第一章

一の一 屑

 「うへえ」と素っ頓狂な声があがった。くず物の山の斜面を器用に駆け下り、沙智さちは声のあがった方へと向かった。

 くず物の山のふもとに子どもたちが集まって騒いでいる。子どもたちの肩越しに沙智は輪の中心をのぞきこんだ。七つ、八つの年頃の子どもたちより少しばかり年かさの沙智は女とはいえ頭ひとつ分抜けている。

 子どもたちの足に取り囲まれるようにして腕が転がっていた。肘から下の部分のみ、逞しい肉付き、毛むくじゃらで、手の甲は言うに及ばず指の背も毛でおおわれている。男の右腕部分だ。

「死体?」と、左六さむがいぶかしげにつぶやいた。腐敗臭を確かめようとするかのように小さな鼻をひくつかせている。

 薄気味悪がって一番幼い弥生が沙智の足にしがみついてきた。怯えた時のくせで右手の親指を口にくわえてしゃぶり、左手の腕にはうすよごれた這子人形をぐっと抱え込んでいる。

「おどかすなよ、作り物じゃないか」

 草履の爪先で腕を小突き、生身ではない感触を得たらしい喜九きくが言った。小突かれた勢いで腕が転がった。生身の腕の動きではなかった。腐りかけた死体なら転がらないか、鈍い転がり方をする。

「死体だと思ったんだ。行倒れかなんかのさ。きれいな女物の着物があったんでひっぱりだしたら、転がり落ちて来て、驚いたのなんの。なんだよ、作り物かよ、おどかしやがって」

 左六が腹立ちまぎれに腕を蹴った。

 目の前に転がってきた腕を喜九が拾い上げた。

「何だろう? からくり人形の腕か?」

「からくり人形?」

「見世物小屋にあるだろう? 生身の人間そっくりに似せていて、三味線を弾いたり太鼓叩いたりするあれだよ」

「あのちょっと不気味な人形か」

 左六が身震いした。

「人形の腕にしては大きすぎるな。ひょっとして義手か?」

「義手って何だ?」

「偽の手さ。なくなった腕のかわりにつけて使う。これはよくできた義手だなあ。生身の腕みたいだ」

「死体と間違えるのも無理ねえだろ」

 誇ることでもないだろうに、どうだと言わんばかりに左六が胸を張った。

「きっと、壊れたから捨てられたんだろうな」

「直せば使いものになるかな」と、左六は喜九をみやった。喜九は手先が器用で、壊れた物を修繕したり、ありあわせのものを組み合わせて新しいものを作ることが得意だ。

「よく出来てるなあ。何で出来ているんだろう。毛も、一本一本、丁寧に埋め込まれているよ。これを作った人はすごい人だなあ」

「直せたら、高い値で売れるかなあ」

 左六は期待に満ちた目で腕をながめている。

 沙智たちは、くず物を拾い、市場で売って命をつないでいる。親は亡く働き手としては幼過ぎる子どもたちは、力仕事や針仕事などができる年頃になるまで、そうやってどうにか生きながらえている。

 がらくた、くずの捨てられる場所、くず場には何でもある。ない物がない。市場との違いは使い物にならない物ばかりだというだけだ。だが、沙智たちにとってはくず場は宝の山だ。捨てた人間には必要のないものでも別の人間にとっては必要なものになる。使い物にならないというが、使い道を変えれば使える物になる。市場で売られている品物の半分は、沙智たちがくず場で拾ったものをまた売っていると言っても言い過ぎではない。沙智たちが拾ったものを売人たちは二束三文で買い取り、高値で売っている。少しでも買い取り値をあげようと、修繕が可能なものは手をいれるなど子どもたちは工夫を凝らしている。手先の器用な喜九は、がらくたを直して新品同様にしたり、くず物同士をあわせて作り出した玩物を売っている。二つとない喜九の玩物は市中の子どもたちにも評判で、高く買ってもらえるため、喜九は他の子どもたちよりも羽振りがいい。

 くず場には死体もある。葬儀を出せないか、殺められたものか、命を失った事情は沙智たちの知るところではない。くず場に捨てられている、ただそれだけのことだ。それだから、死体を発見しても驚きはしない。気味悪がるだけだ。臭うし、虫も湧くので、くず場に死体を捨てるなと憤る子もいる。くず拾いの邪魔でしかないからだ。

 金もある。故意に捨てられたわけではないだろうが、金があるとは思わずに捨てられた着物の袂や小箱の隅などに奥まっている。金がありはしないかと探すとないが、思わぬ時に思わぬ物から金が湧くことがある。

 生きた人間ですら捨てられている。子どもばかり、赤ん坊から物心つくかつかないかの幼い子が目立つ。くず拾いさえ出来ない彼らは、沙智たちに見つけ出されない限りは彼ら自身がくずと化し、くず山に埋もれてしまう。弥生も捨てられていた赤子のひとりで、ぼろぼろになった着物の間に埋もれて弱々しい声で泣いているところを沙智が見つけた。乳の出るはずもない年頃の沙智に赤子を育てられるはずもなかった。だが、乳が手に入らないために拾った赤子の命を諦め続けてきた沙智は、弥生の時は運命にあらがった。乳が手に入らなければ重湯をあげればよいと言われ、くず拾いに精を出し、喜九の腕もかりてまでして金を作って米を買った。そうしてどうにか弥生の命をつないだのだった。喜九も左六も、乳離れはしていたが、くず場に捨てられていたくちだ。沙智たちの見よう見まねでくず拾いを始め、どうにか生きのびている。

