第4話 ギルドと引き換えに

 

 時は少し遡り、ギルド『猫の手』にて。



「はぁ~……。今日はこれぐらいで終わりかしらね~」


 名物受付嬢であるミスラは凝った肩を雑把に回しながら一息ついていた。


 すっかり日も沈み闇夜が訪れる中、ギルド内の酒場の喧騒は外の明るさに反比例して大きくなっていた。皆、酒を交えながら今日の活動を報告し合ったり、情報を交換したり、他愛ない雑談や昔話に花を咲かせている。そこには性別も歳も、そして種族すら関係無かった。


 ミスラはこの光景を眺めるのが昔から好きだった。今は亡きギルドの創始者である父が毎日のように冒険者達と飲み明かしていた事を、この騒ぎを見る度に思い出す。戦争が終わってからは人も減り、クエストの報酬も少なくなってしまったが昔馴染みはこうしていつも『猫の手』を明るく照らしてくれていた。


 彼らがこのギルドに留まっているのは、少なからずミスラの存在が頭の片隅にあるからなのであろう。それをミスラも解っていた。故に、ミスラは父に代わり何とかギルドを存続させようと身を粉にして働いている。


「…………」


 カウンターに肘を突き、明るい酒場を眠そうな目で眺める。どこか、寂し気に。自分とは縁遠いモノを見るような、そんな目で。


「首尾はどうだ」


「!!」


 低く、掠れた声。不意に目の前を塞ぐ影。灰色のフードに身を包んだ恐らくは男がミスラの居るカウンターの前に現れた。


「案ずるな。お前が変に目立たない限り私が視認されることは無い」


 輝きの無い灰色の瞳がミスラを捉えた。ミスラは生唾を喉に押し込むと、なるべく唇を動かさず俯いたまま歯の隙間から声を漏らす。


「……昨日クエストを紹介したら、今日の朝一に受注していきました。出発は明日の早朝のようです」


「そうか。取り敢えずご苦労と言っておこう」


 それだけ言って立ち去ろうとする男にミスラは慌てて声を掛けた。


「本当に……。本当に、約束の件は守っていただけるんですよね?」


「その問いに、『そうだ』、と答えれば満足なのか?お前はただ黙って私の言う通りに動けば良い。約束の真偽如何に関係無くお前に拒否権は無い」


 ミスラは無言であった。その反応に男は嘲笑を漏らすと、呟く。


「もし反逆を企てようものなら、やってみるといい。貴様から全てを奪い去った上で死よりも辛い苦痛を与え続けてやろう。手始めに、そこらの魔獣の慰み者にしてやろうか」


「……や、約束さえ守ってくださるなら、決してそのような事は……」


「それはお前次第だ」


 そう言い残し、男は姿を消した。その瞬間、酒場の喧騒が再びミスラの耳に飛び込んでくる。しかし、その喧騒は先程よりも更に遠く、霞む。


 ミスラは震える身体を抑え込むように身体を丸め、奥歯を噛み締めた。『仕方ない』という言葉を幾度も頭の中で反芻させる。自分の意志でやっているのではないと自分にひたすら言い聞かせる。そうでもしなければ、彼女の張りつめた精神はいとも容易く破裂してしまうだろう。


 彼女は今、心と体の拠り所である『猫の手』を護る為、一人の男を、その家族を謀略に絡め捕ろうとしていた。


「……」


 何故だろうか。ギルドを、そこに居る皆を護る為にやっている事なのに、どんどん自分から遠ざかっていくように思えてならない。しかしこれ以外に道は無いのだ。逆らう事など出来ない。出来るはずも無い。自分を脅している相手は、帝国なのだから。


(……ジルさん……)


 心の中で、名を呼ぶ。間違っても謝ることなど出来なかった。脅されている事には違いないが、それでも結局は自分の保身と欲望の為に大切な友を売ったのだ。


 彼女はただ祈った。帝国の、マルドムの思惑が外れる事を。今の彼女に出来る事は、もうそれぐらいしか無かった。


 そして今宵も『猫の手』は喧騒と共に夜を過ごすこととなる。そこにミスラの笑顔は、無かった。

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