107 ファイティング
急ぎ部屋へと戻って来たユウとフォワの二人は、ベッドで横になっているガーシュウィンを驚きの表情で見ている。
今、確かにガーシュウィンさんが!?
「フォワ~」
ガーシュウィンの瞳が、ギロリと動く。
そして……
「……小僧」
しゃべった!? 間違いない!
ガーシュウィンさんが、口をきいたよシン!
僕の、僕のアイドル論が、役に立ったんだ!
「ガーシュウィンさん! 僕の話でアイドルに興味を持ったのですよね!? あなたほどの人なら、それは当然なんですよ! さぁ、存分に語り合いましょう! 疑問に思う事は、どんな些細な事でも好きなだけ僕に質問して下さい!! 何でも完璧にお答えしますから!」
目をキラキラと輝かせ、そう口にしたユウだが、ガーシュウィンの視線はフォワを捉えていた。
「……小僧、私を誰だと思っておるのだ!?」
「……えっ!?」
「フォワ?」
ガーシュウィンはフォワを睨みつけたまま、上半身を起こす。
「世界の至宝と謳われた劇団、サムタイムの創設者であり、人類史上最高の舞台監督と呼ばれた、私があのヴィセト・ガーシュウィンだ!」
「フォーワ~」
「その私に…… このぉ、この無礼者が!!」
……お、怒っている!? ガーシュウィンさんは、フォワ君に猛烈に怒っている!
もしかして…… 僕のアイドル論で目覚めたのではないのか?
いや、そんな事は無い。僕の話が、きっかけになったに違いない!
「ガーシュウィンさん!」
ユウの呼びかけに反応し、視線を向ける。
「僕のアイドル論はいかがでしたか!?
「フォワフォワ?」
フォワはこの時、この世界? と、言っていた。
ガーシュウィンはベッドから足を下ろし、座った状態でユウを見つめる。
そして……
「何が……」
「えっ!? 何ですか?」
「何が新しい風だ!?」
「……はっ!?」
「馬鹿みたいにくだらない話を、何時間も私に聞かせおってからに!」
「ばっ、馬鹿…… くだらない話?」
「フォワ!?」
この時のフォワは笑顔を浮かべ、二人のやり取りを見てウキウキしていた。
「何がアイドルだ! 訳の分からない言葉を…… そんなもの、誰にも受け入れられる訳がないだろう!!」
えっ!? ど、どういう事だ!?
だってこの人は、100年200年先を……
「ガッ、ガーシュウィンさん!」
「軽々しく私の名を口にするでない!」
「すっ、すみません! ですけど、あなたは100年、いや200年先の演劇を見る事が出来ると伺ったのですけど!?」
「そんなもの、誰が言い始めたか知らんが、比喩に決まっておるだろう! お前が語っていたアイドルとかぬかす、そんなくだらないものが、100年先の演劇の姿だとでもいうのか!? もし、仮にそんなものが流行るぐらいなら、人類は今すぐにでも滅びた方がましだ! 何故なら、演劇の未来など死んだも同然だからな! そんなものに繋がる全ての演劇を、今すぐにでも止めてしまえばいいのだ!」
「ええぇぇぇぇー!?」
「フォワワワーー、フォワフォワ!」
フォワは全否定かよと言っていた。
ぼっ、僕の…… 僕のアイドル論は、全く、1ミリもこの人の心に響いていなかったのか!?
と、いうことは…… つまり、ガーシュウィンさんが心を取り戻したのは……
「おい! 小僧!」
「フォワ?」
フォワは、おらか? と、言っている。
「私を……」
ガーシュウィンは、立ち上がった。
あ…… 意外と背が高い……
「このヴィセト・ガーシュウィンを、さんざん小馬鹿にしおってからに!」
「フォワ?」
「誰が…… 誰が無反応ジジィだ!?」
「フォッ、フォッワ!?」
えっ!? フォワ君が驚いている!?
もしかして、ガーシュウィンさんは、フォワ君の言っている事が分かるの!?
でも、どうして……
「何を驚いておる? 状況や
こ、この人は、実はちゃんと見ていたのか!?
「まぁ…… 悪意のアクセントは感じられなかったが……」
ガーシュウィンはぼそぼそと、そう呟いた。
悪意のアクセント? 何のことだろう……
ガーシュウィンの元にユウを一人残し、4時間近く経過しようとしていたその時、流石に心配になったシンは、ガーシュウィン家の裏口に様子を見に来ていた。
……うん? 声が聞こえる……
ユウに…… それと…… フォワか!? あの時、俺が感じた気配はフォワだったのか!?
うん? それにあと一人、知らない声が……
もしかして!? もしかしてガーシュウィンさんか!?