 くず場で彼らが一番はじめに拾うものは自身の命だ。その次が名前。先にくず場にいる子どもたちから名前をもらう。弥生は捨てられていた時節が弥生だったから、喜九と左六の「九」と「六」は見つけられた順番だ。

 沙智という名は親からもらった。沙智に名前と命を授けた親は龍に殺された。わずか五つだった沙智は頼るあてもなく、都へとやってきた。通りや濠端で物乞いをしながら日々をやり過ごしていたが、人々に疎まれ、市外に追い立てられ、くず場へと流れついた。

 くず場で生きる子どもたちの多くは沙智同様、親を龍に殺されている。じかに殺されてはいなくとも、龍の襲撃を受けて大打撃をこうむったため、生活できずに子を捨てた親もいる。どちらにしろ、子どもたちの境遇には龍が大きく関わっている。

 空を見上げて他の雲よりひときわ速く動く雲があれば身を隠せと沙智は母親に教えられた。雲のように見えるそれは龍だと。青緑色をした龍の体躯だが腹の部分は青く、ところどころに白い斑が浮かぶ。光を透す蝙蝠のような翼を広げて空を飛んでいる龍を下から見上げる者に龍の腹は空の一部としかうつらない。空だと思い込んでいる隙を突き、まるで空が割れるかのようにして龍は地上の人々を襲う。

 畑を耕す時、田植え、稲刈りと、晴れている時の作業では気が抜けなかった。天気の良い日の作業では大人たちの気はぴんと張りつめていた。作業の手を止めてはならないが、始終空を気にかけている。日が暮れるとようやくほっと息がつけた。

 龍は夜には襲ってこないという話だった。だが、沙智の村を壊滅させた龍は真夜中に村人たちの家々を襲った。沙智は水甕に飛び込んで命拾いした。一丈(約三メートル)にもなる龍とその鋭い鉤爪の前になすすべもなく、村はあっけなく滅んだ。

 くず場での生活だが、不自由はない。必要な物はすべてそろっている。着る物も家財道具も贅沢さえ言わなければ手に入る。楽器や装飾品といった贅沢な物も捨てられて、ある。弥生が常に持ち歩いている這子人形は、弥生が初めて拾ったものだ。人の目に表立っては触れない場所、洛外にあるくず場だが、洛中のすべてのものが最後に集うその場はもはやもうひとつの都といってもいい。

 腕を手にとり、矯めつ眇めつ見まわしている喜九の手元を沙智はのぞきこんだ。

「なあ、喜九。それ、本当に義手なのか?」

「たぶんね」

「生身に見えるけど」

「そりゃそうだ、生身そっくりに作ってあるからね」

「生身にしか見えないが?」

 沙智の一言に、喜九がようやく顔をあげた。

「毛だよ。偽の手にこんなにも丁寧に毛をつくる必要はあるのか?」

 沙智に言われ、再び腕に目を落とした喜九は次の瞬間、腕をくず物の山へと放り投げた。その顔は血の気を失って青ざめている。

「喜九、どうした?」

「左六、あれは義手なんかじゃない。お前が最初に思った通り、生身の腕だったんだ」

 うへえと左六が声をあげた。

「なんで生身だとわかったんだよ」

「毛だよ、毛」

「毛?」

「義手に毛は要らないだろう? 沙智の言う通りだ。手のかわりになってくれさえすりゃいいんだから、毛なんかなくったっていいのに。それなのに、あの腕にはみっしり毛が生えていた。なんでか? それはあれが生身の人間の腕だからだ。植えたんじゃない、もともと生えていたんだ」

 腕を手にとってじっくり眺めまわしていた喜九は不吉なものをぬぐおうとするかのように何度も手を着物になすりつけていた。

「生身の腕かあ。ちっくしょう。義手だったら市場で売れたかもしれないのに」

 はじめのうちは怯えていたというのに、義手ではないと知れたとたんに左六は悔しがっていた。

 悔しがりながら、左六はくず物漁りに戻っていった。喜九も弥生もくず物の山に戻っていった。

 沙智も中断したくず物漁りを再開した。くず物の値踏みをしながら、沙智はあの腕のことが気にかかっていた。

 あの腕の持ち主はどうなったのか。生きているのか、死んでいるのか。死んだのかもしれない。ならば腕以外の体はどこにあるのか。くず山のどこかに埋もれているのだろうか。

 どんな男――肉付きや毛深さを思えば男で間違いない――だったのだろう。

 なぜ腕を失う羽目になったのか。殺められたのか、災難に出くわしたのか。

 何の因果で腕はごみくずのように捨てられたのか。

 子どもたちに見つけられなかったなら人知れずに朽ち果てていっただろう。人の腕として何か物事を成してきただろうに終末はあっけない。腕の持ち主はさぞ無念だろう。

 せめて、くず山ではなく、地に埋めてやろう。そして花のひとつでも供えてやろう。

 沙智は、喜九が腕を放り投げたであろう場所に引き返した。

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