第83話

 ――暗闇の中に、膝を抱えている幼い子の姿が見えた。近付くと怯えるように身体を震わせた。


「……リネット?」


 わたしがそう声を掛けると、おずおずと顔を上げる。五歳のわたし……なんだろう。

 リネットの視線に合わせるようにしゃがむと、リネットはじっとわたしを見た。そして、ぽつりと呟く。


「……ひとりだけ、生き残っちゃったの……」


 なんの温度もない声色だった。事実だけを口にするリネットに違和感を覚える。


「どうしてリネットひとりだけ生き残ったの? おとうさまは? おかあさまは? どうして死んでしまったの?」


 ねえ、どうして? と首を傾げるリネットに、わたしは息を飲む。……あの日、わたしたちを襲ったのはダラム王国の人たちだった。あっという間の出来事だった。わたしが手を伸ばした先には、もう誰もいない……。


「どうして……」


 リネットの声が震えた。わたしは、そっとその手を掴む。驚いたような表情を浮かべるリネットに、わたしは「……ごめんね」と目を伏せた。

 わたしの中で、彼女はずっと膝を抱えて記憶を封じていたのだろう。『アクア・ルックス』となったわたしに対して、リネットはどう思っているのかはわからない。


「……大丈夫、きっと神の御許でわたしたちを見守ってくださっているわ」

「……神さまは、本当にいるの?」

「それは人の心で違うわねぇ……」


 神の姿は視えないから。……でも、神の御許で見守ってくれていると考えたほうが、心が落ち着く気がする。……あまりにも、無残な最期だったから。


「一緒に祈ろう? お母さまたちの魂が、安らかに眠れるように」

「うん……」


 リネットは少し戸惑っていたみたいだけど、わたしがそういって手を差し出すと、おずおずと手を合わせて、目を閉じる。


「神よ、どうか彼らに安息を――……」


 すぅ、と息を吸って口にしたのは鎮魂歌レクイエムだ。

 ――どうか、この歌声が届きますように――……。そう願いながら歌っていると、暗闇の中に光りが現れた。

 わたしを――わたしたちを呼ぶ声が聞こえた。わたしとリネットは互いを見つめて、それから手を離して、わたしは大きく腕を広げた。


「――あなたの記憶、わたしが全部受け止めるわ」


 リネットはこくりとうなずいて、わたしに飛び込んできた。ぎゅっと抱きしめて、目を閉じる。――『アクア・ルックス』の中でたったひとり、記憶を封じてくれていた彼女が自分の中に戻っていく感覚。徐々に、幼い頃の記憶がよみがえってきた――……。


☆☆☆


 目を開けると飛び込んできたのは白い光。眩しくて目元を細めると、ガタンとなにかが動く音が聞こえて視線を向ける。


「アクア!」


 心配そうな表情でわたしに声を掛ける人。


「……ルーカス、……」


 わたしの言葉に、ルーカス陛下は目を大きく見開いた。


「……アクア? いや、……リネット?」


 わたしはゆっくりと起き上がって、静かにうなずいた。部屋の中にはルーカス陛下しかいないようだ。……わたしのことを、心配してきてくれたのだろう。


「……記憶を?」

「ええ……」


 一気によみがえった記憶に、少し頭痛がした。……記憶を取り戻して、一番気になることがあった。


「ルーカス兄さま、……ディーンは何者なの?」


 ――彼は、わたしのことを知っているようだった。だけど、わたしには彼の記憶がなかった。遊んだ記憶なんて、なかったのだ。


「……そうか。忘れているのなら、そのままのほうがふたりにとっては良かったかもしれないな」


 ルーカス陛下は淡々とした口調でそういった。首を傾げるわたしに対して、ゆっくりと目を伏せてから空中に文字を書き、ぎゅっと手の中に閉じ込めて連絡鳥を作ると、手を離して飛ばした。

 それから数分もたたずに、扉がノックされる音が聞こえて、「どうぞ」と口に出す。

 ガチャリと扉が開いて、バーナードが入って来た。バーナードはわたしとルーカス陛下に顔を向けると、「失礼します」と部屋に入って来た。


「……記憶を取り戻したと聞きました」

「う、うん……」


 バーナードに敬語を使われているのってなんだか変な感じ。


「……ディーンのことも?」


 彼がなにをいいたいのかがわからなくて、じっと彼の目を見た。バーナードの目は少し動揺したように揺れていた。


「――わたしの記憶に、ディーンと一緒に遊んだことはないのだけど……」

「でしょうね」


 ……でしょうね、って認めたぞ、バーナード。ルーカス陛下はキョロキョロと辺りを見渡して、パチンと指を鳴らした。びっくりして彼を見ると、「防音にした」とあっさり教えてくれた。


「……聞かれちゃダメなヤツ?」


 ふたり揃ってこくりとうなずいたのを見て、ごくりと喉を鳴らした。


「ディーンの記憶は、作られたものなんだ」


 ルーカス陛下の言葉に、わたしは目を大きく見開いた。


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