第20話 夜の学校

ああ、どうしよう。


宿題のプリントを学校に忘れたことに気がついたのは、晩御飯を食べた後だった。家に帰ってすぐに始めていれば、もっと早く気がついたのにと後悔してももう遅かった。


夜の6時半。


夕陽が沈み、だんだん空が暗くなってきていたけれど、急いで学校へ向かうことにした。お母さんの呆れた顔にいってきますと投げかけて、学校へ走り出した。もしかしたら、まだ誰か先生が残っているかもしれない。いや、誰か残っていますように。



五分後、息を切らしながら着いた校舎には明かりはついておらず、がっかりしながらも下駄箱へ向かう。だめもとでドアを押したが、しっかりと鍵がかかっていた。


やっぱり、だめかあ。


そう思いながら、もと来た道を引き返そうとしたとき、



「どうしたんだい、こんな時間に」



そう声がして、びっくりして振り返ると、そこには掃除のおじさんが懐中電灯を照らしながら立っていた。



「あの、宿題を机に忘れてきちゃって、とりにいきたいんです!」



事の次第を説明すると、おじさんは「そうかそうかそりゃ仕方ないな」といいながら鍵をあけて学校の中にいれてくれた。仄暗い廊下を、懐中電灯の明かりで照らしてもらいながら教室へ向かう。鍵の開いた教室に入り、自分の机を探ると、机の奥で少しくしゃくしゃになっている宿題のプリントが見つかった。


良かった。

これで先生に怒られなくてすむ。




 「おじさん、あったぁ」




そういって振り返ったとき、電灯の明かりがゆらりと、赤く揺れた。いや、違う。よくみるとそれは電灯の明かりではなく、赤い人魂だった。



なんで、こんなところに、あんなものが。



頭が混乱し、ビックリして声が出せず、そのまま腰を抜かしてその場にへたり込んでしまった。暗い教室の中では、机や椅子がどこにあるのかも分かりづらい。とにかく人魂から遠ざかろうと這うように後ずさろうとすると、その瞬間、ボンと音を立てて、教室内に沢山の人魂がともった。


真っ赤に揺らめく明かりに照らされて、人影が佇んでいた。


助けを求めようと見つめた先に居たのは、赤いスカートの女の子だった。おかっぱ頭に、白いブラウス。


「トイレの花子さん」


頭に一瞬で名前が浮かんだ。その横には、音楽室に飾ってあるはずの外国の音楽家の絵が宙に浮いていた。描かれた音楽家は、怒ったような、不思議そうな複雑な顔で腕組みをして私を見下ろしている。他にも、赤いマントや、理科室の骸骨や、首だけの男の子や…沢山の、人間ではないものが私を取り囲んでいた。



こわい、いやだ、こわい。



いやでも眼に入ってくるその光景がぐるぐると頭の中で回り、眼が潤んでいく。今にも大声を上げそうになったとき、



「はいはい、みんな席についてー」


そういって、黒いコート姿の男の人が教室に入ってきた。


「先生、人間が混ざってます。」


トイレの花子さんがすぐに声をあげた。その声は思ったよりも、ずっと大人っぽくて、少し落ち着く声だった。



「おや、めずらしい。」


先生と呼ばれた人は教室を見渡しながら「誰が連れてきたー?」と声をかけた。


「ああ、すまん、すまん」


それに答えたのは、教室の隅にいた掃除のおじさんだった。


「忘れ物したっていうから連れてきたんだが、今日は、夜の学校がある日なのをすっかり忘れていたよ」


そう言うと「すまん、すまん。」と黒いコートの男の人に謝りながら、私に教室から出るように手招きした。夜の学校の生徒たちの目線を背中に感じながら、プリントを掴んで慌てて廊下へ出ると、おじさんは、申し訳なさそうに、


「いやぁ、おっかない思いさせてすまんかったなぁ。悪いけど、このことはみんなには内緒だぞ。おじさんと、あの子達と、君だけの秘密だ」


といって、にっこり笑った。



とても笑い返すことなど出来ないまま、下駄箱でおじさんと別れると、私は来たとき以上に全速力で家に帰り、お母さんに帰ってきたことを伝え、すぐに宿題をしてお風呂を済ませた。そして夜のテレビも見ずにベッドにもぐりこむ。




言いたくても言えない。あんなこと。


いまさらになって、あのそうじのおじさんは去年身体を壊して学校をお休みしたきりだったことを思い出した。戻ってきたなんて聞いてない、病気が治ったなんて…聞いてない。


さっき学校から出るとき。おじさんが繋いでいてくれていた右手にひんやりとしたものが残っていた。布団の中で少し震える体を抱きしめてじっとしていると、学校の方角から微かにチャイムが聞こえてきたような気がした。でも、きっと気のせいじゃない。



夜の学校が、始まったに違いない。




執筆時期:2015年

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