第7話

かたんと、陶器の当たる小さな音がした。

鼻を鳴らして涙を拭うと、滲んだ視界の先にユーゴさんがいた。盆のような物を円卓テーブルに置くと、扉を締め切ってしまう。外には、同じような廊下が続いてるのが少しだけ見えた。


「ユーゴ!おやつ!?おやつ!?」

「ああ。お前もこちらへ来い」

「私も?」

「少し、話そう」


ぱっと手を広げてユーゴさんの元へ駆けていく瑠璃るりちゃんを見送る。手元には、件の紙が残っている。ミコ、という文字をなぞっても何も思い出すことは無い。


「わー!やった!今日は氷菓ひょうかなんだ!」

「採れたての桃を貰ったからな。ゆっくり食え」

「はーい。いただきます」


卓についた瑠璃ちゃんは、茶器と共に置かれたおやつに夢中になっているようだった。

ユーゴさんに手招きされて、恐る恐るそちらへ近づく。瑠璃ちゃんが隣の椅子をぺちぺちと叩くので、促されるままに座ると、口の端におやつの欠片をつけたまま、また喜ばれる。感情表現の豊かな子だ。


「茶はどうする」

「お茶……?」

「湯がいいか?」


高級そうな茶器だった。素人目に見ても、緻密に描かれた金の模様は、傷一つない白い陶器に映えている。

急須のような陶器からは湯気が立っていた。温かそうだ。


「じゃあ、それで」

「あい、わかった」


独特な返事だ。ユーゴさんは慣れた手つきで同じ模様の一回り大きな急須を手に取ると、逆時計回りに先程の急須へと湯を注いだ。少し中を覗くと、急須へ、細長い木の板のようなものを使って茶葉を入れる。珍しい。鮮やかな黄色い茶葉だった。紅茶にも見える。

手首を使ってゆっくり円を描くように急須を回すと、こちらにも緑茶のような香りが届いた。

そして、真っ直ぐ、最後に手首を少し回す程度の三回に分けて湯気を立てるお湯を注ぎ終わる。蓋をすると、ユーゴさんも余った椅子へと腰掛けた。


「氷菓って、なんですか?」

「それは桃の汁と酪漿らくしょうを煮詰めて凍らせた菓子だ。初めてか?」

「はい。美味しい?瑠璃ちゃんは」

「うん!つめたくておいしーよぉ。ユーゴのおやつはいっつもおいしいの!」

「へぇ」


ラクショウって、なんだろう。聞きたいが、人に聞いてばかりでは、何となく気疲れしてしまう。ちらりとユーゴさんの片目を盗み見すると、「獣の乳だ。食えばわかる」ともう一つの氷菓とやらを差し出された。


(獣の乳って……なに?)


ごくりと喉が鳴った。

なんだかよく分からないが、ユーゴさんの無言の圧力に負けて手を合わせる。


「いただきます……」


ガラス製の、これまた高そうなスプーンのようなもので桃の乗った氷菓とやらを掬う。

ゆっくりと、口元へ持ってくると、ひんやりとした冷気を感じた。桃の果汁を凍らせたなら、シャーベットみたいなものだろうか。


しゃくり。一口目は少し硬い。けれど、すぐに濃厚な味が広がって、ラクショウの正体がわかった。舌の上で溶けるこの感覚は、久しぶりだ。かなり果汁の味が強いが、これなら分かる。


「ミルクアイスだ!美味しいです、これ」

「気にいると思った。もぎたてだから、それも美味いぞ」


言われるまま、添えてあるサイコロ状の桃も口に含む。鼻まで抜けるほど芳醇で瑞々しい桃だ。少し硬めではあるが、溶けだした氷菓と食べるとちょうど良い。私の知った桃よりも、甘さが控えめで黄色い。

ザクザクとした欠片は、ナッツのようなものだろうか。よく煎られた香ばしさがある。

バニラの風味が無い分、シンプルなアイスとその他の味がよくマッチしていた。


おやつを味わっていると、ユーゴさんが少し腰を上げた。ほんのりと、茶葉の香りがする。

放置していた急須をとると、傍にあった茶杯三つへと、お茶を注いでくれる。そのうちの一つが差し出されて、お礼を伝える。

瑠璃ちゃんは、ふうふうと息を吹きかけていた。まだ、熱そうだ。


「粗茶だ。飲め」

「いただきます」


今度はきちんと礼を言えた。いかんせん、この世界に来てからイケメンに出会うと余計なことしか起きない、騙される、殺されるを経験しているので、しばらく警戒してしまっていた。ここまでもてなされると、瑠璃ちゃんのこともあいまって、気が緩んできた。

