第二話 心のわだかまり
2001年9月9日、日曜日
あの事故から約二週間の時が過ぎようとしていた。この日、事故以来、初めて俺は春香の見舞いに行く事が出来た。学校も始まり、アルバイトと相まって忙しかったからだ。
そういえば宏之の奴、先週一度も学校に顔を出さなかった。しかし、その理由を今日、知る事になる。受付で涼崎の病室を尋ね、そちらへと足の進路を取った。
「618号室は?」
受付で聞いた病室の番号を探す。しかし何故、重傷患者で無い彼女が個人病棟なのだろうか?
「ここだな」と呟き部屋番と名前を確認する。
確りと[涼崎春香]と書かれたプレートが入っていた。それから、俺はノックしてから扉を開ける。
「藤原です、お見舞いに来ました」
病室に入った時、最初に声を掛けて来たのは春香本人ではなく、妹の翠だった。
「あっ、貴斗さんコンニチはぁ!」
「翠ちゃんか、こんにちは」
彼女の挨拶に受け答えした後、涼しい寝顔をしている涼崎姉の顔を覗き込んだ。
本当に顔には傷が無いようだ。 ホッとした。女の子の顔に一生もの傷何ってつけてしまってはどういう風に謝罪すれば良いか分からないからだ。
「翠ちゃん、春香さん、彼女の容態は?」
この様子でそんな事を聞いても大した意味は無いであろうけど。それにも関らず確認する様に翠に尋ねていた。この時、いつも〝涼崎さん〟って呼んでいたけど〝春香さん〟に置き換わっていた。その事に対して自分でも気づいていなかった。多分それは妹である翠と区別するためであろう無意識の判断。それに俺のそんな言い方を気にも留めない彼女の妹は思いつめた感じの表情を作っていた。
「お姉ちゃんの容態・・・・・・・・・・・・」
彼女の顔が急に翳りをみせる。
あんな涼しげな表情をしている春香にいったい何があるって言うんだ?翠、悪い冗談はやめろ。胸騒ぎがして急に不安に陥った。しかし、翠の瞳に映る俺の表情はいつも他人に見せる様に無愛想なのだろう。
「貴斗さん、ちょっと表に出ても良いですかぁ?」
彼女は病室の外で話したいようだ。それに答え先に退室する。そして、彼女が後から出てきて扉を閉めた。翠は俺を見上げ複雑な表情で話しかけてくる。
「貴斗さん、驚かないで聞いてくださいね」
彼女は春香の容態を俺に教えてくれた。れを聞いたとき愕然とし、心が万力で締め上げられる様な思いを感じた。
春香はあの事故の日以来、一度も目を覚ましていないと言う。少しの間、沈黙してしまった。そしてやっと声を出す。
「宏之は・・・、宏之はここへ見舞いに来ているのか?」
「毎日、夕方頃来ていますよ、柏木さんの表情は何処と無く暗いけどぉ」
学校には来ていなくても見舞いには来ている様子だった。当然といえば当然である。春香は宏之の恋人だから。
「そうか・・・、それじゃ俺、今日は帰らせてもらう。また見舞いに来る」
そう言って俺はその場を後にしようとした。その時、翠が何かを俺に言っていたようだが俺の耳には届かなかった。いや違うそれを聞いてしまえばネガティヴ思考に囚われそうだったから聞えない振りをしただけだった。
2001年 9月10日、月曜日
今日も、また宏之の奴は学校に顔を見せる事は無かった。そして、放課後が訪れる。
「慎治!」
「ぅん?どうした、貴斗!・・・、そういえば、今日も宏之の奴学校に来なかったな」
慎治は知らない。宏之が学校に来ない理由、そして涼崎春香が入院している事も。
「慎治、予備校で忙しいの分かっているがお前に頼みがある」
「何だよ、急に!」
「宏之を・・・、強引にでも学校に連れてきて欲しい」
「そうだな、それじゃ今日の帰り二人でアイツんち行ってみるか?」
「俺は駄目・・・・・・・・、なんだ」
「なにゆえ?」
「たのむ!」と土下座をして慎治に必死に頼み込んだ。
「分かったから、土下座はなんかするなよ」
今の俺に宏之と面と向って話す勇気など持ち合わせていない。アイツから彼女を奪ったようなものだから。クッ、俺は一体何を犯してしまったのだろうか。俺はその何かをこれから先、償えるのだろうか?いや、俺が仕出かしたことだ何よりも優先してそれを実行しなければならないのだろう。そして・・・。
