第17話 決着の銃声

「……ぐ……」


 うつ伏せに倒れた大村圭介は、地面を掻いて苦しんでいた。とっさに身体を反らして剣先を躱したため、致命傷には至らなかったのだ。


「圭介……。いま楽にしてやる」


 篠崎は手の刀を逆さまに持ち替えて腰を落とし、力なく地面を掻く幼なじみを見下ろした。


「地獄でまて。いまにおれも行く」


 とどめを刺すために、大村の背中――心の臓の裏側に剣先を当てたその時だった。


「篠崎!」


 城下の方角から板野喜十郎が駆けてきたのである。篠崎は構えていた刀を下ろして駆けてくる男を見た。篠崎の後を追ってきたのは土佐雷蔵ではなかった。土佐は喜十郎に敗れたのだ。


 ――これでおれの運命も決まった。



「板野さん……」

「やめろ、篠崎。やめてくれ。殺さないでくれ!」


 地面に横たわった大村を挟んで篠崎と喜十郎が対峙する。空には冴えざえとした光を放つ月があり、ふたつの影を道に落としていた。


「もう遅いんだ。圭介は死ぬ。おれも青海ここにいたら殺される」

「だれも殺させん!」

「無理だ」


 口元に乾いた微笑を貼りつかせて篠崎はいった。


「家老を殺そうとした……圭介も死ぬ。おれは謀反人だ。反逆者さ! どうして生かしておけるものか」

「篠崎……」

「知ってるか、板野さん。おれを謀反人に仕立て上げたやつのこと――。板野新二郎さ、


 そうだ。これは復讐だ。家を追われ、道場を追われ、藩を追われた板野新二郎が仕掛けた、板野喜十郎と青海藩に対する復讐なのだ。


 そして、いまなら分かる。やつがおれを選んだ理由が。青海藩士で藩政に明るいこと。上士で橘家老と面識があること。斎道場の門下で腕が立つこと。板野喜十郎の身近にいるものであること。己の身の上に鬱屈を抱えていること――おれは選ばれるべくして選ばれた、やつの復讐の駒。


「おれは呪わしい。おれの身の上が。おれの運命が。そして何より、おれの運命を弄ぶお前たち、板野兄弟が!」


 篠崎はしゃにむに喜十郎へ斬りかかった。その太刀筋は、子どもが駄々をこねているかのようにめちゃくちゃで難なくかわされた。


「やめろ、篠崎。戦いたくない」

「ふざけるな!」


 しかし、篠崎がいくら刀を振り回したところで、喜十郎を捉えることはできなかった。徐々に落ち着きを取り戻し、太刀筋がになってきても刀は喜十郎に届かなかった。いくら追っても、踏み込んでも、篠崎の刀は喜十郎の影すら捉えられない。


 ――完璧に見切られている?


 今夜の喜十郎は、道場でさんざん打ち据えてきた男とはまるで違った。篠崎の刀が届かない。強いのである。道場で見せる姿と違い、ほんとうの板野喜十郎は、篠崎が及びもつかない技量を備えた達人だったのだ。


 敵わないかもしれない。

 心に弱気が差したその時に、篠崎の目の端に黒い影が動いた。道の脇、青海川の堤防に植えられている柳の木の陰に溶け込むように身を潜めている黒ずくめの女――伽耶だった。


 橘家老の駕籠を襲撃して以後、姿を見なかったが喜十郎を追って青海橋までやってきていたのだ。その手に月の光を反射して、ちかりと光る黒い鉄の塊が見えた。短銃ピストルだ。


 篠崎とは喜十郎を挟んで向こう側、柳の木の陰からすうっと細い腕が突き出される。その手にははっきりと銃が握られているのが見えた。篠崎と対峙する喜十郎からは死角に当たる。


 喜十郎は気づいていない。


 篠崎にはすべてが見えた。撃て! わずかに揺れていた銃口がぴたりと止まり――火を吹いた。


 ぱん!


 乾いた音と共に篠崎の胸が衝撃に貫かれた。


 ぱん! ぱん! ぱん!


 立て続けに発砲音が鳴り響くと、そのたびに篠崎の体が跳ねた。そして、もんどり打って倒れると土ぼこりを上げて地面に突っ伏した。


 ――ああ! 死にたくない!


 篠崎の叫びは、彼の喉に溢れてきた血のため、言葉になることはなかった。

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