第5話 幸せ
「はぁ~……」
とある、良く晴れた日の昼下がり。
「う~ん……」
一人の男が腕を組み、机の上に並べられた紙を眺めていた。
「あ~……」
赤い瞳に文字を映しては、溜息を漏らす。
「ふぅん……」
紙を捲っては鈍い声を絞り出す。
「んぐぐぐぅ~……」
ジルは朝からずっとこの調子で机の上の紙と向き合っていた。その紙に記されているのは、とある奴隷商館で売られている奴隷の肖像画と様々な個人情報。
ジルは悩んでいた。ここ十日ほどずっと悩んでいた。
奴隷ハーレムを創造すると意気込んでいた彼の想いとは裏腹に、最初に迎え入れたセラはまだしも二人目のカリナはまだ幼く、三人、いや、三匹目に至っては人間ですらない。
一応雌のようだがそういう問題ではない。
ハーレムと言うよりサーカスの一座のように見られてもおかしくない。というか事実、レムメルの町ではそういう噂も立っている。
早くも頓挫しかけている計画を立て直すべく、ジルはとある奴隷商館から奴隷のリストをこっそり入手し品定めをしていたのだが、中々決めかねていた。
これといった奴隷が居ないわけではない。寧ろ目移りしてしまっているのだ。まだまだ初心で童貞のこの男にはそのどれもが劣情の対象になってしまう。
ならば気になった奴隷を好きなだけ購入すれば良いではないかと思われるが、しかし彼はそれに踏み切れない理由があった。
「んがあああああ!!!」
遂に何かの糸が切れたのか、ジルは立ち上がると二度三度と腰を捻り、一旦資料を鍵付きの引き出しの中に仕舞い、部屋を出た。
行く当ても無くダラダラと廊下をうろついていると、曲がり角で猛スピードで迫りくるカリナと鉢合わせした。
「わ!ジル様、すいません」
「おぉ。お?」
衝突は避けたものの、いつもと比べて目線の高いカリナに違和感を覚える。見ればナナがカリナを肩車して歩いていた。
「また新しい遊びかい?」
「はい。四つ足歩行だとナナの羽が当たって痛いから、肩車してもらってます」
「そうか。怪我しないように気を付けるんだよ」
「はいっ。ナナ、ゴー」
『ガウ!』
カリナの号令と共にナナは軽快に走り出した。ベムドラゴンの重い体重でもびくともしない屋敷を作ってくれた建築家に心の中で感謝しながら、ジルは中庭に出る。
中庭は更にグレードアップしており、新たに小さな噴水が設置された他、販売用の野菜と薬草の栽培スペースが増えていた。
相変わらず植物の事に関してはからっきしのジルであったが、中庭に出て木陰にあるベンチに座り緑を眺めるのが彼の密かな楽しみになっていた。
「あ、ジル様。お休みですか?」
厚手のワンピース姿で薬草を摘んでいたセラが腕にかけていた籠を置き、服を叩いて埃を落とすと麦わら帽子を胸に抱えて駆け寄ってきた。
太陽よりも眩しく暖かなその笑顔を前に、ジルは静かに微笑み、心の中で喝采を上げる。
「ま、そんなとこかな。セラは農作業?」
「そんなところです!」
にへら、と蕩けた顔を見せる彼女の金の長髪が、吹き抜ける風に靡く。佇む姿は気品が漂い触れえぬ高貴な身分を窺わせるが、しかしいざ話すと子供のように純粋無垢で可愛らしい。
セラと居るだけで誇りと尊厳を得られ、セラと話すと癒しと喜びが得られる。本当に彼女を迎え入れて良かったと、彼はセラを見る度に思うのだ。
「その麦わら帽子、相変わらず似合ってるじゃないか」
「そうですか?えへへ……、ありがとうございます!」
セラの持つ白いリボンの付いた少し大きめの麦わら帽子は、ジルからの贈り物。余程お気に入りなのだろうか、セラは時たまこれを室内でも被っている事がある。
「あんまり無理しないようにね。水分補給はしっかりとするんだよ」
「はい!ありがとうございます!」
小さく腰を落とし首を傾げ微笑むと、セラは再び薬草の収穫に取り掛かった。