「本当にすまん!」
「もういいって、それじゃ今から俺アイツんとこ行くから。デモなんで、宏之のヤツ学校に来ねえんだろうな?」
「それは・・・・、聞かないのか、俺が行かない理由?」
「お前が自分から話してくれるまで気長に俺は待っているさ。そんじゃなぁ~~~」
慎治は何時もと変わらない表情を向け今日という日の別れの挨拶をしてくれた。彼は早々にこの場を去って行く。
慎治はまだ知らない、宏之の悲しみの深さ、そして俺の心の・・・、痛みを・・・・。だが、今は慎治に頼るしかなかった。変な所はあるが宏之はどんな奴でも隔てなく接する。
こんな訳の分からない記憶喪失で仏頂面な俺にでさえも。非干渉を装っていた転校生の俺に宏之、あいつがクラスの男子生徒の中で始めて話し掛けてくれた。
しかし、ヤツとつるむ様になって分かったことがある。それは何処か人と一線を置いているようだった。まるで俺の映し鏡。
ただ、宏之と俺に違いがあるとすれば、俺は自ら人との接触を避けている。それは記憶喪失の所為。奴にも何か理由があるのだろうか・・・。
慎治に宏之の事を頼んでから彼が何度も宏之の家を訪ねていた。そして、その結果、何とか宏之も学校へ顔を見せ始めるようになった。それから約一週間、9月26日、水曜日。
「宏之、お前、なに何時までグズッてんだ!だからあれは俺の所為でお前の所為じゃないって言うのがまだわからないのか」
「馬鹿、言ってんじゃねぇーーーよっ。元はと言えば、俺が遅刻したからだ」
毎日、顔を合わせれば、俺と宏之、あの事件の事で喧嘩ばかりしている。こんな言い争いなど望んでいなかったのに・・・・・・・。
「二人とも止めろよ!」
そんな俺達の間にいつもの様に慎治が仲裁に入ってくれていた。
「貴斗君、柏木君も、もう止めて。そんなことを言い争っても春香ちゃん、目っ覚まさないわよ。どうして二人とも争うの?私には理解できません。どうして貴斗君?」
詩織は宏之と俺が言い争う理由を知ってはいなかった。教えてもいなかった。
俺はそんな彼女の問いかけに答えなかった、答えたくなかった。記憶喪失の俺と付き合ってるだけで詩織には要らぬ負担をかけているであろう。だから彼女を今以上に不安にさせたくなかった。
心配をかけさせたくなかった。だから、その理由を教えてたくない。だが、それは俺のただの思い上がり。
「でも、今は春香ちゃんが一時でも早く目覚めることを祈りましょうよ」
懸命にこの場を取り繕うと彼女は最後にそんな言葉を俺達に言って聞かせてきた。詩織はそう言うけど世の中祈るだけじゃどうにもならない事の方が多いんだ。
「貴斗、いい加減にしなさいッ!」
「うるさい隼瀬、お前は黙ってろっ!」
睨みを利かせて隼瀬にそう言い返し、俺のそれに負けまいと彼女も鋭い視線で返して来る。
「黙ってられないから言ってんのよ、アンタに宏之の気持ち分かって?アンタだって、宏之がどんな奴か知ってるんでしょ?どんな事があっても貴斗、アンタに責任なんか擦り付けたりなんかしないわよ!」
「分かってる、分かっているから言うんだ。俺はこんな落ち込んだヤツを見るのはもう沢山だ。今は少しでも俺に責任を押し付け、気分を楽にしてもらいたい。宏之が俺の事、恨んでブッ飛ばしたきゃ幾らでも殴らせてやる!・・・、お前が死んで償えって言えば、俺の命なんてくれてやる!それでお前が元気を取り戻すならな!―――――――――、その位、今の俺にとって大事な存在なんだ!宏之は・・・・・・・・・」
しかし、最後は言葉にならなかった。 何故こうもあの事故の原因が俺であるのかと言うと・・・、 それはあの時、電話で俺が少しでも会話を早く切り上げさせその場を離れさせてやればあの事故に遭遇しなかった。
例えその場に宏之が遅刻して来ていなくとも、彼女が怪我を負い、今のような状況にはならなかった。
俺があの時『宏之が心配して探している。だから早く行ってやれ』と言っていれば彼女はあんな目に遭わなかった。
