第99話 ホスピス

「薫兄様。あと30分ほどで目的地に着きます。」


「わかった。50m手前で微速に修正。」


「わかりました。50m手前で微速に修正します。」


 丈太郎は船舶無線の電話中継サービスを使って、目的地のホスピスに連絡を入れる。


「姫。桟橋で待っていてくれるそうなので、外部スピーカーの時は余所行きで頼む。」


「わかりました。外部スピーカー使用時はキャプテンとお呼びします。」



「目的地まで50m。微速に修正します。」


 病院附属の桟橋で麦わら帽子の女の子が手を振っている。

 丈太郎は外部モニターを呼び出してタッチパネルで女の子をマークした。


「マークした桟橋に前から入るから大回りしてくれ。桟橋に正対したらマークを修正する。」


「わかりました。大回りして桟橋に正対します。」


 桟橋に近付くと手を振っているのは薄水色のワンピースを着た高校生ぐらいの少女だとわかった。

 ナスターシャが桟橋に正対したので丈太郎はモニターでその先端に表示された2つの2次元コードの左側をマークする。


「汎用ロック機構を確認。電源規格も合っています。右舷から接岸します。」


「俺はデッキに出るから後はよろしく。俺がカメラで確認できる範囲に居る間はハッチはロックしないでいい。」


 丈太郎は操舵室から降りて、正面のハッチからデッキに出る。


「出迎えありがとう。茅野さんかな?」


「次女の夏です。本間先生ですね。」


 ナスターシャは接岸中だが丈太郎は桟橋に飛び移った。


「エターナルビューティーの本間です。遠目には水色だと思ったが、涼しげなワンピースだね。」


 夏の着ている薄手のワンピースは水色ではなく白地に無数の水色の蝶がプリントされた柄だった。大きな麦わら帽子にサンダルとすっかり夏のお嬢様だ。


「ありがとうございます。中で両親と姉がお待ちしています。どうぞこちらへ。」



 丈太郎は夏に導かれて全面ガラス張りのロビーに入る。車椅子のお年寄りが何人か桟橋から入ってくる丈太郎を見ていたので会釈した。


「姉はおじいちゃんおばあちゃんのアイドルなんですよ。」


 丈太郎が出張メンテナンスに行く先はほとんどが病院だが特にホスピスが多い。

 ミュージアム以外でナノマシンで処置した少女を維持するためにはナノマシンのための設備の他に、生者の1/20以下のスピードではあるが成長しているらしい彼女らのために、定期メンテナンスで交換するインナーコルセットのデータ取得用のCTスキャナーが最低でも必要だからだ。

 最初のデータを使い回すことも不可能ではないが、そんなところで金をケチる出資者はいない。


 元々病院を持っているなら良いが、新たに病院を作る場合いちばん簡単なのがホスピスなのだ。

 扱う患者は全員が診断済みであり、急患も受け入れないので救急車も来ないために自宅を併設しても騒音に悩まされることがない。

 そんなホスピスだが、一時期から診察時間に限って大切な自分の娘や孫娘を入院患者に公開する施設が増えた。

 どうやらお年寄りたちは彼女たちが自分を導いてくれると思うと死への恐怖が薄れるらしい。面会に来る家族たちの好奇の視線に彼女らの裸体を晒さないために診察室に安置されるので、ドクターは女医ばかりになった。

 彼女らを維持するためだけのためにあまり大きな損失が出なければいいと思って作られたホスピスだが、その好評さゆえに今はオーナーの社交界での評判を高めるために貢献しているらしい。


 ロビーの隣の部屋に映画館のような扉を通って案内されると、そこには茅野夫妻と姫と同じカプセルに入った全裸の夏の姉の秋が居た。


「本間先生。遠いところをありがとうございます。」


 歩み寄ってきた茅野氏と握手する。

 髪に少し白いものが混じった50代の紳士だ。

 筋肉質の体には少しも緩んだところはない。日頃の節制の賜物だろう。


「今回は秋の体をもっと綺麗にしていただけると伺って楽しみにしていました。よろしくお願いします。」


 奥方は一回りぐらい歳下に見える。夏によく似た美人だが、彼女と違って溌剌さがない。

 愛する娘が亡くなった瞬間のままでいつも近くに居るのだから悲しみもそのままなのだろう。

 丈太郎は姫の姿を思い浮かべながら、やはりこの罪深い技術と付き合ってゆくには適度の狂気が必要なのかもしれないと思った。

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