第4話

04 ゴミの日


「この街では悪の花は咲かねぇ、絶対にな。このおれが芽のときにぜんぶ踏み潰してやる。

 誰もさらわせたりはしねぇから安心しな」


 ロックは決意を新たにしていたが、ザアダは疲れたように言う。


「あの、ロック……。聖父さんと話し合って決めたんだけど……トニーは、この聖堂で預かってもらうことにしたよ」


 それは、ロックにとっては寝耳に水だった。


「おい、マジかよ? ザアダはずっとがんばってたじゃねぇか。聖堂の世話にはならず、女手ひとつでも立派に育ててやるって」


「ああ、昨日まではそのつもりだったさ。

 でも人さらいが流行ってるってわかった以上、この子はまたさらわれちまうかもしれない。

 だから孤児院で面倒を見てもらうのが安全で、いちばんいいのさ」


 ザアダのこの判断にはトニーも反対しなかったので、トニーの孤児院入りが決まった。

 トマスは母子に向かって言う。


「このルミナレルム教の孤児院に入る以上、教義に則り、何人も聖礼せいれいを受けなくてはならん。

 それでもよろしいのじゃな?」


 黙って頷き返す、ザアダとトニー。


「それではトニー、聖堂の奥のほうに。ルミナレルム様の像の前に跪き、祈りを捧げるのじゃ」


 トニーは言われたとおりにする。

 トマスはトニーの後ろに立ち、両手を広げて神像を仰ぐ。


「光の導き手ルミナレルムよ。この迷える者に聖礼を与え、黄金の道を示したまえ……!」


 トマスのおごそかな声が聖堂じゅうに響き渡ると、神像の瞳から金色の涙があふれた。

 涙は像の頬を伝って流れ落ち、アゴからしたたる。


 アゴから離れた涙は、いくつもの球形となり、つむじ風で舞い上げられるように宙に浮かび上がった。

 開け放たれた天窓から覗く空をキャンパスにするようにピタリと止まり、上空に星座のような並びを作り上げる。


「これは、小麦座……! 太古より、我ら人類は小麦とともにあった……!

 黄金の道、それすなわち豊穣なる小麦の道……!

 その道標を今、そなたに与えよう……!」


 トマスは天に向かって両手を差し出し、受け止めるようなポーズを取る。

 すると浮かんでいた黄金の球体が、星屑のような光とともに飛来し、トマスの手に収まった。


 金色の真珠を手に、トマスは跪いているトニーに歩み寄る。

 トマスは真珠の粒をひとつ指でつまむと、トニーの頭上に近づけた。


 トニーのつむじに真珠が押し当てられると、吸収されるようにトニーの中へと沈んでいく。

 トマスは次々と、トニーの身体に真珠の粒を入れていった。


 眉間、鼻筋、唇の上、唇の下、首筋、みぞおち、ヘソ、下腹部。


 最後のひとつをトニーの口に差しだすと、トニーは一瞬ためらったものの、やがてそれをごくりと飲み込んだ。

 うむ、と頷くトマス。


「聖礼は施された……! トニーよ、そなたはルミナレルム様の信徒となったのだ……!

