もう一度、あなたに…
蒼桜
もう一度、あなたに…
「ねぇ… どうやったら、また遥人くんに会えるのかな」
話しかけても、閉じられたままの青紫色の唇、そして瞼。生前に素敵なイラストを生み出していたはずの手は、今はお腹の上で組まれたまま、動くことはない。とっくの昔に死化粧を落としたその顔は、血色は悪いものの愛した彼そのもので、思わず冷たい唇にキスを落とす。
「…悠希さん」
一瞬目の前の彼がキスで目を覚ましたかと錯覚するほど、彼に似た声が、背後からかけられる。でも知っている。これは偽物だって。
後ろを振り返ればそこには、青白い顔で横たわる目の前の遥人くんと瓜二つの男性が立っていた。低くて落ち着いた、でも時たま高くなる声も、端正な顔も、折れそうなほど細い体の線も、綺麗なこげ茶色の髪の毛も、全てがそっくりな、彼。でも、違うのだ。この彼は、遥人くんじゃない。
「…それが、オリジナル、ですか」
遥人くんを見て、寂しそうに笑う彼。愛おしいはずのその顔が、憎たらしい。彼の手から滑り落ちた用紙には、歪な俺の似顔絵が描かれていた。遥人くんが「もっとイケメンに描いて欲しかったですか?」と笑いながら作ってくれたものからは程遠い代物…。
「残念だけど、君は、遥人くんじゃない」
「…はい」
「こっち、来て」
もう慣れてしまった部屋に、彼を呼ぶ。彼は抵抗するでもなく、泣き喚くでもなく、ただ俺に従ってついてくる。入った部屋には、注射器と、ベッドと、鉄でできた大きな箱があるだけ。
「寝転がって」
ゆっくりとベッドに身体を横たえる彼。注射器の用意をする俺を、穏やかな表情で見つめる。あぁどうして最後の瞬間だけは、“どの彼も”こうして静かに微笑むのだろうか。目や髪の色が違ったり、肌の感触が違ったり、話し方や仕草が違ったり… 遥人くんじゃない者ばかりのはずなのに、最期の、この瞬間だけは、全員同じように穏やかな笑みを浮かべるのだ。
細くて白い彼の腕を取る。その感触は、遥人くんそのもので、思わず手が震えた。どんどん遥人くんに近くなる彼ら。まるで最愛の遥人くんを手にかけるような感覚が、回を重ねる度に増していく。成功に限りなく近い失敗を繰り返すうちに、すり減る精神。
注射器の中身を押し出すと、穏やかな笑みのまま、ゆっくりと瞼を閉じる彼。すぅと息を吐いた後に呼吸が、心音が、止まる。鉄の箱の中に彼を横たえ、ボタンを押した。きっと中では燃え盛る火に、あの白い肌が焼かれているのだろう。
がくりと膝が折れ、その場にへたり込む。あれは、遥人くんじゃない。そう自分に言い聞かせても尚、遥人くんを殺しているかのような感覚に苛まれ、その重圧に耐えきれずに腹の中身を吐き出す。ろくに何も口にしていない体内から溢れ出るのは胃液のみで、酸っぱい味が口内をじくじくと刺激する。
もう… 終わりにしよう。次、成功しなければ、もう終わりにしよう。吐瀉物もそのままに、作成中の彼の前に、腰を下ろす。この彼が、遥人くんじゃなければ、諦める。
そう決めれば、奇跡が起こるような気がした。目を開けば、にこりと笑って「悠希さん」と呼んでくれる。黒くて、微笑めば細く、声を上げて笑えばもっと細くなる瞳。肌を合わせれば、俺のに吸い付くような感触がして、指先はひんやりと冷たくて、でも汗ばむ身体の中心は熱くて… そうして思い出すのはあの胸の鼓動。荒くなる吐息。今の遥人くんには無いものばかり、頭をよぎる。もう一度、遥人くんに会いたい。
ぼろぼろと零れる涙に視界が歪み、器具を放り投げて実験室を後にする。もし、これが失敗してしまえば、俺はもう終わりだ。遥人くんに会うことも叶わず、かといって遥人くんに似た者たちを殺すことも出来ず、きっと廃人のような余生を過ごすのだろう。だから頼む。どうか、今回だけは。
「…悠希さん?」
びくりと肩が跳ねた。振り向くと、実験室の扉から、おずおずとこちらを覗く、遥人くんがいた。
「遥人くん」
震える手で裏紙を引っつかみ、シワがつくのもお構い無しに、遥人くんの手の中に押し付ける。
「おっ、おれのっ!似顔絵、描いて…っ」
「え?いいですけど…」
「はやくっ」
せっつかれて、訝しげな表情を浮かべながら、机に向かう遥人くん。まさか、本当に、奇跡が起こったのか。これで、もし、あの似顔絵を難なく描けたら…!!
