第90話

 リリィが息を飲んだ音が聞こえた。そして、「なぜ?」と問う。わたしは目を伏せて、ゆっくりと言葉を紡いだ。淡々と聞こえるように、感情を隠して。


「家族のことをしっかり知っておきたくて、かな」


 大聖女ステラの娘であるお母さまのことも知りたい。だけど、それはスーザンに話を聞く予定だから……、大聖女ステラのことを知りたい。わたしが知っている彼女のことは、ダラム王国で風の噂として流れてきたものだから。

 ――わたしには、大聖女ステラと会った記憶がない。もしかしたら、赤ちゃんの頃に会っているのかもしれないけれど、さすがにその記憶はないからね……。


「……ステラさまは、十歳でその才覚を自覚したそうです」


 リリィはすっとお茶を手にして、一口飲んでからカップを戻し、わたしをじっと見つめた。思わず、わたしもその目を見つめる。


「十歳で……?」

「……そうですね、神殿の記録には、十歳で魔物を退ける力を自覚、と書いてありました」

「記録?」

「はい、聖女や聖者たちがどのような人生を送っていたのかという、簡単な記録です。我々はあまり神殿から出ることはありませんので……、記録しやすいのでしょう」


 まぁ、そうだろうね……。神殿からあまり出ないのに、リリィはここに来てくれたのか。それはとてもありがたいことだなって思った。神殿の関係者でわたしが知っているのはリリィだけだから、拒否されたらどうしようとは思っていたのよね、一応。


「魔物……」

「はい。なぜ魔物と遭遇したのかは謎ですが……。ステラさまは、神殿の立場をとても強いものに変えた方なのです」

「強いもの……?」

「その当時は、神殿の力が弱く、王に従うばかりでした。ですが、ステラさまは神殿の力を強めようと……いえ、これでは少し語弊がありますね。神殿の力を強くしようとしたのは、ステラさまの父です。彼は、娘の持つ力を利用しました」


 ……つまり神殿と王族はあまり仲良くなかったってことで良いのかな。あれ? でも大聖女ステラって国母なんだよね。仲を取り持つようにいわれたのかな?


「……ステラさまの父親、大司祭だったのですが、彼は当時の王太子とステラさまを結婚させました。これで、神殿と王族が手と手を取り合えるように、と。……ただ」

「ただ?」

「……事件が起こりました」

「事件?」


 リリィはとても、口にするのを迷っているように見えた。わたしから目を逸らして、それからもう一度カップを持つ。両手を温めるようにカップを持つのを見て、わたしは「無理に話さなくてもいいよ」と声を掛けようとした。

 ……でも、リリィは意を決したように顔を上げる。


「――ステラさまは、子どもを産んでも神力しんりょくが衰えなかったのです」


 ――それが事件? と首を傾げる。


「……その、子どもがどう出来るかは、ご存知でしょうか?」

「え、えっと、まぁ……」

「あの行為を行うと、聖女ではなくなるのです。それなのに、彼女の神力は衰えなかった。それがなぜか、わかりますか?」


 ふるふると首を横に振る。……理解を拒んだ、本能的に。わたしは心を落ち着かせるようにゆっくりと呼吸を繰り返す。だって、子どもは男女がその、そういう行為をしないと出来ないわけで。……うん、ひとりで子どもを、なんて無理な話だ。……そうだよね?


「誰も、なにも言いませんでしたが、ある推測が噂されたそうです」

「噂?」

「はい。ステラさまは、行為をせずに子どもを産んだ、と。その方法が……」


 リリィはもう一度言葉を切る。


「体外受精、だったのではないかと」

「……出来るの?」

「わかりません。……ただ、ステラさまの夫であった王太子は、ステラさまを拒絶したそうです」


 ……え? わたしが目を大きく見開くと、リリィは眉を下げて、それからお茶を飲んでから話を続ける。


「なにも知らなかったのでしょう。ひとりで妊娠したステラさまが恐ろしかったのか気が狂い塔に閉じ込められた、と……」


 その話が本当だとしたら……当時のアルストル帝国は狂っていたのでは……? だって、これってステラの血は残したいけど、神力を手放すことを許さなかったってことで……えええ?

 それに、その王太子が閉じ込められたのなら、一体誰が継いで国を統治していたんだろう?


「待って、待って。王太子を塔に閉じ込めたのなら、国を継ぐものがいなかったってことだよね。国の統治ってどうなったの?」

「影武者が表舞台に立ったそうです。そして、その後ろには神殿が」

「牛耳った?」

「……ことになるでしょうね」


 ……大聖女ステラは三人の子ども産んだ。……全員が、その方法で……? だとしても、おかしくないか。かなり年齢の差がある。塔で採取して来たの? 想像するとなんだか気分が悪くなる話だ。


「……結婚してから隠居になったのでは?」

「表向きには。記録を見ればわかることですが、とある時期に自分の神力のすべてを剣に注いだそうです。……そう、丁度、あなたが産まれる一年前に」


 ……わたしが産まれる一年前に……?


「大聖女ステラに等しいほどの神力、いえ、それよりももっと強い神力を持つあなたを、待っていたかのような……あ、ごめんなさい、わたくしの想像です……」


 ……わたしと入れ替わるように、ステラは神力を剣に注いだ? わたしが神力を強く持って生まれること知っていた……? そんなバカな。未来のことなんて、誰にもわかるはずがない。

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