 あらゆる厄災から守られ、またいかなる罪をも赦し、赦されることであろう……!」


 この聖礼の儀式で行なわれたことは、時代が時代なら、神の奇跡だともてはやされるような事ばかりであった。


 しかしセマァリンが当たり前のこの時代においては、なんら珍しいことではない。

 しかもこれでも地味なほうで、このホワイトチャペルにある新興宗教はどれも、セマァリンを使った派手なパフォーマンスで信者たちの心を惹きつけていた。


 傍で見ていたロックにとっても日常の一部に過ぎない。

 彼は子供の頃から、この聖礼の儀式に嫌というほど立ち会ってきた。


 さして興味もなく儀式の様子を目に映していると、ふとザアダがいないことに気付く。

 ザアダは聖堂の入口、開け放たれた扉の向こうにいた。

 神像のある祭壇に背を向けるようにして、外の階段に座っている。


 その背中に、一抹の寂しさのようなものを感じ取ったロックは、無言でザアダの隣に腰掛けた。

 目の前には、いつもと変わらぬ喧噪をまき散らすストリートが広がっている。


 しばらくふたりして、くゆる霧によってにじむネオンを眺めていると、ザアダが出し抜けに言った。


「……あたいのお腹には今、赤ちゃんがいてね」


「2人目ってわけか」


「いや、はじめてさ」


 幼い頃から娼婦たちの生きざまを見てきたロックは、それだけで察する。


「そうか」


「トニーは姉の子でね。タチの悪い男に引っかかって、ボロ雑巾みたいになって死んじまったよ。

 残されたトニーだけは、ぜったいに立派にしてやろうって、あたいなりにがんばってはみたんだけどねぇ……」


 ふぅ、とため息ひとつ。


「なんの因果かあたいにもできちまって、それでもトニーとは分け隔てなく育てるつもりだった。

 でもどこかで赤ちゃんのほうを大事に思っちまったのかねぇ、トニーとはケンカすることが多くなっちまったんだ。

 一昨日の夜、トニーが家を飛び出していったのも、ささいなことがキッカケさ。

 やっぱり血が繋がってないと、親子にはなれないのかねぇ……」


「そんなことあるかよ。

 おれはちょっとした家庭の事情で母親の顔すら知らねぇけど、親子だけはいっぱい見てきた。

 だからわかるんだ。血が繋がってる親がいたからって、ガキが立派に育つとは限らねぇ」


「そんなもんかねぇ」


「このロンドンに、便所のムカデみてぇな大人がうじゃうじゃいるのがなによりの証拠だろ?

 だけどトニーはこのストリートで誰よりも物知りで、頭もいい。

 ザアダが着るものもガマンして、トニーにセマァブックを買ってやったおかげだと思ってる」


「なんだ、知ってたのかい。トニーは本が好きだったからね」


「たいしたもんだよ、このストリートじゃ海賊版が当たり前だってのによ」


「金持ちの客から聞いたのさ。海賊版はウソばっかり書いてあるって。

 上流階級の連中は、正規版を読んで正しい知識を身に付けたうえで、それを利用して大衆を操るって。

 あたいは見ての通り、セマァリンでしゃぶるくらいしか能のない女だからさ。

 せめてトニーには、正しい知識ってやつを学んで欲しくってね。

 でもそれも、今日で終わり……。

 聖父さんだったら、あたいよりよっぽどいい教育をしてくれるさね」


 ザアダはまた大きく息を吐くと、懐から葉巻のようなものを取り出す。

 咥えると先端が赤く燃えはじめたが、横から伸びてきたグローブによって握り潰されていた。


「やめとけ、そんな安いセマァシガー。

 混ぜ物だらけで、何が入ってるのかわかったもんじゃねぇ。

 火事の中に取り残されて吸う煙のほうがよっぽど健康的だぜ。

 どうしても吸いたいっていうんなら、ちゃんとしたセマァシガーを金持ち連中からくすねてきてやるよ」


 ザアダは思いも寄らぬ様子でアイシャドウに彩られた目を見開いていだが、やがてくすくす笑い出す。


「普段は止めやしないのに、あたいに赤ちゃんがいるとわかったらこれだ。

 やっぱり、ロックは王子様だね」


「なんだそりゃ」


「おや、知らないのかい? あたいら娼婦の間じゃ、あんたは王子様って呼ばれてるんだよ。

 かわいいのにカッコよくて、ぶっきらぼうだけど面倒見がよくて、乱暴だけど守ってくれて……。

 あたいらみたいなのにも、やさしくしてくれるからね」


「じゃあ今度から、空き缶の冠でも被るとするかな」


 ロックは軽口とともに立ち上がり、座っていた階段をひとまたぎで降りる。

 そのまま、水たまりに浮かぶ油のようなストリートに向かって歩きだした。


「おや、もう帰るのかい? 夜はこれからだってのに」


「ああ、明日はゴミの日だからな。今日じゅうに片付けちまわねぇと」


 ロックは振り返りもせず、指だけをピッと振り返した。

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