俺が春香と宏之の事を少しでも気遣ってやれば・・・、起きなかったかもしれない事故。しかし、何故、あの時に限って長電話が嫌いな俺があれほど長く電話に出て話していたのか?だが、もう時既におそし、それは全てifの世界になってしまった。
それから、俺の言葉に業を煮やした慎治がいさめる様な感じで話を掛けてくる。
「オイ、貴斗、お前自分で言っている事、分かってるのか?」
「当然!」
「いぃ~~~や、分かってね、全然、分かってねぇよ貴斗。テメエの暴走も見るにタエネェから言っておくぞ」
〈俺が暴走しているって?〉
「仮令、宏之がお前に死を望んだとして、お前がそれを受け入れる。本当にそれでいいのか?その後に残される者の立場は?悲しいって思いをさせられる立場の者はどうなる?」
「笑止!!宏之が立ち直るのならそんな事、微塵の価値も無い!」
本気でそう思っていた。だからなんの躊躇いもなくそんな言葉を皆に聞かせていた。
『ビシッ!!! 』と言う破裂音と一緒に頬に痛みを感じた。
それをくれたのは恋人の詩織だった。そして悲しい表情を浮かべ涙しながら俺に訴える。
「どうして?貴斗君、どうして、そんな事を言うのですか?貴斗君の莫迦!」
詩織は罵りの言葉を俺に浴びせると踵を返しここから走って出て行ってしまった。何故、彼女が平手打ちをしてきたのかまったく理解できず俺は沈黙して彼女を直ぐに追いかけることが出来なかった。
詩織の泣き顔を見たとき宏之の翳っている顔を見た時と別の心の痛みを感じた。
「オイッ、貴斗、女の子を泣かすな、早く彼女を追いかけろ!」
「貴斗、アンタ何やってんのよ。ソンナとこに突っ立ってないしおりンを追いかけなさい!」
二人のその声に漸く、自分で言ってしまった言葉の愚かさに気付き直ぐに詩織を追いかける。足元に放置されてしまっている詩織の可愛らしいスポーツバッグと学生鞄を手に取って俺もこの場から離れ、その去り際、その場に残る者たちに謝罪の言葉をかけてから出て行った。廊下に出て左右を確認した。見渡す廊下に彼女はいない。直感に任せて階段を下って行く。丁度一階と二階を繋ぐ階段の踊場に探し人がいた。
俺が詩織に近づこうとすると彼女は逃げようとした。だからとっさに空いている方の手で彼女の腕を掴む。持っていた詩織の荷物を床に降ろし、己が感情のままに彼女を背中から抱きしめ言葉をつづる。
「逃げないでくれ、詩織」
しかし、彼女は何も言葉にしてくれないが、俺は言葉を続けていた。混沌とした心の中で色々な感情が渦巻きその一つ一つを言葉にするように。
「さっきはゴメン、俺、どうかしてた・・・、詩織、本当にゴメン」
「ねぇ、貴斗君・・・・・・、どうしてあの様な事を言ったのですか?私の事は考えてくれなかったのですか?」
彼女の言葉は寂しく悲しく感じるそんな声だった。その彼女の声が、その言葉が、俺の心をセツナク締め付ける。それから、また感情のままに俺の心が言葉として零れていた。
「詩織・・・、笑わないで聞いて欲しい・・・、記憶喪失だって、お前も知ってるだろ」
「・・・・・・・、ハイ」
「怖い・・・、怖いんだ、俺・・・、これ以上、大切な何かを失う事が。昔の記憶がない、今だって自分が何者なのか分からないあやふやな俺・・・、大切な何かを失ってしまうと自分の存在まで否定されてしまいそうで・・・、怖いんだ。」
「お前たち以外、周りの連中は俺の事よく知らない・・・、涼崎さんがいなくなったら・・・、宏之がこのまま学校に姿を現さず消えちまったら・・・、その後、隼瀬だって慎治だってそしてお前だっていなくなって・・・。」
「俺だけ一人取りに残されてしまったら・・・、現実に存在しているのかいないのか判らなくなるのが・・・・・・・・、怖いんだ」
俺が言っている言葉、それは近頃感じ始めている心の中の恐怖。皆と出会って半年以上が過ぎる。だが、未だに記憶がもどる兆しは無い。俺にはもったいないくらい出来の良い仲間達。そんな皆の内一つでも欠けてしまったら連鎖的にすべてが消えてしまって俺自身もその存在が消えてしまうのではと思ってしまう。