それすらも計算なら、末恐ろしいが。


蓋をとって、なんとなく礼儀を気にしながら茶杯を傾ける。黄色いお茶だ。香りも高く、飲む前から茶葉の強い香りがわかる。


私も瑠璃ちゃんを見習い、息を吹きかけてから一口、口にする。

どことなく、緑茶にも似ているが、少し甘みがある。それを通り過ぎると、爽やかな喉越しがあった。

冷たいおやつに、温かいお茶。のほほんと、緊張が解けていく。


「さて」


佇まいの変わらないユーゴさんが穏やかな雰囲気と一変して、真面目な顔をするので、私も背筋を伸ばしてこたえる。


「お前は記憶があるんだったな?」


こくりと頷くと、ユーゴさんが自らの懐に手をいれる。

お茶を淹れる為の道具や、空いた皿を脇へ寄せると、右手の下から、何かが見える。

小さなハンカチ程度の布だった。

年季の入ったそれは、所々に汚れが見えたが、大切にされているところを見ると、手入れは欠かされていないらしい。

どうにもならない汚れがついてしまったのだろうか。


「これに見覚えは?」

「ありません」

「では、これは」


膨らみのあった布を捲ると、手のひらに収まるくらいの、金属で出来た平たく丸いものが出てくる。溝が彫られている。アンティークショップにあるような、様々な模様が刻まれていた。


泣きそうな気分だ。


訳が分からない。ここは、私が無知なことを責めるような空間で、自分自身それが悔しくなる。歯痒い所まで。あともう少しで何かが分かりそうなのに。


「だいじょうぶだよ」


スカートを握り締めた手の上に、瑠璃ちゃんの小さな手が重なった。熱いほどだ。不安そうに見上げる頭を撫でると、猫のように目を細めた。


「はい」

「ありがとう」


ユーゴさんは何も言わない。瑠璃ちゃんが布ごと私に手渡すので、慌てて受け取る。小さな掌では重たそうだった。


柔らかい。絹のような───と言うには、私は本物を知らないが───それくらい、手触りが良い。撫でれば撫でるほど手に馴染んだ。金属の板の部分へ手を触れると、リズムを刻むように揺れていることに気が付いた。


「時計?」

「懐中時計と。言われた」


誰に、とは聞けない空気だ。確かに、懐中時計の真上には仕掛けが施され、同じく金の細かい鎖が伸びている。目で促されるまま、懐中時計の蓋の部分に爪をひっかけ、開く。


何の変哲もない、時計だ。

文字盤に描かれた文字は、一瞬何を意味しているのかは分からなかったが、直ぐに私のよく知る文字へと切り替わる。やはりこれも、この世界の文字らしい。


(朱雀の書いてくれた文字とも違う?)


一瞬だったので確信はないけれど、繋がった文字は少し違うように見えた。


何か動物のような絵が数字と共に描かれている。それから中央より少し下には、コンパスのような小さな円とその中にはまた色の着いた動物のマークだ。方角を示しては居ないようだった。針は留まることなく、回り続けている。


「その様子では、知らないな」


取り返そうと、ユーゴさんの手が伸びてくる。咄嗟に胸元に寄せると、険しい顔になる。


「返せ」

「待って。くだ、さい」


何か、思い出して。ユーゴさんがこれをわざわざ見せてくれたならきっとなにか理由がある筈だ。瑠璃ちゃんの期待を裏切りたくはない。どうか、なにか、少しでもいい。


目を瞑ったまま、頭の中でそう願っても何も出てこない。当然だ。私はこれを見るのも初めてで、瑠璃ちゃんのことも知らなかった。

落胆した私を慰めるように、また手が触れた。瑠璃ちゃんかと思ったそれは、ユーゴさんだった。

冷たい指先が、布の上から触れた。


「握り締めるな。大切なものだ」

「あ、すみませ……」

「ユーゴ、そうじゃないでしょ」


口をへの字に曲げたユーゴさんに、懐中時計を奪われた。反射的に謝ると、瑠璃ちゃんが、ユーゴさんを叱るように声を上げた。


「ごめんねしたかったんだよね?」

「……すまない」


少し表情を緩ませたユーゴさんが、懐中時計を見ながらそう呟いた。なにか、含みのある謝罪だった。


「瑠璃のおやつあげるから元気出して、ユーゴ」

「あっ、じゃ、じゃあ私の分も……」

「お前のは要らない」

「なんでですか!」

「歳を考えろ」


ぐうの音も出ない。流されたから、恥ずかしいことを言ってしまった。何となく、ユーゴさんが捨て犬のように見えたのだ。ほんの一瞬だけ。最後の一口を残していたらしい瑠璃ちゃんが、スプーン片手にユーゴさんの椅子へと歩み寄る。

