バスストップ

Cockatiels

第1話 ひまわり畑と四角い空

 空が高い・・・・・・。ガキの頃、こんな抜けるような青空をどこかで見た気がする。


 赤嶺あかみね 光喜こうきは額に手をかざして空を見上げた。指の隙間からこぼれた陽の光が瞳を刺して、思わず目を細めたが、それもどこか心地よい気持ちにさせてくれる。


 小高い丘の中腹に伸びる石畳の道路沿いに、白い屋根の吹き抜け小屋がある。吹き抜け小屋の中央には、同じく白い木製のベンチがあり、どちらも、かなり老朽化が進んでいて白いペンキがあちこちで剥がれている。


 小屋の内側には、だいぶ前に貼られたものと思われる色褪せた飲食店の広告が数枚と、ダイヤ表のようなものが貼られている。

 どうやら、ここはバスストップ(バス停)のようだ。


 光喜は、バスストップのベンチに深くもたれかかりながら空を見上げていた。

 そして眼下には、濃い黄色と深い緑に彩られた、ひまわり畑があたり一面に広がっている。その色合いが空の青さを一層引き立てている。

 というより、互いの存在が互いの存在を強調しあっているようだ。


 ゆっくりと流れる大気に、ひまわり達がささめく。その様は、風が吹いたというより、神が吐息を漏らしたようだ。丘の頂では、石造りの風車がゆっくりと羽根車を回転させ、時の流れをより緩やかに感じさせる。


 もし、時を止めることができるのなら——、ずっと二人で眺めたかった。


「人間って不思議なものだな」光喜は独りつぶやいた。

 やっと最後の願いが叶って、アムステルダム郊外のひまわり畑までたどり着き、この鮮やかな眺望に心を奪われてしまっているのに、頭のどこかで思い出したくもない記憶をわざわざ回想してしまっている自分に気づいた。


     ◇   ◇   ◇


 電動ベッドのリクライニングを戻しながらテレビを消し、窓から見える灰色の空とビルが建ち並ぶ無機質な景色を一瞥すると、軽く嘆息をもらしてキャビネットに置いてある日記帳に手を伸ばした。


 11月9日(水)曇り

 薬の副作用が原因でしばらく続いていた発熱は、だいぶ治まったけど、まだ、体がだるいし食欲もまったくない。

 てゆーか、この病院に入院して3か月になるが、料理をうまいと感じたことが一度もない。美味いと言えるのはデザートのゼリーくらいか。

 それから、昼食で配膳されるトレイの隅にちょこんと置かれた、ふりかけのパックをこっそりベッドに隠して、看護婦さんの目を盗みながら、おやつ代わりに舐めるのも嫌いじゃない。

 どちらにせよ、食事における幸福度の基準が、著しく低下してしまったようだ。嘆かわしい。

 メシのことを考えると不愉快に気分になってくる。それより、さっき観た「世界の絶景100選」で映されたアムステルダムのひまわり畑は最高だったな。

 以前にどこかで見たことがあるような、既視感を感じたけど、はっきりと覚えていない。

 退院したら、聡美ちゃんと行ってみたい。でも、聡美ちゃんも大学受験でそれどころじゃないかもな。希望の外語大に合格してほしい。

 地球にはあんなに美しい場所があるんだ。それに比べて、この窓に映る四角い空ときたら・・・・・・


 パタン。光喜は走らせていたペンを止め、日記帳を閉じた。


 一向に回復しない病状と、周囲の環境に対する不満が日記に日々綴られゆく。そして、自分の負の感情が積み上がってゆく日記そのものに、嫌気を感じたからだ。


 そして、日記帳に挟んであった一枚の紙を取り出した。

 何度も開いては、閉じられたであろうと思われるクタクタの紙には

『やりたいことリスト』と書かれている。


『やりたいことリスト』

〇 退院したら、真っ先に牛角で焼肉を食べまくる!

〇 ヤス、裕一、秀ちゃんの四人でシダックスで朝まで歌いつくす!

〇 宮崎のおばあちゃんの冷や汁が食べたい!

〇 葵ちゃん(今、年長さんくらいかな)と思いっきり遊んであげたい!

〇 細田守監督の作品を全部観たい!

〇 胃もたれするまで串カツが食べたい!

〇 スカイダイビングしてみたい!

〇 キャバクラに行ってみたい!(ドンペリってやつを飲んでみたい!)

〇 ・・・・・・・

〇 ・・・・・・・


 箇条書きで、やりたいことが延々と積み上げられたリストの末尾に、

〇 アムステルダム郊外のひまわり畑を見に行く!

 が書き加えた。

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