第12話 胸騒ぎ

 頭が痛い。目眩がする。身体から阿片が抜け切っていないのだ。篠崎祐馬はこめかみを強く押さえた。抜けてゆくどころか、阿片を喫いたいという欲望は、篠崎の頭のなかで日を追うごとに強くなっていた。


 ――この「仕事」が終われば。


 自身にあてがわれた暗くて狭い部屋の中で、あの日、痩せた男から渡されたを開いた。何度も読んだのでぼろぼろになった手紙には、橘家老襲撃の手順が事細かく記されていた。


『おまえには案内役を務めてもらう。首尾良く事が運べば借金は棒引き、阿片も好きなだけくれてやる』


 痩せた男はそう約束した。当てにならない約束であることはよく分かっていた。それどころか、「仕事」が終わった後、篠崎の命があるかどうかも保障されているとはいえない。いずれにしろ、将来のことは家老暗殺のことが済んでからの話だ。いまは――。


「やるしかない」


 篠崎に選択肢はないのだ。暗い部屋でひとり、固い唾を呑んで頭を抱えた。


☆☆☆


 城下に秋がやってきた。空は高く、青海川を渡ってくる風は爽やかだ。よい香りがするのは、道場の中庭に植えられている金木犀が花をつけたからだろう。板野喜十郎は困っていた。


「それでなにか分かったのですか」

「それが……」

「なにも分かっていないのですか!」


 絵都から頼まれた時平重吾の探索ははかどっていなかった。


「時平の消息はふっつりと途絶えてしまって」


 喜十郎は、面目なさげにほりほりと頬を掻く。頼りにならない。いや、こういう人だと分かった上で頼み事をした絵都にも落ち度はあるのだが。


 時平について、分かったことは驚くほど少ない。先々代藩主の頃から大坂蔵屋敷に詰めている勘定方の父親の下、大坂で生まれ育った男らしい。年は三十ニ。素行に問題があったため、父の死後、役を解かれて青海に戻ってきたが、青海に知り合いがあるわけでなく、こちらの親族ともうまく折り合えないでいるらしい。


「一人暮らしの屋敷には人の気配がなく。上方へ出奔したのではないかと近所では噂になっています」


 もちろん、一度も本人とは会えていない。


「困りましたね」

「はい」


 絵都には、事態が悪い方向へ進んでいるように思えてならなかった。その後、時平に加えて篠崎祐馬も姿を消したからだ。先ほど、大村圭介が知られてくれたのだ。


「屋敷の者を問いただしたところ、姿が見えなくなってもう五日にもなるそうです」

「五日……」


 絵都がさらに詳しく聞き出そうとすると、大村は十日余り前に篠崎から借金を申し込まれ、三両ほど都合したことを白状した。


「なんのためのお金と言ってましたか」

「それが……、のらりくらりと言い逃れされてしまって」


 あの日、徳應寺そばの路地に消えていった篠崎と時平の背中が、まざまざと絵都の脳裏に蘇ってきた。そして、すぐに喜十郎を呼び出したのである。


「篠崎さんが賭場から出てきたこと、大村さんから借金をしたこと、五日も屋敷へ戻っていないこと――これらがそれぞれ無関係の出来事とは思えません」

「篠崎が賭場の揉め事に巻き込まれていると?」

「むしろ、篠崎さん自身が揉め事の原因である可能性が高いです」

「そんな……」


 篠崎が賭場に出入りしていたことを知った大村は、絵都と喜十郎とのやりとりに言葉を失っていた。そこで、絵都が喜十郎に、篠崎と一緒にいた時平重吾のその後について、確認したが時平の消息も分からなくなっているというのである。


「喜十郎どの」

「はい」

「篠崎さんのこと、調べてください。徳應寺へ行っても、篠崎さんのお屋敷へ行ってでも……胸騒ぎがします」

「……はい」

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