第3話 悪魔は意外とグルメ

「今日は魔法の勉強をしていました」


 燭台に刺さった五本の蝋燭に灯を点しながら、セラは夕餉の到着を楽しみにしているジルにそう告げた。


 季節は夏を迎え未だに空が明るいが、既に夕飯の時刻である。セラが食卓と食器の支度。カリナが料理を運び、三人揃って夕餉が始まる。その際、勿論他愛ない雑談もするのだが、その日に起きた事、した事を報告する場としても機能していた。


 最初は従者二人の作業内容の確認の為に行っていたのだが、自分に関して不安を抱かせないよう最近ではジルも同じように報告するようにしている。


「どんな感じ?感覚は戻ってきたのかい?」


「あ、勉強していたのは私ではなく、カリナちゃんです」


「カリナが??」


 ジルは旬の山菜と珍しい薬草がふんだんに盛り込まれたサラダにフォークを突き刺しながら、忙しそうにパンを頬張る獣人の娘へ視線を向ける。発言を求められたカリナは齧り取ったパンを慌てて水で流し込むと大きく頷いた。


「はい。今日はセラさんに魔法を教わっていました」


「と言っても、あくまで原理だけです。簡単な魔法に関する知識をカリナちゃんに教えてました」


「ふ~ん。そっか」


 特別気にする様子も無くジルはサラダを頬張る。薬草の独特な苦みが眉を痙攣させた。


 魔法を学ぶことは特に珍しい事ではない。特に女性は男性と比較して魔力を豊富に有している事が多く、魔法を発現しやすい傾向にあるというのが一般的な常識であり、魔法を発現させる才能がある女性であればきちんと学び修練する環境さえあれば誰でも身に着けられる。


 女性の方が魔力が多い理由は諸説あるが、女性は男性と違い体内で命を宿し育むことが出来るからという説が最もポピュラーである。これは、魔法の力の源が精神力と生命力に起因しているが故に唱えられたものであった。


「私もいつかセラさんみたいに氷を操れるような魔法使いになってみたいです」


「カリナちゃんは物覚えが良いですから、頑張ればきっとなれますよ!」


 素直に誉められ素直に喜ぶカリナ。そのやり取りにジルは口を挟まなかったが内心では否定的な意見を抱いていた。


 『魔法』と聞くと火、水、氷、といった所謂自然的な属性を想像しがちだが、しかし生物が使える魔法の殆どは『無』属性なのだ。セラのように属性を有した魔法を使える個体は珍しく、これは修練でどうにかなるものではなく生まれ持った才能と考えられており、更に属性持ちの魔法の才能がある者は幼少期から魔法が使いこなせているケースが殆どである。


 故に、ジルは心の中で首を横に振っていたのだ。


 無論、セラもその事は熟知していたが野暮なことは言わなかった。


 因みに無属性の魔法は魔力を体内で爆発させ身体能力を向上させるか、体外に放出することで物理的な力に変える単純な能力であり。物を壊したり、動かしたりする程度の効果しかない。極めれば己の意志により個性的な能力を発現できるという強みもあるが、しかしそれは極度の鍛錬を耐え抜いた者、若しくは才を有した者にのみ与えられるものであり、基本的には前述の通りである。


 ただ、便利であるのは間違いないので魔法は覚えておいて損は無い。


「そう言えば、ジル様も魔法が使えるんですよね?」


「ん?あぁ……。まぁ、一応……」


 歯切れの悪い返事であったが、しかしそれが逆にセラの好奇心を揺すった。


「あの鎧もジル様の魔法なんですよね?アレは何の属性なのですか?」


「一応無属性だよ?魔力を鎧の形に投影してるだけさ」


「そうだったんですね!でも、あそこまではっきりとした具現化ともなると、やはりかなりの修練を積んだのではないですか?」


「それなりに、ね。でも、多分俺の魔力なんてセラの足元にも及ばないよ。それに使い方も熟知しているわけじゃないし、コントロールも上手に出来てない。俺もセラから魔法の指導を受けたいぐらいだ」


