第9話 英雄の誕生
第三帝国参謀部隊隊長のマルドムは直属の部下からのとある報告を受け、王宮の地下にある兵士用の医務室へと向かっていた。決して清潔とは言えない所々苔の生えた扉を開くと、湿った冷たい空気が肌を撫でる。
石造りの壁に囲まれたその狭い部屋には六つの簡素なベッドが並べられており、その内の一つ、右奥のベッドに一人仰向けで苦悶に喘ぐ上半身裸の男の姿が。
誰か分からぬ程顔に包帯が巻かれており、晒された腹には巨大な青黒い痣が浮かんでいる。ベッドの傍らにはバケツが置かれてあり、一つには黒く固まった血のこびりついた包帯。もう一つには水とタオルが入っていた。
「生きているのか」
「はい。何とか」
ついてきた部下は告げる。
「トールの方は絶命しており遺体の損傷が激しく、特に顔が破損しておりましたので人目に付かない所で処分しておきました」
「ご苦労。武器の回収は」
「滞り無く」
「そうか、ならば良い。下がれ」
上官の命に部下は静かに頭を下げ部屋を後にした。扉の閉まる音が狭い部屋に響いて数秒の後、マルドムは眼下で苦しむ男へ声を掛ける。
「よく還って来たな。ルインズ」
「……そ、その声は、マル、ドム様……?」
起き上がろうとするルインズをマルドムが止める。
「楽にしていろ」
「あぁ、マルドム様、申し訳ありません。素晴らしい魔剣を授かっておきながら、レッドデビルを倒すことは出来ませんでした。予想以上でした。あの男、魔剣をいとも容易く受け止めたのです。信じられない。ですが、次こそは、次こそはあの悪魔を倒して見せます。どうか、どうかもう一度機会を……」
このルインズという男はマルドムの部下であった。ルインズは任務の失敗を詫びると言うよりは、まるで命乞いのように声を震わせていた。何とか取り繕おうと必死に包帯の下で口を動かす部下の肩に、マルドムはそっと手を置く。
「謝る必要は無い。お前は立派に任務を果たしたのだから。ベムドラゴンを討ち取り、新たに創り出した魔剣の試し切りをレッドデビルで行えた。予想以上の成果に私は満足している」
「ほ、本当ですか……!?よ、よかった……」
喜色の籠った声を漏らし、ルインズの強張った身体が弛緩する。
「ただ、最後にもう一つだけお前に残された仕事があってな」
「な、何なりと。全身全れ……い?」
冷たく、ぬるりとした感触がルインズの胸部に刺さる。次の瞬間には彼の口から溢れた血が包帯を染め上げていた。
「な、ぜ……」
「お前の最大の任務は、レッドデビルと戦い、いや、戦わずともよい。ただ、レッドデビルに殺されてくれればよかったのだよ。だから、困るんだ、お前に生きていられると。お前の最後の仕事は、死ぬことだ。ルインズ」
胸に突き刺さった安物の短剣の柄を、マルドムの細長い指がゆっくりと押す。短剣は抵抗無く沈み、更なる吐血を招いた。
「安心しろ。お前は英雄として死ぬのだ。お前はパトロールの途中で非道にもベムドラゴンを狩ろうとするレッドデビルを発見し、勇敢にもドラゴンを助けようと奮戦したが敗れてしまった。まぁ大雑把だが筋書きはそうなるだろうな」
「……っ!」
ルインズがマルドムの腕を掴む。握る手からは様々な感情が伝わってきたがマルドムの灰色の瞳は相変わらず冷たく濁っていた。
「ありがたく思え。身分だけは一丁前で役立たずでクズのお前がこうして私の役に立ち、更には人に尊敬される存在として死ねるのだから。尤も、お前が失敗しても代わりはいくらでも居るのだがな。こちらとしては邪魔者の処分と大義名分の獲得が同時に出来て非常に満足だよ。ありがとう。ルインズ。楽にしたまえ」
「…………」
ルインズの手は力無く零れ落ち、包帯の下の呼吸も止まった。
道具の絶命を確認したマルドムは顔色一つ変えることなく部屋を後にする。そして扉の外で待機していた部下に後の処分を命じた。
「わざわざマルドム様が手を下さずとも良かったのでは?」
「自らが嫌悪を抱く相手を自らの手で殺す以上の快楽はこの世に有りはしない。キミもこの仕事を続けていればいずれ解るだろう」
それだけ言うとマルドムは足早にその場を立ち去った。狂気に満ちた言葉ではあったが、何故かこの男が言うと真っ当な発言に聞こえてしまう。それがこの男の恐ろしい所だ、と、部下はマルドムの立ち去りゆく背を眺めながら敬意にも似た恐怖を抱く。
ルインズの死により、いくつか用意された『エルフ奪還計画』は更なる段階に動き出すこととなるのであった。
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