「……ふぅ……」
ベンチに深く腰を降ろし、息を吐く。耳を澄ませばセラの鼻歌に混じり、小鳥の囀りとカリナが遊ぶ音が聞こえてくる。何とも平和で静かな昼下がりだ。折角なのでこのまま昼寝でもしようかとベンチの上で身体を擦り動かすジルなのだが、ここでアクシデントが。
「あ!」
何かが割ける小さな音。しかし、その音に気付いた時はもう遅く、ジルのズボンの右側が指三本入る程度縦にぱっくりと破れていた。
「どうしました?」
「いや、ズボンが……」
どうやらベンチからはみ出ていた釘に引っかかったらしい。ジルはすかさずその釘の先端を丸め押し込み処理しておく。
「あら……これは派手に破かれましたね」
「お気に入りの服なんだけどなぁ……。セラ、修繕任せても良いかな?」
「お任せください。丁度切り上げようと思ってたところなので、少々お待ちくださいね?」
「うん」
セラは手際良く収穫した野草を樽に詰め、蓋をし、道具を片付ける。そして少し開けた場所に移動し小さく指を振った。
彼女の周りに柔らかい冷気が立ち込め、彼女の身体を清めていく。
「凄いな、そんなことまで出来るのか」
「水系の魔法をちょっと応用してるんです。冬場は寒くて出来ないんですけどね。あと、乾くのに少し時間が掛かります」
簡単に言っているが、簡単に出来る事ではない。
彼女の魔法がそれほど高度なものであり、また、それが出来るぐらいには勘が戻ってきているという事なのだろう。
事実、彼女は毎日のように魔法の特訓を行い、その成果は目に見えて出てきている。最近では大粒の氷の生成も可能になり、生鮮食材の保存に一役買っていた。
たまに戦いの為の魔法も修練していたようだが、ジルはそれをいつも否定していた。
「さ、では修繕しますので、部屋までお越しください」
「はいはい」
セラの後を追い、彼女の部屋に入る。部屋の中はジルがプレゼントしたアクセサリーや服飾品が所狭しと飾られていた。
「では、脱いでください」
「うん」
裁縫道具を取り出し椅子に座るセラ。促されるままジルはその場でズボンを脱いだ。お互い毎日のようにほぼ全裸を見合っている仲である。流石のジルももうこの程度では動揺しなくなっていた。
脱いだズボンを手渡し、カーペットの上に申し訳無さそうに座る。
「…………」
セラの指が針と糸を操るのを、まるで静謐な演劇を見るかのような目でジルは眺める。半目から覗く蒼い揺らめきに、ほんのりと上がった口角。彼女が裁縫をする姿は実に絵になっていた。
「……そう言えばジル様。何がお悩み事でもあるのですか?今朝から随分と唸られていたようですが」
セラの裁縫姿にすっかり見蕩れてしまっていたジルであったが、不意に問われ我を取り戻す。
「あ、あぁ……。聞かれてたか」
「申し訳ありません。紅茶をお持ちしようとした際に聞こえてしまいまして……。何か私に力になれる事があれば良いのですが」
「う~ん……。そうだなぁ、何て言えば良いか……」
頬を掻き、分かりやすく言葉を濁しながら目を合わせようとしない主人にセラは穏やかな笑みを向ける。自分やカリナの事を気遣って言葉を探しているのだと、彼女は解っていた。
「そのぅ……。あ、新しい奴隷を、迎え入れようかなぁ……。って言ったら?」
「それは……」
彼が奴隷の購入に踏み切れない最大の理由は、彼女達の存在にあった。
セラとカリナは実の姉妹のように仲が良く、関係は非常に良好であり日々の生活にもストレスは無いようである。
しかし、ここで新たな奴隷を迎え入れた場合、その奴隷と彼女達が上手くやっていけるかどうかが不安だったのだ。自分の欲望を優先し彼女達の生活を壊してしまって良いわけが無いとジルは考えていた。
実際、それは主であるジルの勝手なのだが。
そんな彼の彼らしさを汲み取ったセラは相も変わらず温もりを表情に湛え、答える。