そう思ったシンは、ドアを開け、一気に部屋になだれ込む。
「あっ、シン!?」
「フォワ!?」
シンの視界には、立ち上がっているガーシュウィンの姿が映り歓喜するが、フォワによって描き足された眉、そして埃だらけの顔に少々違和感を覚えていた。
「ガ、ガーシュウィンさん……」
名を呼ばれたガーシュウィンは、鋭い視線をシンに向ける。
「
「えっ!?」
「私の名を、軽々しく口にするな!」
「あ…… は、はい、すみません」
シンはユウに目を向ける。
「どういう事なんだユウ?」
「そ、それが……」
ユウが説明をしようとしたその時、フォワがガーシュウィンに向かって吠える。
「フォワー、フォワフォワフォワフォワーフォワ!!」
ジジィ、俺の付けたあだ名通りだろ、と、フォワは言っていた。
「何がその通りだ!? 無礼にもほどがあるぞ、小僧!」
「えっ!?」
フォワと会話を交わすガーシュウィンに驚くシン。
ガーシュウィンさんはフォワの言葉までも……
いや、それよりも、何故フォワと言い合いをしているんだ?
「ちょっ、ちょっと待ってくれ二人とも!」
シンが二人の間に割って入る。
「とりあえず、説明を聞かせてくれ。ガーシュ、いや、あなたも落ち着いて。フォワもなっ」
「……フォワ~」
「ふん!」
ガーシュウィンはベッドに腰を下ろす。
「ユウ」
「あ、うん」
ユウはこれまでの事をシンに説明をした。
……つまり、アイドル論では無く、フォワの無礼な態度で心を取り戻したというのか……
シンはユウをチラ見する。
兎に角…… 今はガーシュウィンさんと話が出来れば……
「あのー、すみません。少しよろしいですか?」
シンがガーシュウィンに話しかける。
「……ふん! 話は分かっておる」
「……」
「つまりお前達は、イドエを昔の様に戻すために、この私の名を貸せというのだろう?」
名を貸せか…… 出来れば一緒にと言いたいけど、ガーシュウィンさんの言う通り、最悪名を貸してもらうだけでもいい。
そう思っているのは事実だ。嘘はつかない方がいいな……
「……そうです」
「えっ!?」
ハッキリと答えるシンを見て、事情を知らないユウは驚く。
「私の名があれば、集客は容易だろう」
「……はい」
「だがな、何故私がお前達に協力しないといけない」
「……」
「私自身が気づいていない、その様な明確な理由があるのなら言ってみろ」
「それは……」
言葉が詰まるシン。
「まさか、
「……それは、少なからず、そう思っています」
「うむ、正直に答えている様だな。
今、言葉が途切れた……
「だがな、あの娘の為だけでは、それだけでは私は動かない」
その事は、何となく分かっていた。
だからシンは、直接ウィロに頼むことをしなかったのだ。 その事で、ガーシュウィンとウィロの関係にヒビが入ると、余計に説得が難しくなると考えていたからだ。
「是が非でも私の名が必要だというのに、あの娘に直接頼まなかったのは褒めてやろう」
そのシンの考えを、ガーシュウィンも分かっていた。
「……」
「それに免じて、ドアはいつでも開けておいてやる。明確な理由を
つまり、暇つぶしか…… いや、それでもかまわない。チャンスを貰えるのなら……
「……感謝いたします」
「ふむ。食事は今まで通り裏口に置いていけ、知らせはノックだ。いいな?」
「はい」
二人のやり取りを、黙って聞いていたフォワが再び吠える。
「フォワフォワフォワフォワ!!」
「ふん! 食事を運ぶのは、この者の自由だ。お前が口を出すな。嫌なら、いつでも辞めて良いぞ」
「フォワフォワフォワ! フォワフォワフォーワ」
この時フォワは、メシなら俺が運んでやる。うんこ入れるけどなと言っていた。
「下品な小僧め! 出ていけ! 今すぐ出ていけ!」
「フォワフォワフォワ~」
太眉、太眉と言って馬鹿にしている。
「このぉー、お前が描いたのだろうが!!」
揶揄われた事で怒ったガーシュウィンは、何とユウが先ほど持っていた材木を拾い、フォワに殴りかかろうとしている。
「ちょっと、落ち着いてください。ガーシュウィンさん!」
シンが素早く間に入って制止する。
「私の名を! 軽々しく口にするなと言っておるだろうが!」
「すみません! ユウ! 取りあえずフォワを外へ!」
「あ、うん、分かった! フォワ君、行こう」
「フォワフォワフォワ、フォワフォワフォワフォワ、フォワフォワフォワ!」
もう一つあだ名をやる。偉そうなジジィ、略してエラソジィ! と言っていた。
「偉そうだと!? 実際私は偉いのだ! くぅーー、もう限界だ! この小僧!!」
シンに制止されながらも、ガーシュウィンは材木をフォワに向かって投げつけた!