「え?わ、私が、ジル様にですか?そ、それは何と言うか、恐れ多いと言いますか、私などに講師は務まらないかと……」


「セラさんは教え方がとても上手だから大丈夫だと思います……。魔法以外にも文字の読み書きや算数を教えてもらいましたが、とっても分かりやすくて覚えやすいです」


「え?そうなの?」


 ジルの問い掛けに、セラは照れくさそうに頬を掻き小さく頷く。


「一応、簡単な読み書きや数学に、あと、植物や薬に関する知識でしたらお教えすることはできます。昔は学校の先生になりたくて、故郷ではよく子供達に教えてましたので……」


 故郷、単語が出てきた途端、セラの表情が分かり易く曇る。ジルは慌てて声を張り上げた。


「え!?マジ!?そりゃ凄いな!それなら俺にも色々教えてほしいかな!俺、昔から数字には弱くてさ。計算とか殆ど出来ないんだよね~!」


 カリナもセラも心の中で『だろうな』的なニュアンスの感想を抱いた。ジルの普段の買い物の仕方を見ている二人からすれば先程の発言は大いに納得できる。


 彼には金銭感覚が無さ過ぎるのだ。少し大きめのキャンディーをカリナに買ってあげようとした際、それ一枚で高級な毛皮が三枚買える程の価値を有した金貨で支払おうとした時はセラも全力で止めたものである。また、ジルは自分の持つ財産がどれほどあるのかすら理解しておらず、お金の管理は専らセラが行っている現状だ。


 そんな状態だからこそ、セラもカリナもジルに算数を教えるのはアリなのではないかと本気で思ってしまっていた。


「あの……。それでしたら、私で良ければお暇な時にでもお教えしましょうか?」


「本当かい?助かるなぁ!俺、学校行ったことないから、凄く楽しみだよ!」


 無邪気に喜ぶ主人を前にセラも嬉しそうに微笑む。ジルの為に出来る事が増えていく度に、彼女の中で沸々と暖かい何かが湧き上がるのであった。


 その後、栄養満点野菜たっぷりの料理を堪能した三人は食後のデザートを楽しんだ。今日のデザートはパメの実の果汁で作ったゼリー。ジルとセラはコーヒーで、カリナは紅茶がお供だ。


 そしてこのデザートの時間はセラとカリナが一日で一番楽しみにしている時間でもあった。それはデザートが食べられる、からではなく、そのデザートの時間こそがジルの一日の報告の時間でもあったからだ。


 基本的に屋敷の中で平和な一日を過ごす彼女らにとってジルの話す外の世界の物語は非常に刺激的であり、特にクエストの冒険譚が二人にとってお気に入りであった。

 

「今日はシクルフラワーっていう植物のモンスターの駆除依頼があってね……」


 ジルはなるべく二人に楽しんでもらえるよう、時に大袈裟に、時に身振り手振りを添え、時にジョークを混ぜながらその日の出来事を伝える。


 奴隷を気遣い楽しませようとする主人という構図は端から見ればあまりに珍妙な光景であったが、ジル本人もこの状況を楽しんでいた。自分にとってはなんてことの無い作業のような日常がこんなにも人を楽しませることが出来ている。それが、ジルにとっては嬉しかったのかもしれない。


 現に、目の前の従者はデザートと飲み物の存在をすっかり忘れ瞳を輝かせ相槌を踏まえながら食い入るように聞き入っていた。


「とまぁ、そんな具合かな。危険なモンスターだったけど、俺の敵では無かったね!」


「「おぉ~!」」


 小刻みな可愛らしい拍手と共に小さな歓声が上がる。今日の冒険譚もどうやら満足していただけたようだ。ジルも鼻高々である。


「シクルフラワー……。そんな恐ろしいモンスターが居るなんて驚きです」


「辺境にしか生息してない魔物だったんだけど、最近は人間の行動範囲内にも生息地を拡げてきてるんだよね。セラは見たことある?」


「私の元居た里にはそういった報告は有りませんでしたが、他の里では何人かが犠牲になったと聞いたことがあります。火にとても強く、燃やして駆除が出来ないので対処にとても困るとか……」


