ギャングシャーロック ママごろし殺人事件
佐藤謙羊
第1話
01 ギャング少年ロック
600年もの時を経てロンドンにもたさられたのは、産業革命時代を思い起こさせる濃霧であった。
空は重金属のように重く垂れ込め、繁華街のネオンを受け鈍色に輝いている。
ホームレスすらも寝静まった真夜中のテムズ川。
緑色の霧にまぎれるように、一艘のボートが進んでいた。
ボートの船首近くには、黒いコートの男がふたり。
「今日の霧は、いちだんと濃いなぁ。目に染みて、口の中まで酸っぱくなっちまったよ。
これだから夜の仕事は嫌なんだよ」
「文句を言うなって、今日の仕事はコイツを届けるだけなんだ」
男は言いながら、足元にあった大きな麻袋を足で小突く。
麻袋はむーむーと鳴き、イモムシのように蠢いた。
「さっさと終わらせて、パブにでも行こうぜ」
「そうだな。こんな日は、熱いブレックファーストにジャムとジンをたっぷり入れて飲むにかぎる」
ふたりの男は船尾にいる操舵室の男に、紅茶を飲む仕草をしてみせた。
舵を取っている男は、グッとサムズアップして応じる。
ボートはテムズ川に浮かぶ、前時代的なデザインの船に隠れるように進んでいた。
川幅の半分を埋め尽くすほどのその船は、ベルファスト宇宙巡洋艦。
かつて、インベーダーと呼ばれていた者たちと勇敢に戦い、激しい戦火を生き残った軍艦である。
その突端、タカンアンテナの上に、彼はいた。
彼はこの濃霧を支配する、笑う満月のように顔を歪めている。
眼下を通り過ぎようとするボートを見据えたまま、やおら両手を広げ、そのまま川に身を投げ出した。
獲物を狙う猛禽類のような眼光で、淀んだ空気を引き裂くように急降下。
そのまま、操舵室の屋根に拳を叩きつけるような三点着地をキメる。
爆撃のような轟音とともに屋根は崩落し、中にいた男は「むぎゅっ!?」と、ひしゃげたような悲鳴とともに屋根に押しつぶされた。
衝撃のあまり、ボートはウイリーするように船首を大きく跳ね上げる。
乗っていた男たちは尻もちをついてしまい、坂のようになった甲板を滑っていく。
「うわあっ!? な、なんだ!?」
その先に待っていたのは、この激震の最中においても仁王立ち。
逆立てた金髪、赤い瞳と長い八重歯をギラつかせる少年であった。
いでたちは、袖に赤と白のラインが走った黒い革ジャン、破れたジーンズにブーツ。
男たちに比べると明らかに歳下の子供なのだが、その威風と風貌はオオカミのように恐ろしく、男たちはたじろぐ。
「な……なんだテメェは!?」
いななくように傾いていた船首が、竜の尾のごとく水面に叩きつけられた。
押し寄せる高波をも従えるように、少年は不敵に笑っている。
「やっと見つけたぜ。おれの街でガキをさらうとは、いい度胸してるじゃねぇか」
男たちは最初、この少年には言葉が通じないのではないかとすら思っていた。
それほどまでに、少年は野獣じみていたのだ。
しかし意思疎通ができるとわかると、男たちにも余裕が出てくる。
「お……おれの街だと? ははぁ、わかったぞ、テメェはストリートギャングとかいってイキがってるガキか」
「最近多いんだよなぁ、テメェみたいなガキがよ。あんまり大人をナメるんじゃねぇぞ」
男たちは、やれやれといった様子で立ち上がろうとする。
前屈みになった拍子にコートの奥から拳銃を抜き、少年に突きつけた。
そして大人の余裕で、顔を見合わせて笑う。
「ははっ! やっぱりコイツはガキだぜ!」
「ああ、こんなにカンタンに抜かせてくれるとはな! 相手が大人じゃこうはいかねぇ!」
少年はふたつの銃口を向けられても、まったく動じる様子はない。
男たちはそれを、生命知らずな若者の強がりだと勘違いした。
「どんなに獰猛なオオカミでも、コイツがありゃ怖くはねぇ。でもお前さんは怖くてガクブルなんだろ?」
「イキがったツケは高かったなぁ、ウルフボーイ」
「おっと、まだ殺すんじゃねぇぞ、コイツがどうやって俺たちを突き止めたのかを吐かせねぇとな」
少年はドライバーグローブをはめた手を鼻先に掲げ、「コイツさ」と拳を作る。
「コイツでほうぼう『聞いて』まわったのさ。
最初にいい情報があったから、だいぶショートカットできたけどな。
でも、ここに来るまでは苦労したぜ。
実行犯だけでなく、運び屋までいくつにも分けるだなんて、手の込んだことをしやがって」
少年は拳を揉んで、ポキポキと指を鳴らす。
「ブツがここにあるってことは、テメェらがゴールってことだよな?
