意地悪
翼を見かけても極力避けた。バイトがあるので、それ以外はすべて。でも翼はあまり気にも留めてなさそうにしていた。その頃、彼は愛知では有数の大手自動車部品メーカーに内定していた。
愛知県民は自動車産業関連の従事者が異様に多い。親子3代、家族全員自動車関連というのもザラにあり、それゆえ、全国的な知名度はさておき、少なくともそういう大手の自動車部品メーカーに就職したら愛知では近所がお祭り騒ぎになる。事実、施設で働くおばさんたちから翼はますます可愛がられ、後輩の曽根田からは尊敬の眼差しをしていた。わたしに対してとは全く違う。
一方翼自身はそこで浮かれた反応など全くしていなかった。就職する前に戻ったかのように平然としていた。
「けい、ケータイ貸して」
びくっとして振り返る。帰る支度をしていた時に突然話しかけられた。帰り道一緒になりたくないので、最近はさっさと身支度をしていた。
「なんで?」
「ケータイ忘れた、約束あるのに」
「?どうやって連絡取るの?」
「フェイスブック。ログインすれば連絡取れるから。入ってる?アプリ」
わたしはその当時見ることはあっても、フェイスブックのアカウントは持っていなかった。しかしアプリは初期設定のまま入ったままだった。
わたしのアンドロイドの携帯を差し出す。
「ありがと」
わたしの手からサッと携帯を受け取ると、そのまま凄い勢いでフェイスブックにログインして、ショートメッセージを送っていった。
「けいも帰るでしょ、一緒に帰ろう」
わたしは翼に急かされるように施設を出た。
久々に横並びで電車に乗る。もちろん真ん中にひと席開けた状態で。そしてさっきからわたしの携帯でフェイスブックを開き、その友達と連絡を取っている。
わたしと帰りたかったっていうより、わたしの携帯が必要だったんだよね。
もう甘えた眼を向けられることもないと思っていたが、眼さえも合わないとは。それどころか、わたしよりわたしの携帯を見つめてる。どろどろした痛みを感じつつも、自分の馬鹿さ加減に笑えてくる。
そろそろ駅に着こうとする頃、翼は急いで立ち上がり、
「じゃあな、けい」
と言って、携帯をわたしに返すと急足でホームを去っていった。呆然と見つめるわたしはふと気がついた。翼がフェイスブックをログインしたままだった。
やめればいいのに、そのフェイスブックを覗いてしまった。いや自分の携帯なので、覗くなんて可笑しい。
茶髪で綺麗なウェーブをした、派手ないでたちの女の子とのショートメッセージが残されていた。今日どこで集合するか、何時に会うかというメッセージがわたしの携帯に表示されてる。
…わたしが何をしたっていうだろう。拒絶されるのもきつい。けど、これをわたしが見ても何も思わないと? 無関心てこんなにもきついのか。あんまりだよ。
フェイスブックを消すか消さないか迷ったが、せめてもの仕返しとして、しばらくログインしっぱなしにしておこうと思った。
インスタグラムを開く。生協前の桜の写真を出す。写ってないが一緒に並んで見た桜。きれいな写真だったが、投げやりに削除ボタンを押した。そして、勢いそのままに幸孝に連絡した。二度ほど軽くご飯を食べに行ったが特に何も発展しなかった。三度目の食事のお誘いを送った。むしゃくしゃしていた。
幸孝は背が高く、ひどく痩せている。東北出身だが、わたしよりも標準語をしゃべる。そして、緊張しているのか独特な話題を繰り広げる。今日は電車の何輌目に乗れば無駄な移動なく、最短最速で大学へ行けるのか考えているのだという。
「わたしは考えたことないなあ〜。わたしは、だらだらして適当にいつも乗ってる」
「そうなんですか?おれの周りだとみんなこのこと考えてるけどなあ…」
さいで。そんなことを考えてるのは奈良シカマルぐらいしか知らないぞ。
「けいさん、よかったら今度化粧水を買いに行きたいんですがどうでしょうか?」
「化粧水?」
「はい、おれアトピーだからケアしたいんですけど、何がいいかわからないんです…」
「いいよ」
「いいですか? よかった〜!」
幸孝は静かなタイプで、学力的部分はさておき、一緒にいて不釣り合いだとか思わないので気が楽。
幸孝の薄い肌を見る。確かに破れたら痛そうだ。わたしは手を伸ばすと幸孝の頬に指の背を当てる。————誰。
触れたのはほんの一瞬。幸孝が驚いた顔をする。なんだ、相手が何考えてるか解るじゃないか。そして意地悪な考えが浮かんだ。
「ねえ、楽しい話をして?」
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