過去を持っていなという事は現在のみが自分を証明する物。その現在において俺の存在を証明してくれる人がいなくなったらと考えてしまうと、それに脅え夜も眠れない日がある。だから怖くて眠れないときは寝ないで一日中働いている時もあった。
それが今、俺が必死に、只管に、バイトをし続ける理由になっていた。くたくたになるまで、肉体が深い眠りを要求するまで・・・。
詩織は俺の言葉を黙って聞いてくれていた。そして、俺の言葉が最後だと思った詩織は彼女の胴に回していた俺の手の上に彼女の手を重ね優しく包んでくれていた。
それから少し経ってから彼女は静かに話しを掛けてくる。
「貴斗君、そんな怖い思いをしていたのですね・・・、私、貴斗君の恋人なのにそんな貴方の辛い思いに今まで気付けなくてごめんなさい」
「お前が悪いわけじゃない・・・、それは俺の心の弱さが生んだ事だ・・・、だけど・・・、だけど、詩織、お前だけは俺の前から消えないでくれ・・・・・・・・・・・・」
「ハイ、勿論です。私は貴方を独りに何ってさせません」
詩織のその言葉を聞いて心の平静さを少なからず取り戻す事が出来た。彼女はそれを言い終えると俺から身を解き俺を正面に見据え一間置いてから再び口を開く。
「貴斗君、貴方は昔から私の大切な人・・・、私は貴方の幼馴染みですから・・・、貴方を独りにさせる事はありません」と優しい口調で言ってくれた。
「お・さ・な・な・じ・み??幼馴染み?」
〈お・さ・な・な・じ・み??幼馴染み?〉
その言葉を繰り返し口にし、同じくして頭の中でもリフレインさせた。するとなぜか急に頭に激痛が走る。
「アッ、ガァッ、頭が痛むぅーーー・・・・・・・・・、『ドサッ』」
その言葉と同時に姿勢を維持できずその場に倒れこみ気絶してしまった。気が付けば医務室に寝かされて、そこには心配そうに俺の顔を覗いている詩織がいた。
「貴斗君、大丈夫ですか?」
「また俺は倒れたのか?心配、掛けてすまん・・・・・・・・、詩織が俺をここまで運んでくれたのか?重かっただろ」
「ゥフフッ、水泳をやっていますから私こう見えても力あるのですよ」
彼女は笑みを俺に向けそう答えてきた。
「ねぇ、貴斗君、先ほど私が言った事、覚えていますかしら?」
「・・・、悪い・・・、自分が言った言葉さえ覚えていない」
今、俺に見せてくれている笑顔がホンのわずかだけ陰を落とした様に見えた。気のせいだろうか?
「そう・・・、ですか。覚えていないなら仕方がないですね」
「本当に迷惑掛けてゴメン」
俺はまた記憶を失ったのか・・・、辛い・・・、何故、俺は記憶喪失になる?分からない。気分がネガティヴになりそうになった。だが、これ以上目の前の彼女を心配させるわけにはいかない。
「気にしないでください・・・、それより、もう少しお休みになったらいかがですか?」
「いや、もう大丈夫だ。辺りは暗くなっている。だから今まで看病してくれた詩織、お前を家まで送って行く」
無理して、もう大丈夫だって示す為に可能な限りのまともな顔を詩織に見せた。ぎこちなかったかもしれない。
俺には心の支えである詩織が傍にいる。しかし、宏之にとってそれと同じ存在は今、病院のベッドでいつ目覚めるか分からない眠りに就いている。
心の支えを失ってしまっている宏之、このままではいずれ彼は精神の殻に心を閉じ込めてしまうかもしれない。そして、それは俺の知らない所で事実となっていた。
俺の所為でそうなってしまったのに俺は宏之の心を助ける事が出来なかった。しかし、今の俺では宏之に対して何の手助けもしてやれない。
被害者の二人を無視して、俺と詩織だけがのうのうと日々の幸せを享受する。そんな事、許されるはずが無いのに記憶喪失の苦しみの事もあいまって宏之に何もしてやれず、月日だけが無常にも過ぎ去って行ってしまう。
これから先本当に俺は宏之や春香に何もしてやれないのだろうか?俺がこれから先、辿る道のりは・・・。
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