第3話 襲来

 ジルがセラセレクタへ出向いてから数時間後。セラとカリナ、そしてナナは、一か所に居た方が安全性が増すだろうというミスラの提言でジルの部屋に集まっていた。


 外は傭兵が守りを固めており、何か用があれば扉の前の傭兵に伝え食事や水などを用意してもらう手筈になっている。無論、今日の従者としての仕事は休みだ。


 そしてそんな重苦しい空気の中、二人の従者はどうも腑に落ちない様子で落ち着きがない。トランプで遊んでいる今も心ここにあらずと言った様子だ。


「そんなに心配しなくても大丈夫よ。護りは完璧だから」


「い、いえ。そういうわけではなく……。何故今回はこんなにも厳重に警護されているのでしょうか?いつもジル様がお出かけになる時は我々が留守を預かっているのに……」


「彼なりに何か考えがあるんでじゃないかしら。何か嫌な予感がしたとか。所謂虫の知らせってやつ?そしてそれは多分……。当たってるわね」


「え?それは一体どういう……」


 最初に異変に気付いたのはカリナの足下で寝ていたナナであった。伏していた顔を上げ、琥珀色の瞳を扉に向け続ける。その数秒後、部屋の扉がノックされた。


「……?」


 違和感があった。部屋に誰か来た時はミスラが対応することになっていた筈なのだが、彼女は手札に視線を落としたまま動こうとしない。この状況で誰かが来たというのに扉に顔すら向けていない。仕方なくセラが腰を上げ、扉を開ける。


 そこには、くすんだ白色のローブに身を包んだ見覚えの無い男が佇んでいた。


 そこだけ切り取ったかのように冷たく暗い空気を纏ったその男は、誰の承諾を待つでも無く部屋に踏み入る。


「え?あ、あの?」


 刃の切っ先のように鋭い灰色の瞳を向けられ半歩下がるセラに対し、来訪者は恭しく右手を胸に当て頭を下げた。


「私はオズガルド第三帝国独立参謀部隊隊長のマルドムと申します。ソリア皇子の命によりセラ様をお迎えに上がりました」


「え?……え?」


 唐突に告げられ行き場の無い動揺が彼女を襲う。カリナもその言葉の意味が呑み込めておらず呆然としていたが、足下のナナは低い唸り声を漏らし明確な敵意を貌に浮かべていた。


「な、何を……」


「拒否権はありません。これは皇子直々の御命令です。さぁ、私に着いてきてください」


 そんな事を急に言われてはいそうですかと着いて行くわけがなかった。セラは不審者を見据えながらゆっくりと後ろに下がり、なるべく孤立しないよう努めた。


 救いを求めようとミスラに視線を送るもそれが交差することは無かった。こんな異常事態にも拘らずミスラは未だに自分の手札を見詰めているのだ。これには流石にセラも声を上げる。


「み、ミスラさん?な、なんだか変な人が来ているのですが……」


「……」


 答えは無い。手札を持つ彼女の手は微かに震えていた。セラは仕方なくマルドムと名乗る男に問い掛ける。


「あ、アナタ。何者ですか!一体なんのつもりでこの屋敷に忍び込んだんですか!」


「自己紹介なら先程済ませたつもりですが……。先程も申しましたように、貴女の所有権は本日よりオズガルド第三帝国が皇子ソリア=ベンティス様に移ることとなりました。理解は必要ありません。承諾も無用です。これは絶対的な命令であり、貴女に拒否権は有りません。速やかに御同行願います。抵抗するのであれば力づくでも連行します」


「な、何を勝手な……!」


 余りにも急な展開に理解が追い付かない。だが、これが非常に危うい事態であることは呑み込めていた。セラは咄嗟にカリナの前に立ち塞がり、目の前の男が何か危害を加えようとした時は身を呈しても彼女だけは守ろうと意志を固める。


「貴女は奴隷です。勝手に扱われて当然でしょう?それに、本来ならばソリア様に身請けされるところをレッドデビルが横取りしたに過ぎません。本来の貴女の所有者はソリア様なのです」


「無茶苦茶を言わないでください!勝手に人の屋敷に押し入ってのその無礼、赦されませんよ!」


 青い瞳が歪む。セラにしては珍しく怒りと敵愾心を露にしていたが、しかしマルドムは彼女の張りぼての虚勢を笑い飛ばす。


「貴女に赦してもらう必要など有りません。それに、忍び込んだわけではありません。私は快く迎え入れてもらったのですよ?」


「な!ど、どういう……。よ、傭兵の皆さんは!?彼らがそんなことをするはずが……!」


「残念ですが、彼らは一人残らず私の、いえ、帝国側の人間でしてね。要するにこの屋敷は既に我々の仲間で固めさせていただいている、と言う事なのですよ。そうだろう?ミスラ」


「えっ!?」


 セラと、そしてカリナが声を上げる。その吃驚にミスラは肩を震わせた。


「彼女が全て手引きしてくれていたのですよ。味方だと思っていましたか?残念。彼女も我々の仲間です。レッドデビルが居ない内に貴女を連れ去る為の手駒だったのですよ」


「み、ミスラ、さん……?」


 嘘であってほしい。セラの言葉に籠められた願いも虚しく、ミスラは持っていた手札をテーブルに投げ、小さく息を吐くと、震えた声で「ごめんなさい」と呟いた。その反応に、セラとカリナの顔が青ざめる。


 セラは咄嗟に預かっていた緊急連絡用の魔具をポケットから取り出し筒を開ける。しかし、中から勢い良く飛び出した小さな魔力の塊はマルドムのローブから飛び出た右手に掻き消された。