しかし、シンがガーシュウィンの投げる手を少しだけ触って邪魔をする。その事によって微かに軌道が変わり、材木はフォワには当たらず廊下の壁に当たる。
「バン!」
「あぶなっ!?」
僕に当たるかと思ったよ!?
「フォワ君、外に出ようよ!」
「フォワ! フォワ!」
材木を投げられたことで、更に怒ったフォワに向け、ガーシュウィンは足元に落ちていた自分の服を蹴り上げる。
すると、宙を舞った服は、見事にフォワの顔に覆いかぶさった。
「……フォワ!!」
この時フォワは、くせぇーと喚いていた。
服を払いのけたフォワの髪は埃まみれになっている。
「フォワー!」
怒ったフォワは、なんとガーシュウィンに殴りかかろうとする。
「フォ、フォワ君! やめて!」
身を挺して必死で止めるユウだが、フォワの力が強くガーシュウィンとの距離が縮まって行く。
シンはガーシュウィンを引き離すことは出来るが、怪我をさせてはいけないと思い、前に立ちはだかり、壁に徹している。
迫って来たフォワとガーシュウィンの二人は、間にシンとユウを挟み取っ組み合いになる。
「フォワー!! フォワフォワ!!」
「なんだこのうんこ小僧!!」
エスカレートする二人を見たシンは、ユウごとフォワをドアに向かって押し始める。
シンという壁が無くなったガーシュウィンは、シンの横をすり抜けて、フォワに迫って行くが、それに気付いたシンは、二人の間に身体を入れてガードしながらフォワを外に押し出しドアを閉めた。
「はぁはぁはぁ、無礼な小僧め!」
「落ち着いて…… 部屋へ戻りましょう」
「うるさい! お前もさっさと出ていけ!」
「分かりました。ちょっと早いですけど、食事を取りに行ってきます」
「はぁはぁはぁ、おい!」
「はい?」
「芋のスープを持ってこい!」
「……はい!」
「必ずだぞ!」
「はい! では、失礼します」
シンが外に出ると、フォワはまだ諦めておらず、ガーシュウィンの所に戻ろうともがいている。
それを必死で止めるユウは、まるで巻き付いた紐の様に、転げながらもフォワの足に絡みついていた。
その状況を見て、シンは思わず笑ってしまう。
「……フッ、フフフ」
「シ、シン! シンも止めてぇ!」
「あ、すまない。フォワ落ち着け……」
シンに制止されたフォワは、やっと力を抜く。
「ふっ、ふい~」
安堵の声をあげ、ユウが足から手を放した瞬間!?
「あっ!?」
何とフォワは、ドアに向かって走り始める!
だが、それを読んでいたかの様に、シンはフォワの前に立ちはだかる。
シンにぶつかると思ったフォワは止まろうとスピードを急激に落とす。
それを見越していたシンは、フォワの腹に右手を当てながら素早く背後に回り、左手もフォワの腹に回して、ヒョイっと軽く持ち上げる。
「フォワ?」
持ち上げられたフォワは、あっけに取られてポカンとする。
「フォワ、もう終わりだ」
「フォワフォワフォワフォワー!」
あのジジィは許せないと言って手足をバタつかせている。
「フォワー、フォワフォワフォワフォワフォワ」
ユウ君の話を聞いていたくせに、返事もしなかったと言っているが、ユウがその言葉を理解していたら、お前は寝てただろと突っ込みを入れられそうである。
「兎に角落ち着けって。それより、どうしてフォワは中にいたんだ?」
そう言ってフォワを降ろし、腹に回していた手を解いた。
「フォワ? フォワフォワ~」
振り向いたフォワは、どうして? 好奇心に決まっているだろと、胸を張って答えていた。
何故か誇らしげだな…… (シン)
どうして笑顔なのだろう…… (ユウ)
フォワの言葉が分からないシンだが、思わず質問をしてしまった。
「兎に角フォワ、ガーシュウィンさんの事は俺とユウに任せてくれ。あの人はこの村に必要なんだ。だからもう怒らないでくれ」
「……フォワ~」
そう説得されたフォワは、渋々分かったと返事をした。
「ユウ、今何時かな?」
「あ、うん。今何時? あと3分で17時だよ」
「そうか。フォワ、伝言を頼めるか?」
「フォワ~」
「皆は野外劇場に居るから、そこ行って、いつでも終わっていいって、明日の朝も同じ時間にって」
「フォワ」
返事をしたフォワは、野外劇場へと向かって行った。
「ふぅー」
まさか…… まさか、こんな展開になっているなんてな……
