【第四三話 こんなサービス滅多に……】
『酷いではないか美優! せっかく食した焼肉を、ほぼ全て吐き出してしまったではないか!』
手を離して自由にしてあげたロッキーはパタパタと飛び跳ねながら抗議してくる。
「なによ。吐いてスッキリしたんだから良いじゃない。そもそもが、食べ過ぎなんだよ。そうやって軽快に動けるようになったんだから、逆に感謝してほしいわ」
『うぐぬぬぬ……』
おかげで私もスッキリしたしね。両者共に、ちょっと可哀想な気もするけど……でも、これも自業自得なんだから。
「すごいね美優ちゃん。見事なぶっかけっぷりだよ」
駆け寄ってきた唯ちゃんが、やや興奮した表情を見せながら褒めてくれる。
どんな時でも、どんな内容でも、やっぱり人から凄いと褒められると嬉しいもんだね。
「でも麗葉さんの居場所を言ってくれませんでしたね。よほど強情なのか、本当に知らないのか、どっちかしらね?」
腕を組んで顎に手をやり、どこかの探偵さんのように考え込む彩香ちゃんの言う事はもっともだ。
これで麗葉さんの居場所を白状しないなら、次の手を考えなきゃだしね。
「さあ、私の本気は分かったよね? 麗葉さんはどこ? でないと、もっと酷い目に遭うよ?」
もっと酷い目……何があるんだろう。何も思い付かない。あ、アニキさんに投げるのも手かな。
「ノォオ……知らない。バッグを盗んだだけ。他には何もしてない。だからどこに居るかなんて知らないのよぉ……ゥアァ……」
「は? それ本当に⁉︎」
となると、私の行いは無駄だったということになる……いや、犯罪者に罰を与えたんだし、ロッキーだって身軽になって自力で飛べれるようになったんだから、完全には無駄じゃない。
そうだそうだ、うんうん。
「本当よぉ……早く洗い流してよぉ……」
「アニキさん! そうなの⁉︎」
振り返ってアニキさんに問い詰める。ブロンド美女が嘘をついているようには見えないから、嘘つきはアニキさんの方になる。こいつ、どこまで本当の事を隠してるんだ?
「そいつがそう言うなら、そうなんでしょうね。私は携帯を持ってこいと頼んだだけです。木田麗葉を誘拐しろとは言ってません」
「何それ! 最初から知ってたんじゃん!」
「いえいえ。こいつらがどういった手段で、この携帯を持ってきたかまでは知りませんでしたよ。ついでに木田麗葉本人まで盗んでる可能性はありました。なので確実性が無い事は言えませんよ」
ふぅ、やれやれ……みたいな態度で、素っ気なく言い捨てるアニキさんにムカついた。
どれだけ私を翻弄すれば気が済むんだよ?
あぁ、そう。そっちがそう来るなら、私にだって考えがあるんだからね。
「彩香ちゃん、スマホ返す。ありがとうね」
彩香ちゃんに歩み寄り、自分のスマホを下に重ねて渡し、続いてアニキさんに聞こえないように小声で頼み事をする。
「私のスマホで、私とアニキさんを動画で録ってもらえる?」
「あ、そっか。美優ちゃんに私の携帯、渡してたんだっけ。うん、ありがとう」
そう言って彩香ちゃんはスマホを返してもらったお礼だけを言葉に出して、私の頼み事に対しては、アイコンタクトのみで返事をしてくれる。
何も言わなくても、意図する所をきちんと汲み取って合わせてくれる。
こういう所が息ぴったりで、私達シャイニングの真骨頂なんだよね。
さぁてと……目を閉じ、大きく深呼吸をしてから、アニキさんの方へ向き直って表情を作る。
女優さんってのは、こうやって役に入ると聞いていたので、私も実践してみた。
本気のアイドル魂を見せてやる!
