第6章

第1話 ジル様の嫉妬

「ジル様~。おはようございます、朝ですよ」


「んん……。あい、おはよう……」


 ケモ耳従者の可愛い声で迎える朝。下着姿のジルは重たい瞼を擦りながらベッドから這い出る。主人が布団から降りたのを確認するとカリナはそそくさと毛布とシーツを抱え、傍に居た『ドラゴン』に手渡した。


「ナナ、これお願いね」


『ガウッ!』


 二足歩行で立つ錆色のドラゴンはカリナから布団一式を受け取り、持ちきれない分は鼻先にある小さな角に引っ掛けよたよたと部屋から出て行った。


「……爪や角で破れたりしないの?」


「それは大丈夫です。ちゃんと尖った部分は丸く削ってるので危なくないです」


「あ、そう。なら、良いんだけどね」


 大きな欠伸を一つ。雑に跳ねた灰色の髪を手で無理矢理押さえつけながら小さな歩幅のカリナの後ろを着いていく。


「あ、ジル様。おはようございます。お食事できてますのでどうぞお座りください」


「お座りください」


「ん、ど~も」


 朝からやけに香ばしい匂いが漂う食堂に誘導され、席に着く。セラが皿に食事を盛り、カリナがそれを運びテーブルに並べる。


 セラがエプロンを外す後姿をぼんやり眺めている最中、布団を運び終えたドラゴンがどたどたと大きな足音を響かせ食堂に入ってくると何食わぬ顔で椅子を引き、腰を下ろした。


「はい、ナナちゃんのご飯ですよ~」


『ガウッ!』


 顔より高く積まれた肉の山を前にベムドラゴンの幼生は口から涎を垂らし激しく尻尾を振る。どうやら香ばしい香りの正体はこのこんがり焼けた肉の山だったらしい。こっそりジルがつまみ食いしようとするがその手をベムドラゴンに叩き落された。


『ガウッ!ウルルルル……』


「……一枚ぐらいいいじゃん……」


 ドラゴンに怒られ渋々手を下げる様子を見ていたセラが愉しそうに笑いながら、ジルの分も追加で焼いてくれた。


 全員が席に着き、家主であるジルの『いただきます』と同時に皆食事を始める。『ナナ』と呼ばれるベムドラゴンの子供は真っ先に肉の山に食って掛かり、辺りに肉を散らかすのだがセラもカリナもそれを優しく微笑みながら眺めていた。



 ――あのナナソ草採取クエストから、はや十日が経過していた。



 クエスト終了後にベムドラゴンの幼生の存在をギルドに報告し保護してもらったのは良かったのだが、その翌日、保護施設への輸送中に檻を破壊して脱走してしまい『猫の手』のメンバーだけでなくレムメルの街の衛兵や近隣の自警団も総動員で捜索網が敷かれることとなってしまい、結果的にベムドラゴンは水やり中のセラに屋敷内の庭で発見されギルドに報告された。


 施設の職員に引き渡そうとしてもベムドラゴンはセラとカリナから離れようとせず、職員に対して非常に攻撃的で手が付けられなかった為職員はジルと相談し、結局そのままジルの屋敷を保護施設という事にして引き取ることとなった。


 保護施設の人間からしてもベムドラゴンの幼生を保護していると世間に知られればどんな好奇の視線に晒されるか分からず、最悪の場合ドラゴンを奪おうと強盗が押し入る可能性もあり正直受け入れたくなかったらしい。寧ろレッドデビルが預かっている方が安全なのではないかとミスラから提言もあったようだ。


 だがジルとしては保護施設や職員の為ではなく、ベムドラゴンがセラとカリナに懐いており、また二人もベムドラゴンと共に暮らすことを望んでいた事が引き取る大きな要因となっていた。


 僅かながら援助資金も保護施設から提供されるという事もありジルはこれを承諾。ジルの屋敷に新たな家族が加わることとなった。


「ナナちゃん、美味しかったですか?」


『ガウッ!』


 ナナの汚れた口をセラがハンカチで優しく拭き取る。そのお礼と言わんばかりにナナはセラの頬を優しく舐めた。『ナナ』という名前は「ナナソ草を探しに行ったときに出会ったから」という理由でカリナが命名した。本人も気に入っている様子で二人に名前を呼ばれる度に元気に返事をしている。


「おい、ナナ、ちゃんと手も洗うんだぞ」


『……』


 何故かジルに対しては冷たいナナ。そっぽを向くベムドラゴンを指差しながらセラに視線で訴えかけるジルであったが、セラも困ったようにはにかむしかなかった。



 ―――――



 昼になると従者が屋敷の中を忙しそうに走り回る。


 ただでさえ広い屋敷に従者が二人しか居ない為、いつも掃除は大忙しだ。床を掃き、窓を磨き、部屋を片付け風呂を綺麗にする。以前は掃除だけで一日が終わってしまう事もザラであったが最近はセラとカリナの慣れに加え、新たな家族の協力も加わったことで午前中で掃除を終える事が多くなった。


