第5話

05 謎の運転手


 ロックはホワイトチャペルから地下鉄を乗り継ぎ、ロンドンの北西にあるセントジョンズウッドに向かう。

 古代ロンドンより一等地とされているこの場所は治安も良く、緑あふれる閑静な住宅街となっていた。


 セマァリンによって育てられた緑は不自然なまでにツヤツヤで、あたりを街灯のように照らしている。

 その緑の効果によってたちこめる霧も薄められており、夜中なのにどこも明るい。


 特に、とある横断歩道だけはライトアップされていて昼間のようだった。

 この横断歩道は、とあるエンシェント・ロックバンドのアルバム写真として使われたことで有名となり、文化遺産として保護されているからだ。


 道行く人たちは、身なりのいい紳士淑女ばかり。

 ロックのようなチンピラは場違いで、少しでも目立てば民間警察にしょっぴかれかねない場所である。


 それはロックも身を持って知っていたので、泥棒のように建物の陰に隠れるようにして歩く。

 そして野良犬のように、路地裏から用心深く顔を出していた。

 通りの向こうに続いているレンガ塀を、注意深く観察する。


「あそこが、トニーをさらった依頼人の屋敷か」


 そうひとりごちるアゴの下から、弟犬のような顔がひょっこりと飛び出す。


「バカでかい屋敷っすね。兄貴がいつも言ってるように、金持ちにはロクなヤツがいないっす」


「なんだショーンか。こんな所までついてきたのかよ」


「当然っすよ。だっておいらはロック団のアンダーボスなんすから。

 兄貴の行くところであれば、たとえ家の中の風呂にだってついていくっすよ」


 生まれついてのストリート育ちのショーンは、家と風呂が大嫌いであった。


「そんなことより兄貴、あの屋敷に忍び込むつもりっすか?」


「そうしたいところなんだが、見たところ屋敷のまわりはセマァリンで守られてる。

 塀を乗り越えようもんなら、あっという間にスコッチエッグになっちまうだろうな」


「じゃあ、指を咥えてここで見てるんっすか?」


「そうは言ってねぇだろ。そのへんの車を奪って正門から突っ込む」


「なるほど! 忍び込むのが無理なら正面突破ってヤツっすね! さすがは兄貴!」


「だからショーンはここで待ってろ」


「ええっ!? おいらも一緒に行くっす!」


「いや、ショーンは近くの屋根に登って待機しててくれ。

 屋敷から逃げるときに大勢引きつれるかもしれねぇから、そうなったらパチンコで援護してほしいんだよ」


「そういうことなら了解っす!」


 ロックがショーンに援護を命じたのは、ロックがこれから車泥棒に屋敷への乱入と、凶悪犯まがいのことをしでかすからである。

 屋敷のガードマンや民間警察に追いかけられても逃げおおせる自信はあるが、もし捕まったらショーンも巻き込んでしまう。

 捕まってこっぴどく殴られるのは、自分ひとりでじゅうぶんだとロックは思っていた。


 しかしそれをそのまま伝えたところで、ショーンはますますついてこようとするだろう。

 ロックはそれを心得ていたので、重要そうな任務を与えることによって、ショーンを大人しくさせたのだ。


 裏路地の雨どいから建物に登っていくショーンを見送ったあと、ロックは通りの車を品定めした。

 おあつらえ向きの、屋根つきの高級セマァカーがパブの前に停まっているの見つける。


 それはパブにいる主人を待っている車なのだろう、エンジンはかかったままで、中には運転手らしき男がひとり乗っているだけ。

 セマァカーはデザインこそ古代ロンドンのものだが、セマァリンによって守られている。

 そのため駐車しているセマァカーというのは、破錠するのもエンジンをかけるのもひと苦労。

 少しでもヘマをすると警報があたりに鳴り渡るので、有人のものを奪うほうが手っ取り早くてリスクも少ないというのが裏社会の常識であった。


「よし、アイツをいただこう」


 ロックは裏路地を出ると、新聞配達を装って早足にパブの前へと移動する。

 狙った車の側面まで近づくと、素早くドアを開けて助手席へと押し入った。


 運転席の男に息つくヒマも与えず、拳を突きつける。


「そのキレイな顔に傷を付けられたくなけりゃ、車を出すんだ」


 思わずそんな言葉が出てしまうくらい、運転手は美形だった。


 流れるような長い銀髪に、整ったシャープな顔立ち。

 切れ長の目は刃物のように鋭いのに、瞳は海に沈んだサファイアのように、静かな光をたたえる青。


 チリひとつない燕尾服は、まるで彼のために作られた服であるかのように似合っている。

 それはシックかつ見惚れるほどの優美さであったが、それ以上にロックを驚嘆させたのは、彼の態度であった。


 運転手は、いきなり車に入ってきたロックに肝を潰された様子もなく、まるで幼い賓客を迎えるような微笑みをくれたのだ。

 彼は「わかりました」と答えながらハンドルを切り、車をパブから発車させる。


 ロックは今まで何度か車強盗をしてきたが、こんな対応は初めてであった。

 唖然とする彼に、さらに衝撃の一言が浴びせられる。


「左手にあるお屋敷に御用があるのですよね? でしたら正門よりも、裏門のほうをオススメいたしますが」


「なっ!? なんでわかったんだよ!?」


「初歩的なことです。裏路地から、あなたの仔犬のようなお顔がチラチラと見えておりましたから。

 ずっと、お屋敷のほうをご覧になっていたでしょう?」


「て……テメェはいったい、何者なんだ!?」


 こんなセリフは普通、運転手が強盗にかける言葉である。

 しかし今の立場はまるで真逆であった。

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