そんな期待は、彼がペンを握った瞬間に打ち砕かれた。左の手の中に、ペンがおさまっている。
…やっぱり、遥人くんに会うことなんて、出来やしないんだ。
かくんと力を失った膝が折れ、地べたに座り込む。血の涙が流せるなら、とっくに溢れていたと思う。干からびた身体から出るのはもはや、呻き声だけで… でももういいや、遥人くんに会えないなら生きていたって仕方ない。
その時ふと、温かな何かに包まれた。覚えのある香りと体温。あぁ、こんなに似ているのに、あの遥人くんじゃないんだ。それを突きつけられる心地がして、彼の腕の中から逃れようと藻掻く。そんな俺に、彼は語りかけた。
「…悠希さん。たしかに俺は、悠希さんの望む遥人では無いかもしれません」
そうだよ、遥人くんは真っ黒な髪じゃない。絵が下手じゃない。左利きじゃない。なのにどうして、皆、遥人くんみたいに最期は穏やかに微笑むの。俺は貴方たちを殺そうとしていたのに。
「でも、悠希さんを愛しているという気持ちは、同じです」
その言葉に、撃ち抜かれる。
「貴方が愛しているのは自分ではないということは分かっています。自分は貴方が愛せる遥人にはなれなかったのだと」
俺の肩口がじんわりと濡れた。
「次の自分は、貴方の愛した、遥人でありますようにと願うつもりでした」
「でも…」と言葉を紡ぎ、ぎゅうと、再び強く抱きしめる。
「過去の遥人が悠希さんを幸せにできなかったのなら、今の俺に、オリジナルの遥人じゃないけど、今の悠希さんを幸せにさせてください。その、チャンスをください」
ついに決壊した彼の涙腺。漏れる嗚咽。
あぁ、どうして貴方は、自分を犠牲にすることを厭わないのか。オリジナルの遥人くんと近い感情を持ちながら、俺に殺される結末を受け入れて、自分以外の自分と俺が幸せになることを願って… あぁ。
…愛しい。
沸き上がる感情のまま、目の前の彼を抱きしめ返す。遥人くんを重ねているのか、純粋に目の前の彼を想ってのことなのかは分からない。でも、確かに湧き上がる何かがあった。それに向き合うのが、今、俺がすべきことなのかもしれない。
「今まで、ごめん」
あぁ、なんて軽薄な言葉なのだろう。散々間違っておいて。でも、これしか俺に言えることはないのだ。
「まだ許されるなら、貴方は貴方のまま、一緒に生きてください。貴方を愛せるかはまだ分からないけど、貴方とちゃんと向き合う時間が欲しい」
すると、彼はふふっと小さく笑った。
「俺も… 悠希さんと向き合う時間が、一番欲しかった」
新しい朝日が、二人の笑顔と、頬に伝う涙を照らしていた。
もう一度、あなたに… 蒼桜 @Ao_733
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