『ガウッ、ガウッ♪』


 今日もその協力者は愉しそうに鳴きながら四本指の手で器用に箒を操り床を掃いていた。それもカーペットの隙間や階段の隅に溜まったほこりも見逃さない徹底ぶりに、二階から様子を眺めていたジルも不思議そうに唸る。


「ドラゴンって、掃除できるのかい?」


 傍で柱を磨いていたセラに尋ねると、セラは何とも嬉しそうな笑みを浮かべた。


「ビックリですよね!カリナちゃんが教えてあげたらすぐに出来るようになったんですよ!ベムドラゴンは賢いとは聞いていましたが、まさかここまでとは思ってませんでした!水やりも難無くこなせちゃいますし、洗濯物を干すことだってできるんですよ?」


「は~……。普通に椅子に座って飯も食べてるし、何かもう何でもアリって感じなんだな、ベムドラゴンって……」


「それはジル様もそうですよ?私達から見れば何でもアリって感じのお方ですもん。あ、もちろん良い意味でですけどね。頼りにしてます」


「お、おぉ。ありがとう」


 だらしなく鼻の下を伸ばすジルであったが屋敷の中では頼られているのはナナの方である。屋敷内の仕事に関してジルの出番は殆ど無いのだ。だからこうして暇になると掃除している従者の様子を見学しにくる。


 以前はよく手伝っていたのだが、あまりにも掃除が下手過ぎてジルが掃除したところを後にセラがこっそりやり直している事に気付いてからは手を出さなくなっていた。


 下手すると、いや、下手しなくとも人間のジルよりドラゴンのナナの方が掃除に関しては上手であるという悲しい現実がそこにはあった。


『ガウ!ガァ!』


 階段の掃除を終えたナナが二足歩行で階段を登り、上に居たセラに掃除の完了を告げる。


「よくできました!えらいですよ、ナナちゃん」


『ガゥ~』


 セラに角を優しく撫でられうっとりと目を細める。その横でジルが物欲しそうな目でその光景を眺めていたのだが、セラは気付かなかった。



 ―――――



 夜、食事を終えた従者達には就寝までの間、自由時間が与えられる。


 と言ってもジル的には一日中自由時間を与えているつもりなのだが、日中の彼女達は自発的に屋敷内の仕事に取り組んでいるため実質的な自由時間はこの夜の間となる。


 この時間になるとセラとカリナもそれまで着ていたメイド服から淡色の可愛らしい寝間着に着替え、読書や雑談、夜のお菓子タイムを楽しんだりしている。が、最近は彼女達に新たな楽しみが増えたようで、夜になっても屋敷内が賑やかな事が多くなった。


「ナナ、ゴーゴー」


『ガウ~』


 廊下の端に居る四足歩行状態のドラゴン。その背に乗ったカリナが前を指差し指示を出すと、ナナはゆっくりと走り出す。ケモ耳の少女は少し揺れるドラゴンの背にまたがりながら屋敷内を散歩していた。


「ナナ、ダッシュ」


『ガウッ!』


 長い廊下に出たところで、ナナは背に乗る少女を振り落とさない程度の速さで駆け出した。カリナはナナの太い首に手を回しながら無邪気な笑みを浮かべている。


 騒ぎを聞きつけたジルが部屋から顔を出すと目の前をドラゴンライダーが走り去っていった。


「お~い。あまり無茶するなよ~」


「は~い」


 カリナの言葉と姿は廊下を曲がった瞬間に消える。ジルは溜息を吐き出すと、台所に向かおうと扉を閉めると同時に、紅茶とクッキーを盆に乗せたセラと鉢合わせした。ゆったりしたワンピースタイプの寝間着姿の彼女はジルの紅い瞳を見詰め柔らかく微笑む。


