碧煌国後宮のお犬様係
しっぽタヌキ
第1話 麗戌である
ある夜、
特徴的な赤い髪が夜風に揺れ、なびく。空色の瞳を持ち、その表情は厳しかった。
「本当にこんな場所に金暁宮があるのか?」
「ええ。そのはずですよ」
「……ここに、神獣と道士がいるのか」
赩炎はまるで信じられない、とより表情を厳しくさせた。
後宮を訪れた目的は一つ。
「……まさか、碧煌国の皇帝が、過去の逸話を信じるなんてな」
「仕方ありませんね。今は名だけの皇帝ですから」
「……そうだな」
赩炎はともに歩く男の言葉に、浅くため息を吐いた。
皇帝に対して、礼を失した言葉だが、それに怒る気にもなれない。それが真実だからだ。
若くして皇帝となりながらも、位の低い妃から生まれた赩炎には後ろ盾がない。常に命を狙われ、宮廷での力もなかった。
神獣、道士などと言うよくわからないものに手を借りるのは避けたかったが、立場を維持し、宮廷での力を得るには、それこそ神頼みしか道がないのが現状なのだ。
「少なくとも、これから向かう金暁宮はあなたのものです。あなたの後宮の宮の一つですから」
「……俺の後宮か。知らぬ間に集められたものが、勝手に権力を争っているだけの場だ。入ったこともない」
そう。赩炎は後宮へ訪れたことがなかったのだ。
自らのための後宮だが、そこに集められた妃嬪には一度も手をつけていない。妃嬪たちはそれぞれ官吏と繋がりがあり、そこと繋がることは敵と味方とを分けることになる。そうなれば、力のない赩炎は傀儡になるか、立場を追われるかしか残っていない。
「俺は『未断の皇帝』だからな」
なにも選んでいないが故に、どうにか最高位として立っていられる、力なき皇帝。それが赩炎なのだ。
「信用できる者もいるかもしれませんよ? 一度ぐらい手をつけてはどうですか?」
「わかっているだろう? 無理だ。俺が信用できるのは、
そんな赩炎が唯一、信用できる相手。それが現在ともに歩いている男、璃 藍月だった。
今は亡き前皇帝の弟。赩炎から見れば叔父に当たる。
艶やかな黒髪の細面の美丈夫だった。深い藍色の目に手に持った灯りが反射している。
「初めて後宮へと来たが……。あまりいい気持ちはしない」
月のない夜道は馴染みのない道をより奇妙な場所として認識させた。
「金暁宮に神獣がおり、それを管理している道士がいるんだったな」
「ええ。建国の際に、神獣が初代皇帝に力を貸したのが始まりと言われています。金暁宮を建て、祀っているのですが、現在ではその力を信じるものはいません」
神獣・麗戌は後宮の金暁宮に祀られ、選ばれた道士がその管理をしている。が、かつて大切にされていたその宮は国が安定するごとに力を失くし、今では気味の悪い逸話が残る、捨て置かれた場所となっていた。
現在では修行を重ねた女道士が一人、住むだけだ。
「ここか……。ひどい有様だな」
藍月の案内により、金暁宮の目前に立った赩炎は、眉を顰めた。
金暁宮があったのは後宮の一番奥。金色の夜明けと名付けられた宮だが、その名に反し、朽ちている。
殿舎に塗られていたであろう丹は剥げ、破風の金飾はくすんでいた。長年手入れされていないのがわかる。
「本当に道士はいるのか?」
「ええ。後宮の女官の話では、ここを通ると、地響きがし、奇妙なカリカリカリという爪研ぎの音が聞こえるという話です」
「……ひどいな」
赩炎はもう一度、ため息を吐いた。
そのような怪談じみた噂がある宮に、皇帝自らが足を運ぶなど……。自分の力のなさを痛感する。
が、ここで足を止めていても仕方がない。
「行こう」
赩炎は藍月に声をかけると、金暁宮の扉へと足を勧めた。
かつては磨かれ、輝いていたであろう黒曜石の階。その先に朽ちつつある大きな扉があった。
その扉に手を伸ばす。
すると、扉の奥から声が聞こえて――
「なんの用だ」
――低く、空気を震わせたその音は、決して女のものではない。
金暁宮を管理している道士は女のはず。そして、後宮に足を踏み入れられる男は皇帝のみであり、皇帝はここにいる。では、この男の声は?