さぁて、依頼人が誰なのかを聞かせてもらおうか……!」
その言葉が終わるより早く、少年は拳を振り上げた。
瞬間、グローブの甲にライオンを象った紋章のようなものが浮かび上がる。
「せっ……セマァリンかっ!?」
男たちは声を揃えて驚愕する。
それ以上に彼らの度肝を抜いていたのは、少年の行動であった。
なにせ2対1で銃を向けられているにもかかわらず、平然と殴りかかってきたのだから。
大人たちは当然のように思うだろう。なにか銃に対しての対策を講じているのではないかと。
そうでなければ、ただの命知らずのバカでしかない。
その迷いが男たちの人さし指の動きを、ほんのコンマ数秒ほど遅らせてしまう。
光線じみた発射音とともに放たれたエネルギー弾が、少年の頬をかすめる。
入れ違いに、狼爪のような鋭いパンチが男の鼻をへし折った。
「ぎゃっ!?」と鼻血を吹いてのけぞる男。
少年は殴り抜けた勢いを利用して身体を回転させ、男にクルリと背中を向ける。
その流れのままに回し蹴りを放ち、男の銃を蹴り飛ばした。
男が倒れ込む音と、銃が川に落ちる音が同時に響く。
「こ、このっ!」
もうひとりの男が少年の頭めがけて発砲したが、狙いはそれて少年の毛先をわずかに散らしただけだった。
焦げ落ちる髪の匂いが男の鼻をついたのと、その鼻が少年のパンチによって潰されたのはほぼ同時。
ふたりの男は再び尻もちをつかされてしまい、溢れる鼻血を押えながら少年を見上げていた。
「この、このガキっ……!?」
「つ、強えっ……!?」
少年は拍子抜けしたように、首をコキッと鳴らす。
「なんだよ、もう
こっちはずっとトップに入りっぱなしだぜ?」
「ち……チクショウ! ナメやがってぇ!」
「よし、ちょっと待っててやるからセマァリンを使ってみろよ。
仮にも裏社会で生きてるんだったら、テメェらもケンカに役立つようなセマァリンを持ってるはずだ。
手からへんな粉が出せるとか、そんなしょうもないヤツじゃねぇだろう?」
「クソッ! そこまで言うなら、お望みどおり見せてやるよっ!」
男たちは同時に、ボートの外に向かって手をかざす。
すると川の一部がぷくぷくと泡立ったあと、ちいさな水飛沫があがる。
川に沈んだはずの銃が、まるで逆再生をするかのように飛んできて、男たちの手に収まった。
男たちはコートの袖で鼻血を拭って立ち上がる。
「どうだ、ビビったか! 俺たちのセマァリンには、手離した武器を引き寄せる力があるんだ!」
「へへ、これで逆転だ! もうさっきみたいな不意打ちは通用しねぇぞ! 覚悟しやがれ!」
少年にとっては二度目のピンチ、しかもさっきより打開の可能性のない絶体絶命のピンチであった。
しかし少年は少しも慌てず、ヒューッと口笛を吹く。
すると、どこからともなく風切り音がする。
霧の向こうから石が飛んできて、男たちの手に突き刺さるように命中した。
「うわっ!?」「ぎゃっ!?」
男たちはまたしても銃を手離してしまい、三度倒れ込んでしまう。
「な、なんだ!?」と石が飛んできた方角を見やると、川べりにはパチンコを構えた子供たちがいた。
「なっ、なんだあのガキどもは!?」
「おれの手下さ」と、少年は足元に転がっている銃を拾いあげながら言う。
「テメェらのセマァリンは前菜にもならなかったな。まあいいや、そろそろメインディッシュといくか。
依頼主が誰かってのを教えてもらおうか」
「へ……へっ! 誰かテメェみたいなガキに言うかよ!」
「依頼人のことをバラしたりしたら、商売あがったりだ!」
少年は再び拳をかざす。
「なら、コイツで聞くまでだ」
「へっ、やっぱりまだガキだな! そんなんで、俺たちが口を割るとでも思ってんのかよ!」
「俺たちゃ裏社会で仕事をしてるプロだぞ! 拷問にかけられても、たとえ殺されたって言うもんか!」
「そうかい? じゃあ、試してみるとするか」
少年は自信満々に振りかぶる。
その拳の甲には、ライオンの紋章がうっすらと光っていた。
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