運命の意図

よしの(旧ヒナミトオリ)

1.運命と気づいた日

 梅雨の季節、晴れ間の日。その日は暑く、風さえもなかった。太陽が真上に来れば教室は蒸し焼き状態であった。しかし、残酷にも学校のクーラーは時期的にまだ使用禁止だった。


遠山太一は昼休みだというのにもかかわらず食事も喉に通らず、今にも犬のように舌を出してしまいそうだった。彼だけでなく、誰もが暑さにやられていた。同じように食事さえとれない者も見える。


「んぁしんど」


 微熱のような少しの怠さに襲われる。体の芯から熱があふれるほど生み出されている感覚がして、熱を息とともに吐き出す作業にとらわれていた。


「お?大丈夫か?」

 太一が弱音を吐くと、正面に座る友人の向井が心配そうに聞いてくる。それを聞きながら小さく口にいれたごはんを何度も咀嚼して飲み込む。


「だいじょばね~よ。暑すぎねえか?」

「だいじょばないか」

 友人が苦笑すれば、他の場所から声が上がった。


「確かに今日の暑さは異常だよね。先生に直訴してくるわ!」

我らがクラス長は食べかけの弁当に蓋だけしめて席を立つと、こちらの方向にウインクを飛ばしてくる。そして、ポニーテールを揺らしながら職員室に歩き始めた。

「クラス長かっこいい~一生ついていく~」

 女子たちがそう言いながら賛同し追従した。集団でクーラーをつける許可をぶん取り行くようだ。

「遠山。水飲んどけ水。飲むのは大丈夫だろ~?それに無理に食べて吐かれたくないしさ!」

「うっわ最後のクズ過ぎんだろ」

「わはは笑うとこだろ」


 まあ、アドバイス通りに飲むけれど。水筒のお茶を飲みながら違和感に気づいた。季節の変わり目とか気候変動からくる怠さじゃなくて、体調が本当によくない。この熱はめったにこない発情期のものであるとわかった。


 太一は仮にもオメガなので発情期―いわゆるヒート―そのものは周期的にきているはずだ。しかし第二次性徴の終了、ホルモンバランスが安定してからは、どうも毎度無症状か少し精力が強くなるだけ、という体質で気づくのが遅くなった。通常のオメガであれば、日常生活にも支障をきたすほどの症状がでる事例が多いため、ヒートを軽減させるために抑制剤が処方されている。太一にも処方はされているのだが、気づいてもいないのに朝に飲んでいるわけもなかった。そして持ってきているかどうかであるが、ハンカチでさえ忘れかけるような太一は抑制剤を持っているはずもなく。


 幸い、太一のフェロモンは鼻の良いアルファでなければ気づかないほど出ないし、最悪飲まなくてもいい。ただ、これくらいのヒートによる体調不良は抑制剤を飲むと、ヒートでない時の体調と同等くらいに治るので、やはり使っておいて損はない。


 太一は誰か薬を持っていやしないかなと、教室を見回すが、すぐに諦めた。どうした?なんていう友人の言葉は無視して、立ち上がる。

「急に立ち上がんなよ……遠山も直訴行くのか?」

「いや、遠山君は保健室で氷貰ってくるわ」

 保健室に行く、と正直に言えば、このゲス野郎でさえも変に心配してくるため、目的そのものはかくして申告する。実際の目的はオメガのヒートを抑制するための薬を借りることである。

「えぇ~遠山様~僕らの分ももらってきてくださいませ~」

「ハイハイ。もらえるだけもらってきてやるよ」

お優しい~とありがたがる級友たちを一瞥すると本当に溶けそうな顔をしていて、吹き出しそうになった。


抑制剤を級友たちから借りるのを諦めたのは、そもそも第二の性を知るのはよほど親しいか、その者が第二の性を晒すのが好きな妙な露出癖があるかくらいなもので、教室に同じ性のものを見つけるのが至難の業だからだった。個人の過去や性に対しておおらかな無関心を持つ人が多い、この学校では第二の性による差別は起こりにくいが、それでもこのことは秘密にしておくことがベターなのだ。

級友にじゃあな~とか言いながら教室から廊下に出て、保健室に向かおうとしたその時だった。


「いいにおいする」

ふとそんな声が後ろから聞こえた。何のことだろう、と後ろを振り返ってみると、太一の視界は絶世の美形の顔でいっぱいになった。おわわぁ?!と気の抜けたわめき声を出しながらあとずさり、情けないことに尻もちをついた。


「あ、遠山くん。こんにちは。」

 首を少し傾けて柔らかな声でそう言った男は、学年の中でも美形として男女双方から評価が高いが、どこか天然として有名な、出雲亮介であった。


「なんで?匂い?」

 まさか、こいつ俺のフェロモンを感じるっていうのかよ、と戦々恐々とする。まずい、どうにか撒かなければ、どうしてよりにもよってこいつなのだ、と思い混乱しながら太一は体勢をどうにか整える。そして立ちあがり、どうにか歩き出そうとしたところでまた声がかかる。

「太一君、どこ行くの?」

 隣のクラスとは言え、あまり話したことのないやつをすぐに下の名前で呼んできた。しかもさっきは苗字で呼んでいたのに。こいつ、距離感バグっているのか?


「保健室」

これ以上ついてこられると困る。茹りそうな頭でそう思い、そっけなく言葉を返した。

「えっ?どこか具合が悪いの?ついていくよ!」

「はぇ?」

 付いてくるな、という副音声が出雲には聞こえなかったらしい。出雲は太一に体をまたも近づけてくる。出雲に近づかれると、得も言われぬ感情がぐわ、と湧いてくる。今まで自分が本当にΩなのか、と思っていた発情期であったけれど、出雲に近づかれた瞬間に情欲があふれ出す。瞬間に理解した。

 

こいつが運命の番だとか言うものだという相手であることを。

 

立ってるのがつらい。壁を体の支えにして立っているのがやっとだ。情欲そのままに漏れ出る吐息を抑え込んでどうにか声を出す。


「出雲、保健室行って薬貰ってきて。遠山太一の薬くださいって言えばわかるから」

「いやいや!この状況の君を置いていけないよ。背負っていく」

 出雲のその言葉の途中には限界がくる。熱に溶かされて太一の意識が白く染まった。



 次には保健室の天井を見上げていた。ここまでひどいヒートは初めてだったなと何処か他人事のような思いでいると、タイミングを見計らったかのようにカーテンを開けられた。

「起きた?」

 開けたのは養護教諭だった。

「薬、ここ置いておくね。飲み忘れちゃあだめでしょう。」

「ありがとうございます」

 机の上に水と薬がおかれる。その手から視線をしたに向けると机の脚元に俺のカバンが立てかけられていた。その視線に気づいたのか、教諭が俺を背負ってきた子が持ってきてくれたんだと説明してくれた。その説明を聞くうちに意識を失っていたおかげで夢のように感じれていた出来事が段々と鮮明に事実としてよみがえった。顔が暑くなっていくのは気のせいだと思いたい。

「薬飲んで、効いたら家帰るか、教室戻るか決めなさいね。」

 養護教諭は口元を緩ますのを隠れてないが隠して、どこか生暖かい目をしながら言う。

 完全に誤解されたなぁ。

 その日からというものの、その色男は俺に構うようになった。


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