赩炎は警戒を強め、言葉を返した。
「……神獣、麗戌に会いにきた」
答えた途端、再び空気が震えた。
カッカッカッ! と喉を閉めたその音は――笑い声だ。
「ほほぅ! 面白い! 皇帝が会いに来るなど、何百年ぶりか!」
低い音、だが、その笑い声は奇妙に高い。
そして、その声に女の悲鳴のような音が響いた。
「いやっ! やめて……!」
暗闇に響く悲鳴に赩炎はわずかに怯んだ。
その気配を察したのか、扉の向こうから大きな地響きが鳴り、女の悲鳴は消える。
「――入れ」
低い声。それとともに、朽ちかけた扉がギ、ギギギ、ギギギギギと動いた。
扉の向こうに人のいる気配はない。赩炎も藍月も扉には手を触れていないが、扉は自然に開いていく。
「まさか……」
目の前の出来事に赩炎はごくりと喉を鳴らした。
――『金暁宮には神獣とそれを扱う道士がいる』
この瞬間までは半信半疑であったが、もしかしたら本当なのかもしれない。
起こったことの真偽を確かめようと、じっと目を凝らす。扉にはなんの仕掛けもなく、やはり人はいなかった。
「入るぞ」
「……ええ」
完全に開いた扉。果たして室内は暗闇が支配した堂であった。どの燭台にも灯りはない。
赩炎は藍月と視線を交わし、そして、堂へと足を踏み入れた。
赩炎と藍月。それぞれが持った燭台が中を照らす。
「祭壇か……」
「そのようですね」
堂を進んだ場所にある祭壇には金色の犬の像が祀られていた。
「これが――
碧煌国の神獣。鳴けば雷と嵐を呼び、その遠吠えは邪を払う。かつて神妖が闊歩していた時代に、人間に土地を与えた貴き獣である。長い脚に通った鼻筋。神獣と呼ぶにふさわしい姿だ。
赩炎と藍月が魅入っていると、突然、堂の中の燭台のすべてに灯りがついた。
不気味に暗い闇に包まれていた堂が煌々と輝く。そして、涼やかな風が二人の正面から吹きつけた。思わず目を細めると、奥には人がいるようで……。
「……お前が、神獣の力を操る道士か?」
暗闇から突然明るくなったため、目が慣れない。
赩炎は目を細めたまま、その人間をよく見ようとした。
茶色の髪が揺れている。背はあまり高くない。――これは少女か?
「帰って……っ」
少女はそう言いながら、赩炎へと振り返った。
鮮やかな翠色の目が懇願するように見ている。そして、必死になにかを押しとどめているようだ。
「わっ……!?」
けれど、それは叶わなかったようで、少女の体がころんと壁際へと転がされた。
そして、笑い声が響いて――
「我の力を得ようとは面白い! ちょうど退屈しておったのだ!」
――現れたのは、大きな、大きな獣であった。
「は?」
「え?」
その姿に、赩炎と藍月から間抜けな声が出た。
「どうした! 我の姿に驚きすぎて、呆けたか!」
大きな獣がカカカッと空気を震わせて笑う。
そして――振動に合わせて、腹がたぷたぷと揺れた。
「我が神獣・麗戌である!」
大きな獣は後脚二本で立ち上がっており、背の高さは一丈ほど。毛皮は金色に輝き、お腹だけは白かった。
そして、なんといっても脚が短い。前脚は胸の辺りにちょこんと揃えて曲げられている。後脚は堂の床にしっかりとついているものの、股下はほぼない。ほぼお座りと変わらない。でも、必死に立っている。体はまったく締まりがなく、寸胴鍋のようであった。
「なんだその、たるんだ体は!!」
赩炎は思わず叫んだ。
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