幼馴染との8年越しの約束

月之影心

幼馴染との8年越しの約束

*****《8年前》*****




 僕、香取かとり陽平ようへいは幼馴染の茂原しげはら裕美香ゆみかに呼ばれ、家から少し離れた高台にある展望台に来ていた。


「どうしたの?」


 裕美香は暗い顔で僕を見ていた。


「引っ越す事になったの。」


 小さく、消え入りそうな声で言った。


「引っ越す?いつ?どこに?なんで?」


 矢継ぎ早に質問をする僕を見ていた裕美香の目が、見る見るうちに涙を湛えていった。


「パパのお仕事の関係で……ここからずっと遠くの街に行くんだって……」


 裕美香はしゃくり上げながら一生懸命話していた。


「何でだよ?ずっと一緒に居ようって言ったじゃないか!」


 裕美香とは保育園に通っている頃からずっと一緒に過ごして来た、僕の中で一番仲の良い子だ。

 小学生で『男女の交際』なんてものは殆ど理解していなかったが、お互いに『好き』という感情がある事は認めていた。

 だから何があっても僕と裕美香はいつまでも一緒に居ると信じていた。

 引っ越す事は裕美香のせいじゃないと頭では分かっているのに、心がそれを認めようとしなかった。


「ごめんなさい……」


 ハンカチで顔を押さえながら裕美香は僕に謝った。


「いつ?」


 裕美香が落ち着くのをかなりの時間待った後、僕はぶっきらぼうに尋ねた。


「来週……卒業式が終わってから……」

「違うよ!」

「え?」

「いつ帰ってくるのかって聞いてるんだ。」


 このまま裕美香と永遠に離れたままなんて考えたくなかった僕は、裕美香がまた此処に戻って来る事を願ってそう訊いていた。


「分からない……」


 多分、裕美香にもいつ戻って来れるのか……いや、戻れるかどうかすら本当に分からなかったのだろう。


「そっか……じゃあ、僕たちで決めよう。」

「え……?」

「大人になって、何処に住むか自分で決められるようになれば、親と一緒に居る必要なんか無くなる。」


 我ながら青い考えだったと今でも思う。

 だが裕美香は、涙に濡れたままの顔で精一杯の笑顔を僕に見せてくれた。


「うん……うん!そうしよう!」

「いつにしようか?」

「『大人になったら』だから二十歳になってからだね。8年後!」

「8年かぁ……長いけど僕は待つよ。」

「私も……陽ちゃんとまた会えるの楽しみにしてる……」


 僕と裕美香は8年後またこの展望台で再会する事を約束し、その後の卒業式で顔を合わせた後、暫しの別れとなった。




*****《現在》*****




 親元を離れて一人暮らしを始めた僕は、大学2年を無事修了して春休みをどう過ごそうかと考えていた。

 いつもよりシフトを多めに入れてアルバイトに精を出す事も考えたが、バイト先の店長から『3年生になったら就職活動しないといけないから次の春休みは無いと思った方がいい』と言われ、実質、大学生活最後となる春休みは逆にシフトを減らして貰う事になった。

 自由時間の増えた僕は、アルバイトで稼いだ金で買った中古車でドライブを計画した。

 と言っても、まだ初心者マークを付けなければいけない腕なので、あまり遠くへ行くのも不安が付き纏うし、バイトのシフトを減らしたと言っても丸々一週間休みというのでは無いので、近県の名所をふらっと回る2泊3日程度にしておいた。


 ドライブ初日は慣れない広い国道や、免許取得後初めての高速道路に戸惑っていたが、次第に車の流れが掴めるようになってくると、遠くの景色を見る余裕が持てるようになってきた。

 その日は隣県の観光地にある温泉宿に泊まって疲れを癒した。


 翌日は実家へ立ち寄る予定にしていた。

 予め母親に連絡を入れると、子はいつまでも子と思うのか、車の運転や外泊を酷く心配された。

 僕はもう二十歳だし、今も一人暮らしをしていると言うのに。

 少し早めの昼食を済ませた後、初めての長距離ドライブで疲れていたのか、実家のリビングで体を横にしているうちに眠ってしまっていた。


 目を覚ますと、時計はまだ昼の1時を少し回ったところだった。

 僕は洗面所に行って顔を洗った後、キッチンで何かを作っていた母親に『そろそろ行くよ』と言った。

 母親はまたも車の運転を酷く心配していたが、『大丈夫だから』と軽く流して家を出た。




(さて……行くか……)


 誰に言うでもなく、運転席に座るとそう呟いてエンジンを始動させた。

 車は家から5分程走った所にある緩い上り坂をゆっくりと上がっていた。

 上り坂はやがて住宅街を外れて丘の上へと入っていく。

 住宅街の反対側にぐるっと回ると車が20台程停められる駐車場に入る。

 僕は駐車場の一番奥まった場所に車を停めると、暫く車の中で心臓の高鳴りを落ち着かせていた。


 駐車場は僕の車1台だけだった。

 駐輪場も見えたが、恐らく随分前から放置されているであろう朽ちた自転車が1台置かれていただけだ。


 僕は車から降りると、街を一望出来る展望台へと向かった。


(来てるかな?)