「ねぇ、ねぇ、アニキにゃ〜ん」
スカートの端を摘み、モジモジしつつ上目遣いでアニキさんに詰め寄る。
もちろん声色は猫撫で声である——猫耳だから。
色仕掛けなんてのをやるのは、私も人生で初めての事で上手くいくか不安だけど、私の事が大好きと言うなら、あっさり引っかかってよね!
「……っ!」
ビクッとして目を見開き、何事かと警戒するアニキさんに構わず、私に出来る目一杯の色気を振りまく。
「麗葉さんがぁ……何処に居るのかぁ……美優たんにぃ、教えてほしいにゃ〜ん」
人差し指を顎に添えて、ウインク。体をくねらせて、トドメにチュッと軽くキスの真似をしてやる。
こんなサービス、滅多に……ていうか、普段は全くしてやらないんだからね!
ライブでもやったことないんだぞ⁉︎
「いやぁ〜ん。美優たん、可愛いぃ〜ん! 死んじゃうぅ。僕、死んじゃうぅ。でも本当に知らないのぉ。ごめんなさぁい!」
人は、死に至るような痛みや苦しみに悶える時には、よくうずくまったりして表情や態度などに著書に現れたりするものだけど、このアニキさんの悶え方は、正にそれに近い悶え方だった。
ゴロゴロと地面に転がり、胸を抑えて息が荒くなっている。毒ガスでも吸い込んで苦しんでるかのような悶え方に、一瞬ゾッとする。
ただ一つ違う点があって、その顔は苦しみの表情ではなく、恍惚とした悦びに満ち溢れているという。
はわぁ……何度やっても面白いわぁ。
今まで、色んなファンの人と触れ合ってきたけど、ここまで猛烈に反応するファンは、アニキさんが初めてだ。
いや、この人がかなり特殊なのは重々承知でね。
「うわぁ……やってるわこれ……」
唯ちゃんが無表情でドン引きしている。分かる。私も初見の時はそうだった。
「なるほど。面白い場面に居合わせましたね。白状させたい相手の弱点を突く事は基本です。伊吹さんはアイドル卒業後には、うちの事務所へ来ませんか?」
佐伯所長のその言葉が、本気かどうか判然としない。一体どういう基準で私を勧誘してるのよ。まあ社交辞令だよね。
「ありがとうございます。選択肢に入れておきますね」
「採用試験など無く、特別枠でご用意しておきますので、いつでもお待ちしてますね」
ニッコリとそう言う所長さんの目は本気っぽいけど、どうなの?
私なんかが探偵など出来ないと思うけどなぁ。
「おほん。あの、本当に私で遊ばないで頂きたい。木田麗葉の事は知らないと申し上げたはず……」
アニキさんは、両手で紅潮した顔を押さえて立ち上がり、深呼吸して冷静さを装いながら自分を落ち着かせている。
肩がものすごい上下に動いてるけど、どれだけの空気を吸い込んでるんだろう?
「嘘じゃないよね? 今の録画してるから、嘘だったらネットに拡散してやるからね?」
「嘘じゃないですよ。本当に知らないんです。それに拡散してくれても構いません。世間に晒されても、私は何にも思いませんから。むしろ、私に関われば関わる程、あなたの心に私が住み着くようになるので、歓迎します」
ぬぬぬ。アニキさんへの脅しの材料になるかと思って録画しておいたのに、逆に私がストーカー行為で脅されてるようになってる。
「ごめん、彩香ちゃん。動画は消しといてもらえるかな?」
「オッケーよ。こんなの残しといたら、美優ちゃんが汚れてしまうものね。それより状況は何も進展なしよ? 麗葉さんの無事を確認しないと」
そうだ、それだ!
