第3話 影
セラの商売が成功を収めた翌日。ジルはギルド『猫の手』に訪れていた。
「あら、いらっしゃい。随分久しぶりね~。その後どう?」
クエストの依頼書を持たずに受付に現れた鎧の大男を前に、名物受付嬢のミスラは羽ペンを置く。
「毎晩家の中で運動会だ。お陰で寝不足だよ」
溜息交じりのその言葉にミスラの八重歯が覗く。
「上手くやってるみたいで安心したわ~。ジルさんったらもう十日以上も姿を見せてくれないんだもん。何かあったのかと心配してたのよ?」
「悪い悪い。二人の精神状態が心配でね。しばらく付きっ切りで居たかったんだ」
「ふふん、相変わらず優しいのね。で、今日はどんな御用で?あ、もしかしてデートのお誘いだったりする?」
小さめの制服から溢れんばかりの果実をこれ見よがしにカウンターに乗せ、からかうミスラ。首から伝う淫靡な汗が深い谷間に沈む。ジルは数秒間その桃源郷を凝視した後にカウンターに肘を突き、囁く。
「前に受けたナナソ草の依頼の件。アイツらは結局帝国絡みだったのか?」
「……それなんだけど、結局分からずじまいね」
浮かべていた笑みが霧散し、緊張を露にするミスラ。周囲に聞き耳を立てている者が居ないか確認した後、手で口を隠しながら続ける。
「確かにベムドラゴンの子供に刺さってた矢は帝国の兵士が使う物だったし、レッドデビルさんの言う通り襲ってきたハンターが帝国で開発中の魔兵器を持っていたとしても、それだけで帝国の意志が介在していたとは断定できないわ。否定できる材料はいくらでもあるけど肯定するには根拠が乏しすぎるわね……」
「そうか。まぁ、そうだよな」
ジルはナナソ草探索クエストの際に生じたイレギュラーに関してミスラに調査依頼を出していた。
クエストには基本イレギュラーが付き物だ。道中モンスターに出くわすこともあれば依頼書に書かれている目的地が違っていたりとそういったトラブルは多い。だから冒険者もそれを承知の上でクエストを受注する為、クエストが終わってからトラブルになることはあまり無い。
しかし、ジルにとって今回に関しては『起きるべくして起きた』イレギュラーな気がしてならなかった。事実、ジル一行がギルドに報告を済ませるのとほぼ同時に派遣された『猫の手』の調査員の報告によると、現場にはジルが手に掛けたハンター二人の姿は無く、更にはベムドラゴンの遺体迄もが掘り起こされ何者かに奪われていたという。
現場もさほど荒れておらず、まるで前もってそれらを運ぶ準備をしていたかのようだったという。
「帝国に狙われるような心当たりが……。いや、そりゃあるよね……」
「いくらでも!」
固い笑みを浮かべるミスラに対し爽やかに言い切って見せるジル。
ジルはレギンドの大戦で帝国側と真っ向から対立していた側の人間である。帝国の兵士も大勢殺してきた。帝国に味方する多くの名士や貴族も叩き潰し、将来を有望されていた若者も容赦無く八つ裂きにしてきた。
それは金の為、生きる為、連合国の為と幾ら言い繕おうとも赦される事ではないとジルは理解しているし赦してもらおうとも思っていない。
「帝国が俺に何かちょっかいかけてくるつもりなら、それ相応の対策と対応を考えないといけないからさ。俺は兎も角、あの二人と一匹を巻き込みたくない」
「う~ん……。自分がレッドデビルって、そういう存在だって解った上で引き取っておきながら巻き込みたくないは無理があるんじゃないかなぁ……」
茶化すような口ぶりのミスラ。
「もちろん覚悟の上でセラとカリナを引き取ったさ。だからって、抵抗や対策をしないのもそれはそれで間違ってるだろう?アイツ等の為に出来る事があるなら何でもしてやらないと。それが主人である俺の責任だ」
「ははは……。ホント、レッドデビルさんってレッドデビルさんっぽくないよね~。あ、コレ誉め言葉ね。取り敢えず、今回の件は帝国側がジルさんに直接何かしようとしたって感じじゃないと思うなぁ。まぁ、何か解ったらまたお知らせするわ」
「あぁ、そうしてくれると助かる」
「あ、ちょっと待って」
ミスラは帰ろうとするジルの手首を咄嗟に掴んだ。手の平から伝う鎧とは思えない人肌程度の温もりに一瞬驚きながらも、彼女は眉を顰め問う。
「もし仮に、仮にだよ?帝国側がレッドデビルさんやセラさんカリナちゃんに手を出してきたらどうするつもりなの?何か考えがあるの?」
自分の手首に巻き付いた自分とは違う綺麗な指を優しく振り解くと、ジルは言った。
「未遂の時点でなら、話し合いでもするさ。望まれるなら、辺境の地や別の大陸に引っ越しても良い。勿論それ相応の条件はふっかけるけどね。ただもし、セラやカリナに手を出して来たら……」
それ以上は言わない。言わないが、ミスラには理解出来ていた。やけに静まり返った空間に鎧の擦れる音が響く。
「……相手は帝国だよ?個人や軍隊じゃない。国家そのものだよ?その大きさは、その恐ろしさは、連合国側で戦ってきたレッドデビルさんが一番よく知ってるんじゃないの?」
その問いに、悪魔は静かに答える。
「負けたのは連合国だ。俺は、負けた覚えはない」
と。
ミスラはそれ以上、男に何も言えなかった。言う権利は、無かった。
―――――
「準備が整いました。何時でも迎え撃てます」
灰色のローブに身を隠した部下のその報告に、男は未だ熱の籠る女体の乳房を片手で乱暴に扱いながら、翠玉の瞳を妖しく輝かせる。
「任せる。失敗は許されぬぞ」
「承知しました」
「フフ……。楽しみだ。存分に壊してやるぞ……」
まだ部下が居るにも関わらず奴隷に嬌声を上げさせる暴君。その劣情は目の前の使い捨ての人形ではなく、いずれ手に入るであろう極上のエルフに対し向けられていた。
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