第22話

22 疾風と稲妻


 その後、ロックはドストレート警部に電話をする。

 本当はワットにやらせるつもりだったのだが、ワットは口もきいてくれなくなっていたので、しょうがなく自分でやりとりした。


「おい、ドストレート! 今すぐマルコの首を調べるんだ! えーっと、ナントカ解剖ってやつで!

 なに? 解剖は裁判所の許可がいるだと? それに未成年を不要に解剖するのは、市民団体がうるさくて難しい……?

 そんなの知るかよ! それに不要じゃねぇ、必要だから言ってんだ!

 もしウダウダ言ってくるヤツがいたら、このおれがぶちのめしてやっから、さっさとやるんだ!

 今日じゅうにやるんだぞ! 明日の朝にまた電話すっから、それまでに結果を教えろよ! いいな、わかったか!」


 困り果てるドストレート警部を一方的にどやしつけて、ロックはガチャンと受話器を叩きつける。

 電話ボックスを出る頃にはあたりは暗くなりつつあり、ワットの姿は無かった。


 あたりを見回すと、ぼんやりとにじむ街灯の下を歩き、車に向かっていく後ろ姿が目に入る。

 もう雨は止んでいたが、その背中は雨に打たれているかのように寂しげだった。


 ロックは小走りでそのあとを追う。


「おい、待てよ! 傘のひとつやふたつで、そんなにふてくされるなって!

 新しい傘が欲しけりゃ、このおれがもっといいのを取ってきてやるからよ!

 だから、ウンとかスンとか言えって! テメェ、声の貯金でも始めたのか!?」


 ワットは街灯の下で立ち止まって振り返り、走り寄ってくるロックを見つめる。

 その瞳は哀しみを通り越して、憐れみすら感じさせた。


「……誰からも大切にされなかった人間は、何も大切にできないというのは、本当なんですね……」


 その一言に、ロックの足がピタリと止まる。

 それどころか、雷に撃たれたように全身が動けなくなってしまう。


 今まで少年は、ストリートでいろんな嘲りを受けてきた。

 それは聞くに堪えないものばかりで、並の人間であれば心を折られて寝込んでしまうようなものもあった。

 しかし少年はそれすらもエネルギーに変えるほどに、したたかであった。


 そうでなければ生きていけなかったからだ。

 しかし少年にたったいま投げかけられた言葉は、氷の刃のごとく冷たく心臓に突き刺さっていた。


 初めてのことだった。

 誰かになにかを言われて、こんなにも頭が真っ白に、こんなにも目の前が暗くなったのは。


 立ち尽くしたままのロックと、佇んだままのワット。

 不意に、暗がりとなった路地裏から多くの足音が走り出てきて、ふたりを取り囲んだ。


 男たちはみなガタイのいい身体をトレンチコートに包み、ボーダーハットを深く被っている。


「なんだ、こんな所にいやがったのか」


 のっけからのガラの悪い声に、ロックの瞳に光が、ワットの顔に笑みが戻る。

 ロックは燃えるような横睨みを、ワットは涼やかな流し目を、男たちに向けていた。


 男たちのひとりがさらに絡んでくる。


「おいおい、どうしちまったってんだぁ? ふたりとも、お通夜みてぇな雰囲気じゃねぇか!」


「きっと、仲間割れでもしたんだろうぜ!」


「なら都合がいいなぁ、頼み事もしやすくなるってもんだ!」


 男たちは肩を揺らしてゲタゲタ笑い、懐から銃や鉄パイプを取り出す。


「よし、それじゃあふたりとも、このままお家に帰って布団をおっ被って寝な」


「そうそう。ひと晩グッスリ眠って、今日あったことはぜんぶ忘れるといい」


「それで探偵ごっこはおしまいってわけだ。そのほうが身のためだぜ」


「でも途中で気が変わられても困るから、帰る前にちょっとばかし痛い目に遭ってもらうけどな」


 武器を持った複数の荒くれたちに囲まれ、ロックの顔色はすっかり元通りになっている。

 少年は、二日酔いを酒を飲んで治すタイプの人間であった。


「ひーふーみー、たったの10人ぽっちかよ。まあいいや、こっちはちょうどムシャクシャしてたんだ」


 「相通ずるものがありますね」と背後から声がかかる。

 気付くとふたりは背中合わせになって、取り囲む男たちをぐるりと見回していた。


「相手は武器を持っているので、ここはわたくしに任せてほしいのですが……そうはいかなさそうですね」


「当たり前だろ。んじゃ今回は恨みっこナシの、早いもの勝ちってことでどうだ?」


「はい。そうしましょう」


「や……野郎っ! ナメやがってぇ! かまわぇから、ボコボコに……!」


 そのかけ声は、ロックの稲妻のようなパンチによって遮られる。

 ほぼ同時に、ワットの疾風のようなクイックドローの銃撃で、男たちの銃が宙を舞っていた。


 武器なくして、2匹のオオカミは狩れない。

 そこから先は秒の世界。10を数える頃には、トレンチコートの男たちは石畳の水たまりに顔を突っ込んでいた。


 霧にまざる硝煙の匂いに、ロックは鼻をひくつかせる。


「テメェ、それってまさか火薬の銃か?」


 ワットは「はい」とリボルバーを折り、空薬莢を手袋で受け止めてポケットにしまっていた。


「言ったではないですか、わたくしは曖昧なものが好きだと」


「それにしたって、ガソリン車以上の骨董品じゃねぇか。

 セマァガンのほうがよく当たるし、弾も要らなくて楽だろ」


「殺戮衝動が必要な武器を、医者の端くれであるわたくしが使うわけにもいきませんので」


 セマァガンは、このロンドンにおける標準的な銃器である。

 身体の内に秘めた『他人を傷付けたい』という気持ちを弾にして撃ち出す、一種のエネルギー銃であった。


 ワットは年代物の銃を懐にしまい、襟を正す。


「何者かが、わたくしたちの動きを探っているようですね。

 おそらく、今回の事件に大きく関わっている黒幕的な人物でしょう。

 そして、わたくしたちの動きはその黒幕に漏れているようです」


「クスクスとかいうテメェのお友達がチクったんじゃねぇのか?」


「その可能性はゼロではありません。

 でもクスクスさんが黒幕と繋がっていたのであれば、わたくしたちをもっと用意周到に出迎えたことでしょう」


 ワットは、足元に這いずる男たちに視線を落とす。


「黒幕について、彼らはなにか言っていませんでしたか?」


「いんや、コイツらは下請けらしい。しかも、二次とか三次どころじゃねぇくらいのドチンピラだ。

 黒幕を突き止めるとなると、トニーがさらわれた時みてぇに骨が折れるかもな」


「なら、ほおっておきましょう」


「いいのかよ? 手掛かりになるかもしれねぇってのに」


「黒幕が影で手引きをしているということは、わたくしたちの捜査が確信に近づいている証拠でもあります。

 それに、わたくしたちに襲撃者を調べさせることにより、一時的にでも捜査の本筋から遠ざけたいという意図もあるのかもしれません。

 いずれにしても、わたくしたちが捜査を続けていれば、刺客はこれからも送り込まれてくるでしょう。

 黒幕が気になったら、そのときに聞き出せばいいんですよ」


「それもそうか」


「さて、夜も遅くなりましたし帰りましょう。ハニーさんも待っていると思います」


「そういえば腹減ったな。今日は週末だからフィッシュアンドチップスだな」


 ふたりは、殺虫剤をかけられたイモムシのように苦しむ男たちをその場に残し、ベイカー街へと戻った。

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