「私達の事はお気になさらず、ジル様の思われるとおりになさってください」
と告げた後に、
「私としても、家族が増えるのは嬉しいです」
と付け加えた。その回答にジルの表情は分かりやすく晴れる。
「そ、そうか。なら、本気で考えてみるかなぁ!」
「そう言えば、何故奴隷なのですか?ジル様なら別に奴隷でなくても好きな女性を手に入れたり出来ると思うのです……が……」
と、ここでセラは慌てて口を噤(つぐ)んだ。しかし、ジルは少し悩んだように灰色の頭を掻いた後、口を開いた。
「罪滅ぼし……。敢えて理由を付けるなら、それかなぁ」
「罪滅ぼし……ですか?」
予想だにしなかった言葉に面食らい、針を動かす手が止まるセラ。
「そ、罪滅ぼし。奴隷ってさ、その大半は戦争によって家族や行き場を失った人間が攫われたり売られたりして身を落とすもんなんだよね。彼らは戦争の被害者だ。そして俺は、その戦争の協力者だった」
「そんな!それはジル様の責任ではありません!全ては戦争を起こした者達の……」
「全てじゃない。俺達にも責は有る。それは間違いない。ごく一部の勝手な正義に数多くの人々が巻き込まれたんだ。そして俺も多くの人間を巻き込んできた。だから、なるべく多くの奴隷を迎え入れて、少しでも良い暮らしをさせてあげたくてね。それが俺に出来るせめてもの贖罪なんだよ」
「……そんな想いがあったとは知らず、出過ぎた事を言ってしまいました……。お許しください」
蒼い瞳が潤む。急に重苦しくなった雰囲気にジルが慌てて手を振り否定した。
「いや、いやいや。実際はそんな大袈裟なものじゃないからね?結局のところ俺が趣味で奴隷のハーレムを築き上げたいってだけの話で、今の話はそのほんの一面ってだけだから。可愛い女の子に囲まれて暮らすのが夢だったってだけの俗な話だからね。あ、でも一番はキミだから。これから先どれだけ奴隷が増えても、俺の中での一番はセラだからね?」
「あぇっ?あ、そ、そう、ですか?それは……その……。う、嬉しいです……」
浮気者の常套句のようにも聞こえるが、ジルがそんな器用な男ではないことを理解していたセラは声を上ずらせ、頬を朱に染め、視線を泳がせる。珍しく、ジルがセラを照れさせていた。
「セラは、ここに来て良かったと思ってくれるかい?」
「フフ……。もちろんです。きっと、カリナちゃんもナナちゃんも同じ思いの筈です」
「ナナはちょっと違う気がするけど……。ウン、そっか。そう思ってくれてるなら良いんだ」
彼の晴れ晴れとした表情を見て、セラは再び指を動かし始める。
慈愛に満ち溢れたエルフの姿を眺め、悪魔と呼ばれる男はポツリと呟く。
「……俺は幸せだ。セラと出会えて、本当に幸せだ」
「えっ!?そ、そうですか?そう思っていただけるなら、とても嬉しいですし……。その、あの、私も、ジル様と出会えて本当に幸せだと思ってます……よ?」
「そっか。嬉しいよ。……何があっても、たとえ世界が敵に回ったとしても、俺はキミを護るし、助けるよ。必ずだ」
「も、もうっ。ジル様!あんまりそういうこと言われると照れちゃいますよ!」
「あ、いや、その、なんだ。ご、ごめん……」
ここで漸く自分が口走った言葉に気付き、照れるジル。セラも耳まで真っ赤にして俯きながらも、目にほんのりと暖かい涙を浮かべる。二人は照れくさそうに笑い声を上げた。
穏やかで、平和で、幸せな時間が確かに流れていた。
ジルは彼女を今一度見据え、思う。
何があっても、自分の命に替えても、彼女だけは護り抜いてみせると。必ず彼女を世界一幸せにしてみせると。使命感にも似た想いが彼の中で強く輝いていた。
――そしてその三日後。セラはジルの前から姿を消した。
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