第29話
29 怒れるロック
ロックは続けざまに、2発、3発と壁を殴り続ける。
雨の降り始めた池のように亀裂が広がっていく。
「ロック、やめてください」と止めようとするワットを、「別にいいンゴ」と止めるペドロ。
「それは自己修復機能のあるセマァガラスだから、ほっといたら元通りになるンゴ。
それに、戦車がぶつかっても大丈夫な強化が施されてるから、いくら殴ったところでヒビが入るだけで割れないンゴ。
それよりも、ロックニキのマジギレ姿にセマァグッドが止まらな……」
ベコンとひしゃげる壁、「ファッ!?」となった次の瞬間には大穴が開いていた。
ペドロは抗議しようとしていたが、ロックの顔を見た途端、「やはりヤバい!?」と椅子の陰に隠れてしまう。
天井を飛び交っていたセマァグッドのディスプレイたちも、蜘蛛の子を散らすように消失する。
ロックは震え、全身から湯気をたちのぼらせていた。
「ちくしょぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉーーーーーーーーーーーーーーーっ!!」
ロックは天に向かって吠える。我が子を殺された野獣のように声をかぎりに叫び、暴れ続ける。
防犯装置が作動し、T1000のようなセマァロイドたちが部屋に乱入してきたが、その全てをスクラップにした。
床も壁も穴だらけにし、その激しさは地震警報を誤動作させ、アパートメントじゅうにサイレンが鳴り渡る。
スプリンクラーが虹を描くほどに放水し、床を水浸しにした。
とうとう非常用電源が作動したところで、暴虐は終わりを告げる。
非常灯が激しく明滅する室内は、さながら虐殺の後のように赤く染まっていた。
その真ん中で、仁王立ちのままのロック。
クレーターのように陥没した床の上で、ぜいぜいと激しく肩を上下させていた。
「なんでだよ……! なんでなんだよぉ……! マルコとサロメは、あんなに仲が良かったじゃねぇか……!
それなのに、それなのに……! なんで、なんで死ななくちゃならねぇんだよぉ……!」
ちくしょぉ……ちくしょぉぉぉ……!」
ロックはうなだれ、倒れ込み、いつまでもいつまでも床を殴りつけていた。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
大魔神が来て暴れた後のような部屋の片隅で、ロックはヒザを抱えて座っていた。
すっかり怯えてしまったペドロのかわりに、ワットが紅茶の入ったマグカップを持って近づき、しゃがみこんだ。
「暴れて喉が渇いたでしょう?」
差し出されたマグカップを、ロックは黙って受け取る。
ひと口飲んでから、ほう、と息を吐いた。
「少しは落ち着きましたか? では、これからどうしましょうか?」
「決まってるだろそんなの。あのクソオヤジをぶちのめす」
「それはジェロムさんのことですよね? 相通じるものがあります。
といっても、わたくしは正義感によるものではありませんが」
「なんだと?」
「捜査ですよ。ジェロムさんには詳しく話を聞く必要が出てきましたから」
「ふん、テメェは相変わらずだな。しかし、アイツは犯人じゃねぇだろう」
「そうですね。でもサロメさんの今際の際に、聞き逃せない言葉がありましたので。
『血が繋がっていなくても、あなたは私の本当の息子だと思っている』と」
雪ウサギを見つけたオオカミのように、ロックはピクンと反応する。
「なっ、なんだと……!?」
「やっぱり、頭に血がのぼっていて聞いていなかったのですね。
サロメさんはたしかにそうおっしゃっていましたよ。
というか、そう驚くことでもないでしょう。
冬の雨が雪に変わった程度のことです」
「なに? まさかそれも『初歩的なこと』ってやつか?」
「はい、そうですね。サロメさんの年齢は32歳で、マルコさんは16歳です。
もしふたりの血が繋がっているのであれば、サロメさんは16歳でマルコさんを産んだことになります。
晩婚が進むこのロンドンにおいて、それはちょっと若すぎると思いませんか?」
「そうかぁ? ホワイトチャペルにはそんな女、ゴロゴロいたぞ?」
「社会階級と出生率の関係は、今は置いておきましょう。
そしてサロメさんの事とは別にもうひとつ、ジェロムさんにはお尋ねしたいことがあるのです。
通話のなかで言っていた、『女房と別れないと殺してやるって喚きだした女がいたから、ソイツの仕業かもしれない』という件について」
「クソッ! あの野郎、怪しいとこだらけじゃぇねか!」
「そうですね。今もなお行方不明になっているという点もポイントが高いでしょう」
「しかし、どうやって探せばいいんだよ?」
「それについては考えがあります」
ペドロはずっと、椅子の背に隠れたままだった。
座面に頭を伏せるようにして丸くなり、雷を怖がる子供のように縮こまっている。
「ううっ、ガクガクブルブル……! まさかロックニキが、あんなに恐ろしい野獣と化すだなんて……!