「なっ!?」


 その驚愕は、あらゆる物質を透過する魔力が止められた事に対してだけではなかった。ローブから伸びたマルドムの手がとても人間の物とは思えない異形の姿であり、皮膚は焼け焦げたように黒く、指の一本一本の長さが普通の人間の倍以上あったのだ。


 魔族。脳裏に浮かんだその名称が、セラの不安と恐怖を加速させる。そして救いの糸が断ち切られた今、最早彼女に手立ては残っていなかった。


 戦うことも考えたが、未だ上手く魔法が使えない状況でカリナとナナを護りながらではあまりにも勝算が無さ過ぎる。それに屋敷の中と外はこの男の息のかかった傭兵で囲まれており逃げる事も難しい。


「困りますなぁ、余計な事をされては……」


 まるで子供の悪戯を諫めるようにマルドムは軽く笑って見せる。


 セラは考えた。ひたすら考えた。この状況を打破しうる可能性を探した。しかし、考えれば考えるほど道は塞がれ行き場を失う。


「大人しく着いて来ていただければ手荒な真似はしません」


 優しい口調でそう告げながら差し出されたマルドムの左手は普通の人間の手であった。そしてその瞬間、一つの影がその手に襲い掛かる。


『ガァウッ!』


 それまで威嚇に徹していたナナが痺れを切らしマルドムに飛びついた。彼の細い腕にナナは自慢の鋭利な牙を突き立てる。だが、腕は傷一つ付くことは無かった。彼の全身を覆う魔力の膜がベムドラゴンの鋭い牙と岩をも砕く咬筋力をいとも容易く防いだのだ。


 そして、悲劇は起きる。


「邪魔だ」


 自分の腕にぶら下がるベムドラゴンに対し、マルドムは右手を払う。その瞬間、ナナの両翼が根元の肉ごと抉り取られた。切断された羽は虚しく床に落ち、切断面から噴き出した夥しい血が床を染め上げる。ナナは白目を剥きながら口を離し、その場に転がり落ちた。


 セラの言葉にならない悲鳴が響く。


「ナナァ!!!」


 刹那、カリナが跳ぶ。踏み込んだ床が破れるほど強靭な跳躍でマルドムに体当たりをしたが、右手で簡単に顔面を掴まれそのまま後頭部から床に叩き付けられた。


 獣のような唸り声を上げながら、自分の顔を掴む手を何とか外そうと両手と尻尾を使いもがくが微動だにしない。少女とは言え獣人である。その人の身を超えた怪力を片手で封じ込めるマルドムの顔は実に静かで冷たかった。


「鬱陶しい。余程命が要らぬと見える」


「待って!!!」


 叫んだのはミスラであった。彼女の制止にマルドムは獣人から手を離し解放する。カリナは鼻血で顔を濡らしながら慌ててナナを抱きかかえセラの後ろまで引き摺ると、自分の服を脱ぎナナの背中を覆う。セラも顔面を蒼白にしながら直ぐにジルの部屋に置いてあったナナソ草の軟膏を取り出し、これでもかと傷口に塗りたくった。


 その様子を見ていたミスラは再度マルドムに告げる。


「約束が違う!!!他の人には手を出さないって条件だったはずよ!!」


「仕方ないだろう。襲われたのは私。単なる正当防衛だ」


「だとしても酷過ぎる!」


「なんだ?私に意見する気か?」


「そ、それは……!!!」


 固く拳を握るもその憤りは行き場を失っており、ミスラの目からは大粒の涙が。口元からは血が流れていた。その光景にセラはミスラが置かれた状況を理解した。そして返り血で紅く染まった身体で立ち上がり、マルドムに告げる。


「分かりました。同行します」


「セラさん!?」


 驚くカリナにセラは大丈夫、と小さく呟いた。


「ただし、条件があります。一つ、これ以上絶対にこの屋敷の人間に手を出さないこと。一つ、ミスラさんのギルドにこれ以上関わらない事。一つ、私が何処にいようとも、私の所有者はこの屋敷の主人、ジル=リカルド様であること。一つ、出発前にナナに、ベムドラゴンに然るべき治療を施す時間を設けること。この四つの条件を呑んでいただけるのであれば命令に応じます」


「よかろう」


 マルドムは驚くほどあっさりと条件を呑んだ。そしてその意味を傍らで聞いていたミスラは理解していた。


「せ、セラさん、ダっ……」


 ミスラは済んでのところで声を殺した。セラは寂しそうな微笑みを浮かべ、唇の前で人差し指を立てていた。これ以上ミスラの立場が危うくならないようにする為、セラは彼女の言葉を遮った。ここはこうするしかない、そんな彼女の悲痛な想いがその笑顔に見え隠れする。


「ミスラさん、ごめんなさい。私のせいで、こんな辛い思いをさせて……」


「そんな……。そんな……!」


 言葉にならなかった。ミスラはただただ涙を流し続けた。


 その後、セラは自室から調合した薬を持ってくるとそれをナナに使用した。出血も止まり一命は取り留めたが意識を失っており、目が覚めたら飲み薬を飲ませるようカリナに伝えておいた。


 治療を終えると再び自室に戻り、服を着替え荷物を整理する。必要最低限の物をカバンに詰めた後、セラは化粧棚に大事に飾ってあったネックレスをカバンに入れた。それは、レムメルの街でジルからプレゼントされた猫の首飾りであった。


「……っ!」


 溢れてくる涙を必死にこらえ、セラは机の引き出しから紙とペンを取り出し心の中で何度もジルに詫びながら書置きを残した。


 そしてセラはマルドムに率いられ、屋敷を後にする。馬車に乗り込む前に、ふと見上げた屋敷の全貌は霞み、やけに遠い存在のように思えてならなかった。


「出発」


 マルドムの号令で傭兵達を引き連れた馬車が動き出す。遠くで自分を呼ぶ声が聞こえた気がしたが、セラは振り返らなかった。

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