分が留守の間に何か事件が起きたり自分の身に危険が迫ったら蓋を開けるように。ジルはセラにそう伝えた。


 そして裁判の日。ミスラはジルの出発前に傭兵を引き連れて屋敷を訪れた。


「おぉ、結構多いな」


「あのレッドデビルの屋敷の護衛だって言ったらめちゃくちゃ応募があってさ。その誰もが戦争やクエストで大きな手柄を立ててる猛者達だから安心できると思うよ?その分、お金も随分かかっております」


 一瞬、引っ掛かった。ギルドのメンバーは一人も居らず、ミスラ以外は皆部外者なのだ。だが、彼女を信用することにした。


「それなら問題無いさ。金には糸目は付けない。みんな、しっかりこの屋敷を護ってくれよ」


 依頼主の豪気な発言に、庭に揃った傭兵達は野太い声で喝采を上げる。その様子を不安そうに眺める影が二つ。


「ジル様……」


セラとカリナは心配していた。それは自分達の事では無く、武器も持たず一人で帝国に連行されていくジルの身を案じての事であった。


 出発間際のジルの腕に、セラが何か言いたそうに手を当てる。カリナも鎧に隠れて見えないジルの顔を心配そうに見上げていた。


「大丈夫。俺は必ず帰ってくる。だから二人とも、ちゃんと俺を出迎えてくれよ?」


 二人の従者は力強く首を縦に振った。


 ジルは迎えの馬車に乗り、裁判が行われる街へと向かう。途中景色を眺めながらセラが作ってくれたサンドイッチを楽しんだりもした。

 

 着いたのは、第二帝国と第三帝国の中間地点に位置する商業と学問が盛んな巨大都市、セラセレクタ。かつてはどこにも属さない独立地域であったが今では帝国の領地と化していた。この街の中心にある巨大な議事堂にて裁判は行われる。


 既に傍聴席は聴衆で溢れ返っており、その殆どが悪魔の断罪を今か今かと待ち侘びている帝国国民であった。


「長旅ご苦労様でした。申し上げにくいのですが、鎧を脱いでいただいてもよろしいでしょうか」


 出迎えたバイゼンが恭しくお辞儀をしながらそう告げる。ジルが言われるがまま鎧を解除すると、その爽やかな風体が意外だったのかバイゼンは一瞬言葉に詰まった。


「ありがとうございます。では、手錠を……」


「何だと?そんなこと聞いていないぞ」


「申し訳ありません、これも規則ですので……。無論、ただの金属製の手錠です。格好だけのものですのでどうかご了承ください」


「……」


 今更ごねても面倒な事になるだけと判断したジルは、差し出された手錠を手に取り針金のように手で何度も曲げ本当にただの鉄であることを確認するとバイゼンに返す。


 使い物にならなくなった手錠を渡されたバイゼンは苦笑を浮かべ新しい手錠を部下に用意させるとそれを悪魔の手首に着けた。恐らくは世界で初めてレッドデビルに手錠をかけた人間になったという事実に若干震えるバイゼンを余所に、ジルは悪びれた様子も無く大きな足取りで法廷へと姿を現す。


 一瞬、聴衆にどよめきが走った。それはバイゼンが初めてレッドデビルの素顔を見た時の反応と似ていた。が、裁判長が彼がレッドデビルであるという旨の発言をするや一瞬で罵声の海へと変わる。そんな中に居てもジルは至って冷静で、裁判長の寂しい頭髪を眺めながらさっさと終われと念じていた。彼にとって罵詈雑言など戦時中に嫌と言う程浴びせられており慣れていた為、心に波風が立つことは特に無かった。


 裁判の内容は驚くほど簡素であった。弁護人も居なければ検察官も居らず、ただ淡々と裁判長が事の成り行き及び事実とそれに準じた判決を述べたのみ。判決は勿論無罪であり、その結果に聴衆の怒りは爆発していたようだったがしかしその後裁判長が説き伏せ事態は沈静した。


「ご苦労様でした」


 裁判を終えたジルを出迎えたバイゼンがジルの手錠の鍵を差し出すが、ジルは力任せに鎖を引き千切り荒々しく手錠を破壊するとそれを手渡す。


「俺は裁判の事を良くし知らないんだが、こんな感じで良いのか?やけにあっさりしているというか……」


「先日も申しましたように聴衆を納得させる為の形だけの裁判ですのでこれで問題ありません」


「納得……していたのだろうか」


「正式な場で結果を提示することが大事なのです」


「なるほどな。しかし、正直、何か良からぬことを企んでいるのではないかと思っていたんだが本当に無罪になるとはな」


「まさか。そのような事は有り得ません。何はともあれ本日は御足労ありがとうございました。帰りの馬車はこちらです。中に酒や料理もご用意してありますので到着までごゆるりとお過ごしください。せめてもの詫びと礼でございます」


「そうか、気遣い感謝する」


 素直に礼を言われ複雑な心境を投影した歪な綻びがバイゼンの顔に浮かぶ。


 こうして、拍子抜けする程何事も無く無事裁判を終え、帰路に着いた。セラに手渡していた魔具の連絡も無く、結局自分の考えすぎだったのだろうかと呆れるジルであった。


 ――が、その楽観は彼が屋敷に戻った際に呆気なく打ち砕かれてしまう。


「……オイ、何があった。説明しろ」


 屋敷に戻り暫く無言だった彼が漸く喉から絞り出したその言葉に、ジルの部屋で涙を流し立ち尽くすミスラは肩を震わせた。


「ご、ごめんな、さい。ごめんさい……」


 返ってくるのは、聞きたくも無い詫びの言葉ばかり。


 そしてその傍らでは、カリナが両翼を失ったナナを抱きしめながら嗚咽を漏らしていた。

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