リリム・カレンデュラの独白

三郎

第1話

 その日は父の誕生日だった。母と二人で父が帰ってくるまでに、父の好きなアップルパイを焼いておいてサプライズで喜ばせる計画を立てていた。


「お父さん喜んでくれるかな」


「ふふ。きっと大喜びよ。楽しみね」


「うん」


 二人でそう笑い合いながら家に帰り、アップルパイを焼いて父の帰りを待った。


 しかしその日、父は帰って来なかった。

 翌朝起きると母が玄関で、街の自警団の制服を着た人と話していた。「そんなの嘘よ」と泣き叫ぶ母。自警団の男性によると、父は死亡したとのことだった。傷痕から見て、恐らく吸血鬼の仕業だろうと彼は淡々と語った。首筋に吸血痕があったらしい。

 母は自警団の言葉を受け入れることができず、あたしを残して、家を飛び出して父を探しに行った。


「お母さん!」


 追いかけようとしたあたしを、自警団の女性が引き止めた。女性はあたしと一緒に残り、男性達が代わりに母を追いかけてくれた。


「……ふふ」


 大人達が居なくなると、女性はニヤリと笑った。こうなるのを待っていたと言わんばかりに。


「あぁ……改めて見ると本当に似てるわ……」


 恍惚とした表情であたしを見て、彼女は呟く。この人は危険だと本能的に察し、逃げようとした。しかし、女性は目にも止まらぬ速さで回り込み、玄関の鍵を閉めた。あたしは咄嗟に、台所からナイフを取り出して彼女に向けた。すると彼女はくすくす笑いながらあたしの腕を掴み、そのままナイフを自分の胸に突き刺した。


「んっ……」


「っ!?」


 彼女の胸からは血が滲み出たが、ナイフを抜くと一瞬にして傷口が塞がった。


「ふふ。こんな物じゃ死なないわ。ううん。死ねないの。私は吸血鬼だから。永遠の時に囚われた哀れな化け物」


 彼女はそう、寂しそうに笑うとナイフで手首を切り、流れ出た血を口に含んだ。そしてあたしに近づく。逃げようとしても、身体が金縛りにあったように動かなくなる。彼女あたしの頭を掴んで、唇を重ねた。


「んっ!?」


「ん……ふふ。ほら、ちゃんとごっくんして」


 口の中に血の味が広がる。その血が喉を通った瞬間、身体が焼けるように熱くなった。

 悲鳴を上げながら転げ回るあたしに、彼女は笑いながら何かを言う。だけど何を言っているのか聞き取れなかった。何が起きているのか分からなかった。


 そこから先のことはよく覚えていない。気がついた時には、家中血まみれで、人間のと思われる肉片や人体の一部が転がっていた。その中には母の姿もあった。身体はどこにも見当たらず、頭だけが残されていた。唯一生きていたのはあたしと、あたしに血を飲ませたあの吸血鬼女だけだった。


「言っておくけど、この惨劇は私のせいじゃないわ。貴女よ。まだだから上手く衝動を制御出来ないのでしょうね」


 女性はそう言いながら、あたしに手をかざした。血塗られた惨状な景色は一瞬にして、普通の部屋に変わる。そして、どこからともなく女性が現れる。


「く、くるな!」


「大丈夫よ。怯えないで。大丈夫……」


 女性は不気味なほど優しい声でそう言い、あたしを抱きしめた。安心できる訳がなかった。むしろ恐怖は増して、震えが止まらなくなる。


「私ね。ずっと一人で寂しかったのよ。ずっと貴女に会いたかった……


 彼女はそう、あたしではない誰かの名前を呼ぶと、あたしを抱き上げてベッドにそっと下ろした。そして上に乗り、唇を重ねる。


「んっ……やめ——」


「あぁ……リリス……怯えないで……大丈夫だから……」


「あたしはリリスじゃな——っ!」


 首筋に鋭い痛みが走った。血を抜かれるような感覚と共に、じゅるじゅると啜るような音が聞こえてくる。吸血されているのだと気づいた瞬間、恐怖に支配されパニックになる。


「い、嫌だ……!やめろ!」


 必死に抵抗するが、身体から力が抜けていく。怖いはずなのに、嫌なはずなのに、何故かだんだんと気持ち良くなる。


「ひっ……やだっ。な、何して……」


 吸血鬼の手が身体を滑る。気持ち悪いはずなのに、甘い声が漏れた。


「あぁ……可愛い……リリス……」


「クソっ……触んな……変態……ふぁっ……やだ……いやだぁ……!」


「泣かないで。良いのよ。素直に気持ちよくなって」


「気持ち良いわけ……!んぅっ!」


「ふふ。怖がらなくて大丈夫よ。さぁ、素直に快楽に身を委ねて……」


「あっ……ぐっ……うぅ……!嫌っ……やだっ……」


 彼女の牙が身体に刺さるたび、指先や唇が触れるたび、とてつもない恐怖ともに激しい快楽があたしを襲う。


「血を吸われるの、気持ちいいでしょう?」


「う……うぁ……ふ……嫌……やめて……」


「可愛い……声我慢しないで……リリス……」


「っ……さっきから……誰だよ……それぇ……!」


 「愛してるわ。リリス」と囁かれた瞬間、思わず抵抗をやめてしまった。泣きそうになった。その声が、母を殺した化け物とは思えないほど優しかったから。恋人に囁くような優しい声だったから。


「ねぇ……リリスも触って……」


「あたしはリリスじゃ——あっ……」


 あたしの手を自身の胸に導き、彼女は幸せそうに微笑む。リリスという人が彼女にとって大切な人であることは、自分に向けられる愛おしそうな表情や声から嫌でも伝わった。彼女は自分をその人に重ねているのだとすぐに悟った。その時代はまだ、同性同士の恋は禁忌だった。同性愛者とバレれば処刑される。そんな時代だった。

 あたしは、同性の友人に片想いしていた。同情してしまったのだ。あたしから一瞬で全てを奪ったこの化け物に。


「リリス……名前呼んで……」


「っ……あたしはリリスじゃないし、お前の名前は知らない……」


「あぁ、名乗ってなかったわね。アリアよ」


「……」


「呼んでよぉ……ねぇ……」


「ぐっ……う……誰がお前の名前なんか……んぅっ!」


「呼んで……私の名前呼んで。お願い。ねぇ」


「クソ……っ……アリ……ア……」


 快楽攻めに耐えられずに名前を呼んでしまうと、彼女は手を止めて泣き出してしまった。両親を無惨に殺してあたしに何かした化け物なのに、何故だか、その涙に酷く惹かれた。彼女の涙を指で掬い、舐めとった瞬間、どうしようもなく喉が乾いて——


「あっ……リリス……」


 気付けばあたしは、彼女の首筋に噛み付いていた。口の中に血の味が広がった瞬間、あの惨劇を起こしたは自分ではないと言っていた彼女の言葉が嘘ではないことを悟った。

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