「おい葉山! 木田麗葉の担当は誰だ⁉︎」
「それなら工藤が担当ですよ」
「今すぐ工藤に確認を取れ! いや、いい。俺がする」
佐伯所長が、何やら指示を出したり引っ込めたり、電話をポケットから出したり、落として「むがっ!」と怒ったりして、忙しそうだ。
「はい、綺麗になったかな?」
「オォウ……センキュー……」
背後では、唯ちゃんがペットボトルの水でブロンド美女の顔を洗い流してあげていた。その後も車にあったティッシュで綺麗に拭いてあげている。
唯ちゃんの、こういう気が効く優しい所が大好き。
今の今まで、汚物まみれで触りたくなかったのかもしれない。
唯ちゃんが綺麗にしてあげた途端に、ようやく探偵事務所の人らが、ブロンド美女をトラックに移送していく。
「何⁉︎ それは本当なんだろうな?」
振り返ると、佐伯所長が電話口に向かって声を荒げている。今度はこっちか。あっちもこっちも忙しいなぁ。
「分かった、ありがとう。引き続き頼む」
「麗葉さんの居場所が分かったんですか⁉︎」
電話を切った佐伯所長の方へと、ほんの数メートルなのに駆け足で向かう。
早く知りたいと思う気持ちが、体を急かすのかもしれない。
「ええ、分かりました。木田麗葉は自宅に居ます」
佐伯所長の、なんとも気まずそうな態度で、大体の雰囲気は察した。
「自宅に押し入られて監禁されてるんですね! くっそぉ、あいつらぁ——」
沸々と怒りが込み上げてくる。もし麗葉さんに何らかの、あ〜んな事や、こ〜んな事をしようものなら、唯ちゃんにぶん投げてもらって、彩香ちゃんに脳天をぶっ叩いてもらうからな!
「伊吹さん、落ち着いて」
佐伯所長の声は落ち着き払っていて、なんとか私の怒りを鎮めようとしてくれているらしいけど、こればっかりは鎮められない。
「所長! 直ぐに助けに行きましょう!」
「あー、うん。えっとですね……木田麗葉は一人で自宅に居ます。監禁もされてなければ、捕まってる訳でも無い。ただ単にオフの休日を自宅で過ごしているだけです」
「…………え?」
「工藤に確認しました。奴は今日、木田麗葉の自宅をずっと張り込んでます。彼女は一歩も外へ出てないそうです」
思考が止まる。いまいち状況が飲み込めないんだけど、麗葉さんは無事……という事なんだよね?
佐伯所長は、勘違いしてる私に言い出しにくくて、気まずそうにしてたって事?
「アニキさん⁉︎」
「私が工藤に木田麗葉を狙ってるという嘘情報を掴ませました。それを知った工藤は彼女を張り込むと踏んだからです。工藤の目をあなたから離すのが目的です。しかし、自宅に居るかどうかは私にも分かりませんでしたよ」
「ふむ、なるほど。いや小柳さんは策士ですね。内の工藤は、まんまとあなたの策にしてやられてる訳ですね。一体どうやって内の工藤を嵌めたんですか?」
「恐れ入ります。ですが、詳細については秘密です。私はあなた方の敵ではないが、完全に味方って訳でもないんです。ご容赦を」
んな事ぁ、今はどうだっていいんじゃ!
アニキさんが、私に自分の部屋まで来てもらって例の〝おみみたらし〟をしてほしいが為だけに、麗葉さんを人質にしてるように見せかけてたけど、麗葉さんは実は無事に自宅に居ただけ……だったという事実。それは分かった。
私の直感が働いてないのも分かった。肝心な所で役に立ってないプラス、間違った方向に向かわせるんだから、とんだ直感力よね。
「もう〜っ、何だよぉ……もぉう……」
一気に脱力感が襲って来て、ぺたんっと、その場に座り込んでしまう。
でも、麗葉さん自身に被害が無く、私の気苦労だけで済んだのなら全然良いよね。
それを一番に願ってたんだから、その願い通りの現実に感謝すればこそ、落胆するのは間違ってる。うん、そうだそうだ。
自分を納得させる思考も終え、立ち上がって周りを見渡すと、所員の人たちも
この一連の騒動も、これで一件落着かな。
「さ、小柳さん。木田麗葉の携帯を渡して下さい。伊吹さん、安心して下さい。後は我々と警察に任せましょう。他に盗まれた物と一緒に警察が彼女の元へと届けてくれます」
佐伯所長がアニキさんに手を出し、アニキさんはその手に麗葉さんの携帯を渡している。
やけにスンナリと渡すじゃないの。意外だ。本当に私をあの部屋に呼び出す為だけの携帯だったんだな……。
「伊吹さん、市原さん、松森さん、所員を一人、ドライバーで着けますので、ご自宅までお送りしますね」
対馬さんはそのまま病院に連れて行くみたいで、私達のワゴンに運転手さんを付けてくれるらしい。
はぁ……やっと帰れる。
「美優ちゃん、そのメイド服は着て帰るの?」
車に乗り込もうとしてる所で、唯ちゃんに聞かれて、自分がメイド服なのを思い出した。
そうだ。このメイド服はアニキさんのものだった。
「アニキさん、車で着替えるからメイド服は返すね?」
「はい。ありがとうございます。美優たんの匂いが染み付いたのをくれるんですね?」
「あ、やっぱり洗濯して返すから! ちょっと借ります!」
そんなん言われて、どうぞと差し出す女の子が居るわけねーだろ!