「お夜食をお持ちしました」


「お、ありがとう。……今日もずいぶんと賑やかだね」


 セラを部屋に迎え入れる。彼女がジルの前を通過した際に爽やかな石鹸の香りが鼻を擽った。


「ええ。カリナちゃん、すっかりナナちゃんとの遊びを気に入ってしまったみたいでして、少し寂しいです」


 指先で口を覆いくすりと笑う姿は、まるで明るくなった妹への悦びを隠せない姉のよう。


 ジルが紅茶を一口啜り、クッキーを一枚口に放り込んだところでセラも齧った。


「驚くほど馴染んじゃってるよね。ベムドラゴンは人によく慣れるとは聞いていたけどまさかあれ程とは」


「あのクエストで怪我を治してあげたのも影響しているのではないでしょうか?」


「それにしても、だよ。まぁ、上手く回ってるのなら、俺としては何も文句は無いんだけどね。カリナも楽しそうだし、言うこと無しだ」


 言葉とは裏腹にクッキーを矢継ぎ早に口に放り込み荒々しく噛み砕くジル。そんな主人の心境を察したセラは菓子の破片を飲み込むと静かに尋ねる。


「何か、思うところがお有りですか?」


「……いや、別に」


「そうですか?」


「あぁ、無いよ」


 しかし、セラが空のように澄んだ瞳でジルを見詰めながら黙って紅茶を啜っていると、ジルはふと顔を背け、ぽつりと呟いた。


「ちょっと甘やかし過ぎなんじゃないかなぁ~、と……」


 零れた主人の本音にセラは嬉しそうに口元を緩めた。


「と、言いますと?」


 何となく察してはいたが、意地悪くも聞き返す。


「いや、その……。何というかさぁ。みんなべたべたし過ぎと言うか、構い過ぎと言うか」


「ズルい?ですか?」


「そう!それ!ズルいんだよね!あのドラゴン!」


 手を叩き、腕を組み、鼻息を荒くするジル。


「俺は口を拭いてもらったことも頭を撫でてもらったことも、背中に乗ってもらったことも無いのにさぁ!」


「最初の二つは兎も角……。お背中に乗ってもらいたいんです?」


「それぐらいラフに接して欲しいって事!」


「なるほど……」


 つまり、ジルはナナに対して嫉妬しているらしい。それが可愛くて愛おしくて、セラはつい喉を鳴らして笑ってしまう。「なんだよ」と恥ずかしそうに顔を赤らめる主人を前に、セラは謝りながらも笑顔は絶えなかった。


「流石にお背中に乗ることは慎みますが……。これからは私がジル様の食後にお口を拭かせていただき、お仕事が終わり次第頭を撫でさせていただいてもよろしいですか?」


「む!い、いや、それは、その、まだ早いと言うか、別に俺がしてもらいたくて言ったわけじゃなくてだな……」


「なら、止めておきましょうか?」


「た、たまに!たまにお願いするよ!毎日はダメだけど、たまになら!」


「フフ……。承知しました♪」


 まるで子供の用にころころと表情を変え感情を露にするジル。彼を悪魔などと吐き捨てる輩に、この可愛らしい姿を見せてやりたいと強く思うセラであったが、しかし彼の本当の姿を知る数少ない存在になれている優越感も捨て難かった。


「また、家族が増えましたね」


「うん。でも、俺の計画からはどんどん遠ざかってるんだよね」


「私は賑やかで良いと思いますが……。ただ、ナナちゃんのお陰で出費はかなり増えましたね。最近の食費の増え方が尋常じゃないです」


「あ~……。だろうね……」


 ドラゴンはその巨体を維持する為に一日に大量の食糧を必要とする。その為肉を大量に手に入れる必要があるのだが、その際に要する費用は凄まじく、一月分の食費だけで下手すれば安物の馬車が一台買えてしまう。


「ナナ!ごー!」


『ガウ!』


 再び部屋の前を喧騒が通り過ぎていく。楽しそうなカリナの声にジルもセラも口元が緩む。


「このままだと厳しそうかい?」


「現時点ではその心配は無いのですが、もしナナちゃんが大きくなって更に食費が増えればどうなるか分かりませんね……」


「う~ん。『猫の手』のクエストで稼げる額はたかが知れてるし、俺が直接肉用の魔獣を狩りに行っても運送や解体を考えたら効率が悪すぎるだろうしなぁ」


「ですね!それは止めておきましょう!効率が悪すぎます!」


「お、おぉ。だよね……」


 戦時中にジルが魔物を食べていた話を知っていたが為に、セラは全力で彼の言い分に賛同した。下手したら自分達も食べさせられかねないと考えただけで背中に変な汗が滲む。


「これは私が前々から考えていた事なのですか、出来れば私もこの家の為にお金を稼ぎたいと思っていたんです。私自身、今まで直接的にお金を稼いだことが無かったので、出来る事ならこれを機に経験してみたいと思っておりまして……」


 胸に手を当て真剣な面持ちでそう告げる彼女の言葉に嘘偽りは無く、相応の覚悟も感じ取れた。しかし、それを聞いたジルの表情は渋い。


「キミの仕事はこの家に居てくれることだよ、セラ。お金を工面するのは俺の仕事だ」


 自分の奴隷を金儲けの道具に使う主人は少なくない。それどころか、奴隷に出稼ぎに行かせるのはこの世界では当然のように行われている事であり、馬車馬の如く休み無しで働かせる者も居れば中には身体を売らせたりする者も居る。その凄惨さを知っているからこそ、ジルは彼女の提案に対して渋りを見せたのだ。


 が、しかし。ここでジルはとあることに気付く。そしてその気付きは新たな可能性を誘発し、彼の中で一つの計画として芽吹いた。


「……まてよ?いや、あるな。キミにもできそうな仕事が……。これなら多分、安全だしお金も稼げるぞ?」


「え!?ホントですか?して、その仕事とは……?」


 興味半分不安半分といった様子のセラであったが最後まで彼の提案を聞くと、彼女は大いに納得し、喜んでいた。二人はその件をカリナ、そしてナナにも伝え、一同は早速翌日から動き出すこととなる。

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