第4話 さらば初恋


「――さてと、旅立ちの前にやっておかないとね」


 夜半時、僕は自宅を出た。

 腰には一本を剣を携えている。

 村長が言っていたことを思い出す。


『ぶ、ぶひぃっ! す、すす、すみませんっ。リュ村で薬品類の入荷が遅れてまして、ま、魔物が増えているとかで』


 この五年間、人知れず周囲の魔物たちは排除していた。

 本当は完全に排除することも可能だったんだけど、敢えて弱めの魔物は残すようにしていた。

 平和が続くとどうしても警戒心が弱まるからね。

 まあ、神父様の助言だったんだけど。

 暗闇の中、ただ走った。

 レベルを上げまくったおかげでステータスは常人を超えている。

 けれどまだまだ足りない。このくらいでは勇者としては不十分だろう。

 数分で隣村のリュ村近辺に到着。

 辺りは森で囲まれているため視界は良好とは言えない。


「五感強化のスキルとかあればいいんだけどなぁ」


 僕のレベルは高いが、それは五感が鋭いというわけではない。

 視覚も聴覚も普通レベルなのだ。

 ちなみに属性魔法は基本的にその精霊の力で行う超常的な現象のことで、探索や調査などの利便性のあるものはない。

 火は燃やし、水は水を出し、雷は稲妻を、木は地から植物を生やす力がある。

 属性魔法以外にも特殊な存在が使える専用の魔法もあったりするけど。

 ということで僕ができることは一つしかない。

 ステータスの暴力を存分に発揮すること。

 僕は高速で走り回った。

 辺りを確認しながら、音を拾いながら、時に止まり、木に登り探索する。

 魔物を発見すると即座に接近。

 近くに来ると対象の輪郭が明確になる。


「リザードマンか」


 ワガ村やリュ村周辺の魔物にしてはややレベルの高い魔物だ。

 平均30程度だろうか。村人たちだけだと対処するのは難しい相手と言える。

 ちなみにレベルはそのまま対象の力量や能力を表す。

 僕のレベルの方が圧倒的に上、負ける要素は微塵もない。

 僕は剣を抜き、瞬時にリザードマンの隣に到達。


「ギャッ!?」


 僕に気づいた魔物は、腰に差している剣を抜こうとするも、僕はそれを許さず剣を振る。

 大した重みもなく魔物は倒れた。

 僕は剣の血糊を払いながら走った。


「次だね」


 作業をするかのように淡々と僕は魔物を狩り続けた。

 これが五年間、僕が続けている日課。

 人知れず行っている魔物狩りだった。


   ●〇●〇


 翌朝。

 僕は着替えを終えて、鞄を背負った。


「さて行くか」


 誰に言うでもなく僕は呟く。

 付き人二人には暇を与えて、その間の給金も与えてある。

 迷惑料って奴だ。

 そのせいでちょっとレベルダウンしちゃったけどそれは仕方ない。

 ま、暇なんて言ってるけど、彼女たちはその間、別の主人に仕えるだろうけどさ。

 僕がワガ村に帰ってくるのは魔王が倒れた時。

 それはきっとかなり先のことになるだろうし、彼女たちは僕に魔王が倒せるとは微塵も思っていないだろう。

 野垂れ死ぬ可能性の方が高いって思っているんじゃないかな。

 鞄には村長が用意してくれた――今度はまともな――ポーション類と最低限の衣服や旅に必要な道具が入っている。

 僕の装備は腰に帯びた安物の剣だけだ。

 だってまともな装備をしていたら、やる気満々だって見られるからね。

 あくまで僕は『やる気もないわがままで回避しか能がない、最弱で嫌われ者のクズ勇者』を演じなければならないのだから。

 自宅を出ると、不意に僕は家に振り返った。


「これはまた思い切ったなぁ」


 家の壁には無数の落書きがあった。

『死ね』『魔物に食われろ』『二度と帰って来るな』『エセ勇者』『人間のクズ』などなど。

 罵詈雑言の嵐で僕は感心してしまった。

 いやあ、よくここまで嫌われたものだ。

 多分、僕が村を出立するから大勢で書いたんだろう。

 なんだか感慨深げに観察していたら、視界の端で何かが動いた。

 その何かを見ると、何かは僕を見ていた。

 視線が交錯する。


「何をしてんだ、メリル」


 メリルが気まずそうに、手に持っている雑巾を背中の後ろに隠した。

 いや、隣にバケツあるしブラシもあるし、何をしていたか明白なんだけどさ。


「べ、別に、す、すごい落書きあるなって思って見てただけ」

「そりゃ大した趣味だなぁ? こんな朝っぱらから人んちの落書きを見に来たのかぁ?」

「そ、そうよ!」

「昨日までなかった落書きをかぁ?」

「そ、それは……そう! たまたま朝早く目が覚めて、お散歩してたのよ!」

「ふーーーーん」


 色々と矛盾があるけど僕は言及しなかった。

 五年間演じ続けた嫌われ勇者だったけど、メリル相手だとボロが出てしまうんじゃないかと思った。

 今日でお別れだから、余計にそう思った。

 僕はメリルを無視して村の入口へと向かった。

 村の周囲は簡易的な防柵があるだけで簡単に侵入できる。

