青海剣客伝 ―夏空秋月篇―

藤光

第1話 家老襲撃

 夏が終わろうとしている。

 つい半月ほど前まではいつまでも西の空が明るかったものだが、いまふと気づけばもう足元が暗くなりはじめている。道の脇の草むらからは虫の音も聞こえてきた。城下では暑い日が続いているが、秋はすぐそこまで来ているのだ。


 ――暗くなる前に戻らんとな。


 青海藩筆頭家老、橘厳慎たちばなげんしんは屋敷に向かう足を早めた。


 この春から長崎警備の職を拝命し、現地に赴任していた藩主、宝川義茂たからがわよしもちが一時帰藩してきたのが一昨日。今日、橘は藩の重臣を代表して、藩主が留守中の藩政の進捗しんちょく状況について言上ごんじょうした帰り道である。藩政に熱心な藩主、義茂から受けたいくつか下問に答えるうち、下城の刻限は過ぎてしまっていた。


 藩主からは、用心のため今夜は城内に宿泊するよう勧められたが、橘は丁重に断った。突然筆頭家老が城内に宿泊するとなれば、宿直の家臣たちがその手配に難渋するだろうと考えたからだ。しかし、一歩お城から足を踏み出すと、思いのほか日の沈むのは早かった。


 代々家老を勤めてきた橘の屋敷は大手門とさほど距離があるわけではない。ただ、お城のほりばたにつづく道は暗く、日が落ちると人通りはほとんどない。寂しげなその道を、橘は下男のひとりも連れずぶらぶらと歩いてゆくのだ、藩主ならずとも物騒なことと考えて無理はなかった。


 ――なに。屋敷はすぐそこだ。それにいざとなれば昔は鳴らした剣の腕で……。


 橘には油断があったと言えるだろう。

 練塀ねりべいの向こうに屋敷の屋根が見える距離までやってきたとき、濠ばたに植っている大イチョウの陰から突然、覆面の男数人が道へ飛び出してきた。


「無礼者!」


 橘の一喝にも怯むことなく駆けてくる彼らは一様に無言で、手には抜き身の刀を下げている。夜空の残光を映してぴかりと輝く刀身を目の前に引きつけると襲撃者たちは橘に殺到してきた。

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