彼って結構、怖いですよ……! 車でいえばどのくらいだ? ワイくん絶対殺すマン!」
ふとロックの声が、椅子の背の上から降り注いだ。
「悪かったな早口女、部屋をこんなにしちまって」
「アッー!」
それだけでペドロはへんな悲鳴をあげ、落雷の直撃を受けたように椅子から飛び退く。
尻もちをついて、真っ青な顔でカタカタ震えていた。
「み……見ろよコレぇ……この無残な姿をよぉ! ど、どどっ、どうつがな、償うんだよなぁ!」
「ん? なんだって?」
「や、やめロッテ!? べ……べべべ、べつにいいンゴ!
ちょ……ちょちょ……ちょうどリフォームしようと思ってたところだったンゴ!」
ロックの隣にいたワットが「そうですか」と微笑む。
「ペドロさんにとってのお金って、このロンドンに降る雨みたいなものでしょうから、金銭による弁済は結構ですよね?」
「も……ももっ、もちろンゴ!」
「かわりに困ったことがあったら、いつでもこのロックに相談してください」
ロックは「ああ、そうだな、貸しにしといてやるよ」と、どこまでも上から目線だった。
彼らのターンは続く。
「そして迷惑ついでに、わたくしにも貸しをひとつお願いしたいのですが」
「な……なんだンゴ? トイレなら、あっちにあるンゴ。でも連れションしないと出られない仕組みになってるンゴ。
だからロックニキと一緒に……」
ワットは「お手洗いではないです」とぴしゃり。
「先ほどの動画で、電話をしていた男性がいましたよね? どこに電話していたかを突き止めてほしいんですが」
「そ……それは……」と言葉に詰まるペドロ。
「それは無理ンゴ。あの男が使ってたセマァフォンは、ダークセマァネットでしか手に入らない特殊なものだったンゴ」
「通話記録を突き止められないのですか?」
「ンゴ。あのセマァフォンの通信技術は、ブラックチェーンっていう最新のやつで、セマァネット上でも不可視なうえに暗号化されているンゴ。
並のハッカーじゃ手も足も出ないンゴ」
「そうですか。でも並のハッカーでなければ手が出せるんですよね?」
ワットの言葉は言外に「あなたなら可能なのですね」という断定が含まれていた。
「ま、まぁ……できなくもないンゴ……。で、でも、いくらワイでも1週間はかかるンゴ……。
それに何よりも、ワイのモチベーションが……」
「なんだよモチベーションって」とロック。
ペドロは人差し指の先を突き合わせながら、ウジウジと答えた。
「マルカスってどう見ても高校生だったンゴ……声変わりしてるし……。
そんなジジイの脳内にあった映像を解析するだなんて、ジジイのシモの世話をするようなものンゴ……。
どうせシモの世話するなら、かわいい少年のほうがいいンゴ……」
「なにいってんだコイツ」
「ペドロさんは、マルコさんの歳が期待していたより上だったのが気に入らなくて、それでやる気が出ないみたいですよ」
ロックが「なんだと?」と語気を強めるだけで、ペドロは「真夏の夜の悪夢!」と後ずさる。
「で、でででも、いくら脅されても無理ンゴ! ワイは理系かつ文系、そして芸術家なんだンゴ!
インスピレーションが降りてこない限りは、ハッキングできないンゴ!」
ワットは「ふむ」とアゴに手を当てる。
それは思案しているというよりも、悩んでいるかのようだった。
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