 一応は警備の人間はいるけど、十分とは言えないだろう。

 正直、僕がいなくなってからの村の安否が気にならないと言えば嘘になる。

 僕はみんなに嫌われるために色々やってきた。

 村のみんなは僕を嫌いだろう。それが当たり前だ。

 でも僕はみんなが好きだ。

 悪態をついてくる人も、侍従の二人も、舌打ちをする少年たちも、陰口を叩く主婦の人も、僕を睨む男性も、村長さんも、そしてメリルも。

 だからみんなに何かあったらとても悲しい。

 勇者のいた村ということで保障はされているし、そのお金で防衛を強固にしてくれればいいんだけど。

 なんてことを考えると村の入り口に着いた。

 そこには誰もいない。

 今日、僕が旅立つことは村中の人が知っている。

 けれど誰一人として見送りの人はいなかった。


「……なんでついてきてんだ?」


 ただ一人を除いては。

 後ろにぴったりとついて、僕を追ってきたのはさっき会ったメリル。

 彼女は誤魔化すように視線を逸らしながら佇んでいる。


「別に? ついでよついで。たまたま近くを通ったし、あんたが旅立つところだったから、まっ、見送ってやろうかなってそう思っただけ」


 なんてわかりやすい言い訳だろうか。

 僕は鈍感ではない。

 わざわざ朝っぱらに僕の家まで来て、落書きを消そうとしていたのは、恐らく事前に誰かが落書きをするという話を耳にしたからだろう。

 だから早起きして落書きを消していた。

 おそらく、僕が起きるまでに消そうとしたんだろうけど間に合わなかったみたいだ。

 落書きの件がなければ、散歩していたついでに見送る、とでも言うつもりだったんだろう。

 そわそわしているメリルを見ると、少しだけ胸が痛んだ。

 彼女は嘘が付けない。素直で真っすぐな女の子。それは昔から変わっていない。

 五年間、嫌われることをし続けていた僕を、彼女だけは心配してくれていた。

 何度もメリルだけにでも真実を打ち明けようか迷った。

 けれどできなかった。

 重荷を背負わせたくなかったし、真実を知った上で嫌われる僕の姿を見せたくなかった。

 僕が逆の立場なら、悲しかっただろうから。

 だからこれでいいんだ。

 嫌われて、誤解されて、そのままでいい。

 これが僕の勇者としての道なのだから。

 そう思うのに、メリルの縋るような、探るような、期待するような上目遣いを見ると迷いが生まれた。

 僕は思わず口にしてしまう。


「そういや最後に言っておきたいことがあったんだった」

「……え?」


 メリルの中で期待が大きくなってしまう。

 僅かに瞳が潤み、その奥に生まれた感情が僕を苛んだ。

 僕は真剣な表情で言った。


「おっぱい揉ませてくれ」


 わきわきと手を動かしながら、メリルの胸を見た。

 五年で成長した豊満な胸に僕の視線は吸い込まれる。

 身長は低めだけど、明らかに同年代の中でもずば抜けたおっぱいがそこにあった。

 呆気に取られていたメリルが、プルプルと肩を震わせると殴ってきた。


「この、ばかああああああああああ!」


 僕は、メリルの繰り出す見事な連撃をすべて躱した。

 ブチ切れておられる。

 そりゃそうだろう。

 別れの最後の言葉はセクハラだったのだから。

 僕はへらへらと笑いながらすべての攻撃を回避し、そしてメリルから距離を取った。

 彼女は、ぜいはあと息を荒げている。


「じゃあな、メリル。二度と会うことはないと思うけどよ!」

 また会いたい。でもその優しさは別の誰かに向けて欲しい。


「おまえみたいなちんちくりんでもいいってモノ好きでも探すんだな!」

 君のように魅力的な人は、きっと素敵な人に出会えるはずだ。


「魔王なんざ別の勇者がぶっ殺してくれるだろうし、俺は適当に勇者生活を楽しんでやる!」

 魔王は僕が倒す。みんなを救うために、誰も悲しまない世界にするために。


「だからよ」

 だから。


「俺のことは忘れろ」

 僕のことは忘れて、そして幸せになって欲しい。


 僕は笑顔で言うと、メリルに背を向けた。

 これでお別れだ。

 旅の途中で死ねば二度と会えない。

 魔物も魔王も残忍で恐ろしい相手だ。

 生きて帰ることなんて奇跡に等しい。

 きっと僕は村には戻れないだろう。

 でもそれでいい。

 村の人たちやメリルが幸せになってくれればそれでいいんだ。


「ま、待ちなさいよ……ま、待って……待ってよぉ……」


 消え入るような声が後方で聞こえた。

 僕は聞こえないふりをした。

 速足でその場を去った。

 きっとメリルは何かを言うつもりだった。

 でもそれを聞く勇気は僕にはなかった。

 嫌われ勇者として生きるとそう覚悟したあの時から。

 僕はメリルの言葉から耳をふさいで生きてきたのだから。

 さようなら。

 僕の初恋の人。

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