膝に抱えあげられた瑠璃ちゃんが差し出した一口を、無言で咀嚼するとユーゴさんはこちらを向いた。


(え、そのまま話すの……?)


「これは国のために必要なものだ。それしか言えない」

「はい」


真面目な顔で話を続けているが、そのユーゴさんの三つ編みで髭を作って遊ぶ瑠璃ちゃんの方に、どうしても目がいってしまう。

ちらちらと視線が彷徨う私を叱責すると、ユーゴさんが先程の懐中時計を懐へとしまい込んだ。


何だか、心細くなる。


「ゼンという男に殺されたと言っていたな」

「はい……」

「嫌な思いをさせた。詫びよう。忘れたければ、手助けはする」

「忘れる?」

「強制的に記憶を失わせる。また元通りになれる」

「そ、それは嫌!もう何も忘れたくない!」

「瑠璃も、ミコとまた遊びたいからやだ」

「瑠璃は静かにしていろ」

「ぶぅぶぅ!ユーゴのケチ!」


先程の茶杯よりも、小ぶりで平たい茶杯に薄いお茶が注がれていた。ユーゴさんは、それを差し出して、記憶を失わせると言う。それを押し返すと、瑠璃ちゃんが中身を全て、辺りへと投げ捨ててしまった。

ユーゴさんはそれを一瞥いちべつしただけで、茶杯を他のそれと同じく片付ける。


「普通、お前のような存在は、記憶を保持したままこちらへ帰って来ることは無い。それもこんなに早く」


私の記憶では、應李おうり朱雀すざくと出会って、すぐに殺された事しかない。これは、早い部類に入るらしい。


「そう言われても、なすすべなく撃たれて……」

「撃たれた?有り得ない、あれはどうした」

「あれ?」

「……」


大きな溜息だった。

眉間に深く刻まれた皺を瑠璃ちゃんがぐりぐりと押すが、その谷が平坦になることは無い。


「渡した物を奪われたな」

「渡した物……?あっ」


あの水が広がり、空を反射する途方もなく広い空間で初めて出会った時のことを思い出す。私を突き落とす前、確かに何かを首にかけられた気がした。

異世界に飛び込んだ衝撃で、忘れていた。

慌てて服の中を覗くが、見慣れた下着があるだけで何も見当たらない。

咳払いをされたので、服を整えると、話が続く。


「あれはお前の身を守る物だ。近くにあればある程よい。死ねばまたこうしてここへ戻ってくる」

「それは、良い事じゃないんですか?」


ユーゴさんと瑠璃ちゃんの動きが止まった。驚いた様子で問いかけられる。


「また死にたいのか?」

「い、嫌です!絶対嫌!」


最期の恐怖を思い出して身震いする。

あんな目に遭うのは二度と御免だ。


「化け狸に取られたんだ。手癖の悪いやつはこれだから好かない」

「わるいこだねー」

「あの後、お前が死んだせいで国が滅びる」

「どうして!?」

「手が付けられない暴れ馬がいたんだ。……はぁ、だから早くあれを降ろせと」

「ユーゴはきらいなんだよね、その子」

「は、はぁ……」


化け狸のような妖怪には覚えがない。もしかして、川に落としてしまったのだろうか。それとも、ゼンたちから逃げるうちにどこかへ引っ掛けてしまったのか。

見当がつかない。


私のせいで国が滅びるという話も、よく分からなかった。まず、国どころか森すら抜けられていないのに。どうやって国なんていう大きなものに関与するというのか。


「次は間違いなく白虎びゃっこのもとへ降ろそう。その前に、落し物を取り返せ」

「どうやって?」

「少しだけ、


ぽかんと。

驚きを隠せずに口を開けた私を見て、瑠璃ちゃんがくすくすと笑っていた。

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