 その発言に対しジルはテーブルを掌で叩き、セラを何度も指差しながら同意を口にする。


「そうそう!シクルフラワーは本っ当に燃えないんだよ!焚火に突っ込んでも何ともならないんだよ!だから戦争中に捕獲した時も調理に困ってさ。結局、塩かけて生で食べたんだよね~」


「えぇ!食べられるんですか!?」


「傭兵は基本的に何でも食べるよ。特にレギンドの大戦の時はろくに食料が支給されなくてね。食べられそうなものは魔獣でも雑草でも何でも食べてたよ。因みにシクルフラワーは割と歯ごたえあって美味しかったかな。あ、何なら今度持って帰ろうか?食べてみる?」


 主人の提案に従者はただただ苦笑いを浮かべる事しか出来ない。立場上、拒否権など無いからだ。だからこれは彼女達の精一杯の意思表示である。


「大丈夫!大丈夫!食べるのは柔らかい所だけ!流石に鎌とか根とか食べろなんて言わないよ!俺は食べてたけどね!」


 がっはっは。と、明るく笑い飛ばすジルに比例し表情が固く曇っていくセラとカリナ。ここで漸く二人はデザートに手を着けるのだが、それまで食べてきた物の中で一番美味しく感じた。


「待てよ?そうだな、折角だし偶には俺が料理を作ってみようか?『ジルの戦争飯』って感じで。どうかな?」


「いえ!!大丈夫です!!殿方はキッチンに立たない方がよろしいかと存じます!料理は我々女にお任せください!!!」


 ここぞとばかりにセラが声を上げる。カリナも奥歯を噛み締め彼女を応援した。


「えぇ~?考え方が古くないか?今は男もエプロンを巻く時代だぞ?」


「いえ!ジル様はこの屋敷の長であられます!そのような方をキッチンに立たせたとなっては我々従者の面目が立たず、ひいてはジル様の悪評にも繋がりかねません!そのお気持ちは非常に嬉しいのですが、どうか、御自重ください!」


「そ、そう?まぁ、そこまで言うなら、止めとこうか……」


 何時になく迫力のあるセラにジルも折れた。セラは安堵で背中に汗を滲ませ、カリナはテーブルの下で静かに拳を握った。


「あ、そうそう、そう言えば二人にお土産があったんだった」


 お土産。その言葉を耳にしセラもカリナも耳をピクリと揺らす。


 ジルはポケットから折りたたまれた紙を取り出し、広げて二人の前に差し出した。それは、今日のクエストが終わった時にミスラからもらったクエスト依頼書であった。クエスト受注者の欄には既にセラとカリナを含めた三人の名が記されている。


「またミスラから良さげなクエストを教えてもらってさ。薬草を取りに行くだけの簡単な内容なんだけど、良かったら一緒に行くかい?」


「え!?良いんですか!?」


「……!!」


 セラは満面の笑みを浮かべ、カリナは尻尾を忙しなく振っている。予想だにしていなかった『お土産』に場の空気は急にそわそわし出した。


「もちろん。その為にもらってきた依頼だからね。出発は明後日の朝だけど、大丈夫かな?」


「はい!問題ありません!」


「私も大丈夫です……!」


「よし、じゃあ決まりだな。二人とも、準備は怠らないようにね」


 こうして再び、セラとカリナのクエスト同行が決まった。つい先ほど聞かされた冒険譚の興奮がまだ冷めていなかった為その喜びと期待もひとしおである。また三人で冒険できる。その喜びを三人全員が噛み締めていた。







「あ、そうだ。クエストの道中なら俺が料理作っても別に問題無いんじゃないかな?」


「お弁当を作っていきますのでご心配無く!!!」

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