だけど、ガーシュウィンさんと、直接話が出来た。それに、文字通りドアも開けてくれる。これは、決して悪くない、そう、悪くない。
シンは裏口に目を向ける。
本はそのままか…… もうしばらく、このまま置いておこう。
あの人の心を呼び覚ますのは…… まだまだこれからだ。
「ユウ、ありがとう」
「え? うー、うん。僕は役に立っていない様な……」
「そんな事は無いさ」
「けど…… うーん、僕の話は…… 全否定されちゃったし……」
しょんぼりとするユウを見つめるシン。
「……諦めるのか?」
「えっ?」
「一度否定されたぐらいで、諦めるのか?」
落ち込んでいたユウの表情は、段々と笑顔に変わってゆく。
「何言っているの!? 僕がアイドルの事で諦める訳ないよね!」
フフフ、だよな……
「うーん、次はどうやってアイドルの素晴らしさをガーシュウィンさんに伝えようかな!? 今日の3倍話を聞かせるとか!?」
「フフフ」
この時の二人のやり取りを、ガーシュウィンはドアの直ぐそばに立って聞いていた。
「……」
「あっ、そうそう」
「どうしたの?」
「詩はOKだったよ!」
「だった?」
「あぁ、この世界の音楽の分かる人に確認して貰ったんだ」
そうか! だからシンは少し待ってくれって……
この世界…… 先ほども……
「良かったー。じゃあ、あの歌詞は使えるんだね?」
「あぁ、良い歌詞だから、そのまま使えて俺も嬉しいよ」
シンの言葉で、ユウは少し照れてしまう。
「良い歌詞だなんて…… う、うん」
笑顔でユウを見つめるシン。
「取りあえず、モリスさんの店に行こうか?」
「うん! まだ早いけど、何時間も語ったからかな、お腹すいちゃった」
「フフ、ガーシュウィンさんに食事を運び終わったら直ぐに夕食にしよう」
「うん、そうしよう!」
二人が笑顔でその場を離れて行った後、しばらくして裏口のドアが静かに開く。
足元に置かれている本に視線を向けるガーシュウィン。
「……」
そっと手に取り、悲しい瞳で本の表紙を見つめる。
「……」
だが、本を開くことは無く、また元の場所に置く。
そして、その本の横に、空の器を置いてドアを閉める。
「ギィィ、バタン」
二人がモリスの食堂に入ると、バリーが一人で座っていた。
「バリーさん、夕食ですか?」
「あら~、ユウちゃーんにシン。いやね、そろそろ出稼ぎに行っていた村人が戻ってくるでしょう。だからシャリィと遠くまで魔獣退治に行ってて、実はこれ、遅い昼食なの~」
「そうなんですね、ご苦労様です」
「助かるよバリー。ありがとう」
「いいのよ~」
その時、ジュリが料理をバリーのテーブルに運んでくる。
「お待たせしました、お芋のスープです」
「ありがとう。これを楽しみにしてたから、今日も頑張れたわ~」
あっ、そうだ!? ガーシュウィンさんにお芋のスープを……
シンは厨房へ歩いて行く。
「モリスさーん、お芋のスープをお願いします。また深めの器で」
「ごめんなさい。今日はお芋がもうなくて、バリーさんにも言いましたが、あれが最後なんですよ」
「えっ!?」
「う~ん、良い匂い。これ一口目が何ともいえない美味しさなのよね~」
舌なめずりをしながら、ジッと芋のスープを見つめるバリー。
「さぁ、おいでぇ、あちきの口の中へ」
ゆっくりとスプーンをスープに近付ける。
「
スプーンがスープに触れようとした瞬間、目の前から消える様に無くなる。
「ほぇ?」
「すまないバリー、これ借りるね!」
そう言うと、シンはそのまま外に出て行った。
「あっ…… あちきの…… 今日、最後のお芋のスープ……」
「カラーン」
バリーはショックで、手に持っていたスプーンを落としてしまった。
裏口にスープを置こうとしたシンの手が一瞬止まる。
それは、置かれている本の裏表が逆になっているのに気づいたからだ。
「……」
シンは芋のスープを本のすぐ横に置いてノックした後、空の器を持ってその場を離れる。
ユウのアイドルへの情熱が消える事などない。
恐らくあの人も同じだ。演劇に対する情熱を、失ってなどいない……
そうですよね、ガーシュウィンさん……
この時ガーシュウィンは、暗い部屋の中でベッドに腰を下ろし、誰も座っていない椅子を、ただ、見つめている。
「……」
まるで、誰かがそこに存在しているかの様に…… 見ていた。
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