 という不安。


(来るわけないよな。)


 という諦め。


(約束したもんな。)


 という期待……一歩毎に色々な思いが頭を巡る。


 視線の先に見える展望台が少しずつ全景を現してくる。

 展望台中央に建てられた屋根。

 屋根を支える柱。

 石で出来たベンチ。


 そこには誰も居なかった。


(そりゃそうだよな……)


 8年も前……小学生時代にした約束なんか忘れていて当たり前だ。

 理性がそう思い込もうとすればするほど、気持ちはどんどん落ち込んでいく。


 僕は屋根の下のベンチの傍まで来ると、薄く埃の被ったベンチを手で払って座った。


 8年前……僕はここで幼馴染との再会を約束した。

 親の都合でずっと遠くの街へ引っ越してしまった幼馴染との約束。


『大人になったらここでまた会おう。8年後だ。』


(今日がちょうどその8年後だぞ……)


 僕は展望台へ上がって来る階段の方へ視線を移し、何の気配も感じないと取ると、ベンチの上に体をごろんと寝転がした。


(『大人になったら』……かぁ……僕は大人になっているんだろうか?)


 小学生の頃の確証も何も無い約束を未だに引き摺っているのだから、まだまだ大人になれていないんだろうなと思いながら展望台の屋根を寝転がったまま見上げていた。

 僕は上着のポケットから煙草とライターを取り出した。

 封を切り、煙草を1本取り出して咥え、その先に火を点けて吸い込んだ。


「げほげほっ!おぇっ!」


 生まれて初めて口にした煙草は酷く不味かった。

 しかも煙を肺に目一杯吸い込んだものだから、異常な肺の圧迫感を覚えて思わず昼に食べたものが逆流しそうになった。

 僕は煙草を地面に投げ捨て、靴で火をもみ消した。


「ふぅ……煙草も吸えないんだから……まだ大人じゃないんだな……」


 少し涙目になりながら、もみ消した煙草の火が消えているのを確認してゴミ箱に投げ入れた。

 ゴミ箱の傍に立ち、もう一度展望台へ上がって来る階段や、車を停めた駐車場の方に目線を移したが、誰かがやってくるような気配すら感じなかった。


 しかし未練というやつだろうか……心の何処かにある『必ず来る』という根拠の無い自信が、その場を立ち去ろうという気を起こさせなかった。


(まぁまだ昼だし。)


 僕はベンチに戻って腰を下ろすと、鞄の中からミネラルウォーターのペットボトルを出して口を付けた。


 何をするでもなく、水を飲んだり立ち上がったり周囲を歩いたり……ゆっくりと流れる時間の中、僕はひたすら彼女を待っていた。




 陽が遠くの山に掛かり、空がオレンジ色に染まってきた。

 僕が此処に来て3時間ちょっとが経過していたが、その間、僕以外誰一人この展望台に来る事は無かった。

 鼻の奥がツンと痛くなり、次いで視界がぼやけてくる。


(所詮は子供の頃の口約束だもんな……)


(約束……どうなっちまったんだよ……)


 諦めと未練が頭の中で交錯し、自然と溢れ出した涙が止まらなかった。

 僕はさっき一口も吸えなかった煙草をまた1本抜き出して咥えると、ライターで先端に火を点けてゆっくりと吸い込んだ。

 肺の圧迫感はあったがさっき程の苦しさは無く、ゆっくりと吸っては吐きを繰り返していた。


(何だ……吸えるじゃないか……)


 美味いとは思わないが、煙草が吸えるようになった事で少し大人になれたような気がした。


(ほら……僕は大人になったぞ……だから……約束守ってくれよ……)


 陽が完全に山の向こう側に隠れ、オレンジ色だった空はそのほぼ全てが紫色に変わっていた。

 眼下に広がる街に灯りが灯り始め、車の行き交うヘッドライトとテールライトがぼやける視界の中で流れていた。

 僕は袖で涙を拭ってふうっと大きく息を吐くと、もう1本煙草を取り出して火を点けた。

 緩やかに流れる風に紫煙が乗って揺らめいていた。








「煙草、吸うようになったんだ。」








 記憶にあるよりも少し低くはあるが、8年間ひと時も忘れた事の無い声が風と一緒に耳を撫でた。


「大人になったからな。」


 僕は眼前に広がる夜景を見たまま、煙草を一口吸い込んで煙を吐き出した。


「遅れてごめんね。」


 さほど済まなさそうな声では無かった。

 僕は腕時計を見た。


「いや、まだ今日は5時間残ってる。」


 背後でくすくすと笑う声がした。


「もし私が来なかったとしても日が変わるまで待つつもりだったの?」

「約束は『8年後の今日』だけだったからな。時間の指定は無かった筈だ。」

「それもそうね。」


 僕は煙草を落として靴で踏み消すと、後ろに振り返った。


「自分で住む処、決められるようになったか?」


 目の前に立つ幼馴染は、表情を変えずに肩を竦めていた。


「残念ながら、学生にそんな経済力は無いわね。」

「それもそうだな。僕も自分で決めたように見えて家賃払ってるのは親だ。」

「でしょ?」


 あちこちに設置されている照明が展望台全体を明るく照らしていた。


「でも、どうすれば良いのかを決めて行動するくらいにはなったわ。」


 そう言ってゆっくりと僕の方へ歩み寄って来る幼馴染。

 僕のすぐ目の前までやって来た。


「僕もだ。」


 にこっと微笑む幼馴染は、その美しい瞳で僕の目をじっと見ていた。


「守るべき約束があって、それを果たす為に、此処へ来るくらいの行動力は身に付いた。」


 僕は両手を広げ、僕の目を見詰める幼馴染を腕の中に閉じ込めた。


「裕美香……好きだ……」


 裕美香も僕の背中に腕を回してきゅっと抱き付いた。


「私もだよ……陽ちゃん……」




 8年越しの約束を果たした二人の幼馴染を、展望台の照明がスポットライトのように照らしていた。

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