そして美優たん言うな!
「それでいいですよ。そのままあなたに差し上げても構いません。それで私を思い出してくれればいいですし、返してもらえるなら、その時にまた私と関わりますし、今返してもらえるなら私は一番喜びます」
ニコニコと満面の笑みを浮かべて、どう転んでも自分に利すると確信してるようなアニキさんは、何としても私との関わりを断ちたくないのね……。
気が向かないけど、人の物なので捨てる訳にもいかないから、洗って返すしかないよね。
アニキさんの思い通りになるのが、なんか悔しいけど、消去法でメイド服は持って帰ることにした。
「じゃあ、麗葉さんの携帯、宜しくお願いします。お世話になります。ありがとうございました」
佐伯所長や他の所員の方々にお礼を言っておく。唯ちゃんと彩香ちゃんも並んで私のお礼に続いて頭を下げてくれる。
私が一番頭を下げてお礼を言いたいのは、この二人だよ。二人が居なかったら、本当にどうなっていたか……。
一応、アニキさんにもお礼を言っておくか。
コートは脱いで彩香ちゃんに手渡し、アニキさんの方を向き直す。
アニキさんも共犯の一種なのだから、お礼は言わなくてもいいと思うけど、なんか言っといた方が良いと私の直感が告げている。
もしかしたら私の直感はアニキさんと和解し、こうなる事が分かってて麗葉さんが人質だと信じさせてたのかもしれない……。
そう考えると、やっぱり私は自分の直感を信じた方が、最終的により良い道に行けるんだね。
かと言って、アニキさんなんかに素直にお礼は言ってやらないんだからね。
「アニキさんも、あ・り・が・と・にゃん!」
内股、前かがみ、上目遣いのニャンニャンポーズで、斜め下角度からのウインク付きです。
「ふにゃ〜ん! 美優たぁん——可愛いぃん!」
アニキさんは、しゃがみ込んで頬に両手を添えて恍惚に悶えている。
あはっ。やっぱり面白ーい!
期待を裏切らないリアクションには、心からお礼を申し上げちゃいます。
せっかくだから、会う度に悶えさせて遊んでやろっと。けどこの先、あまり会う機会が無いかもしれないけどね。
だってそうじゃん。自分をストーキングすると分かってる人に好んで会う女の子が居ますか⁉︎
辺りには失笑から爆笑まで、ありとあらゆる笑いがそこかしこで発生していた。
こうやって、皆んなの顔が
アイドルとして、芸能人として、エンターテイナーとして、私はこれからも皆んなを笑顔にしてしていきたい。そう心から誓う。
「さ、帰ろっか!」
唯ちゃん、彩香ちゃんもいつもの笑顔で応えてくれる。うん、私達の日常に戻ろう!
『我の焼肉が……』
自分が吐き出した汚物の残骸を眺めながら、路上に佇み呟き、見るからに落胆しているロッキーの背中からは、今まで感じた事のない哀愁が滲み出ていた。
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