輪廻の神子

橙式部

序章──南州 孔朱国

第1話

───夢を見た。


とても悲しくて長いから、夢の中でも醒めて欲しいと願っていた気がする。


私は自然豊かな見知らぬ場所に、よく知らない誰かといた。

着たことも無い綺麗な服に袖を通していて、その相手もまたファンタジーのような複雑な服に身を包んでいる。顔は、俯いているのでよく見えない。


夢の中で、私はその人に切実に思いを託し祈った。

どうか幸せであれと。

私の願いに首を振った誰かは、それでも夢の中の私に正反対の願いを告げる。


「頼む。手を取ってくれ」


男の人のようだ。

相手の性別が声で知覚できほっとする。

長い髪は、女性と言われてもおかしくはなかった。


そこでようやく、夢の中の私は、私ではない誰かなのだと気が付いた。

手が、違う。こんなにもマメやささくれだらけの手ではない。荒れ果てた爪先には、なにかが握られている。

感触も感情も分かる。けれど、私では無い。


よく見れば、髪もとても鮮やかな長髪だ。こんな色はフィクションの中でしか見たことが無い。

夢だと自覚すると不思議な事に、その人の後ろに寄り添って二人のやり取りを眺めているような感覚に陥った。

私ではない誰かは、苦い思いのまま、差し出されたその手を拒絶する。それを見たが酷く傷ついたのが分かった。


泣いている。

それが分かった私は見ていられずに、反対側へと駆け出した。

本当はこの人も傷付いていた。何を話していたのかさえ詳細には分からない。

けれどとても大切なことだった。この人と彼にとっては、とても。私はこの人の感情につられるようにして、泣いてしまった。

この人は彼に背を向けて初めて泣きじゃくった。

暫くそうしていると、大きな獣のような不気味な生き物に遭遇してしまった。

全身が黒く巨大で、真っ赤な瞳がうごめく毛の中から私たちを睨みつける。大きな口が開かれると、思わず鼻を塞ぎたくなるような腐ったような臭いが辺りに充満する。


食べられる。

逃げようとする私とは対照的に、その人はあえてそれを受け入れたように見えた。

何の抵抗もせず、体が飲まれていくのをぼうっとしたまま他人事のように見つめる。


首を傾げた化け物が試すように胸を貫いた。

手のように伸びた触手のようなそれは、確かに左胸の辺りを貫通してその人を持ち上げる。



私は怖くて痛いのに、この人はそんなこと微塵も気にしてなどいなかった。ただ、彼が心配で仕方がない。最後に見た悲しげな涙のことが頭から離れない。


大きな口が閉ざされる直前、小さな呟きを最後にその人は事切れた。





誰かとリンクしていた痛みが消えほっと息をつく。




「……はぁっ!……はぁ、はぁ」


初めて産声を上げた赤ん坊のように、息を求めて大きく口を開けた。

瞼一枚を隔てても赤い視界は、太陽光を透かしているらしい。

暖かな陽の光が、現実と朝の訪れを告げてくれる。

日当たりの良い私の部屋は、気持ち良い目覚めが唯一の長所だったはずなのに、今日は変な夢のせいでそれも叶わない。


やはり夢だった。

どうしようもなく奇妙で不思議で、それでも後を引く切なさがある。

目覚めるのが億劫で気がかりで、ゆっくりと夢で見た場所を思い浮かべる。

小さな頃に家族で出かけたキャンプでも、あんなに自然に溢れた場所は無いだろう。

緑が青々としていて、まさに大地が呼吸をしているような。想像の域を遥かに越えた大樹や、涙を流していた彼の姿にも見覚えが無かった。

ドラマや漫画にあんなものがあっただろうか。

流行りのそれらはなんとなしに目を通してきたがどれとも違う気がする。


(変なの。どうしてこんなに気になるんだろ)


真っ暗な視界の中、そんなことをぼんやりと考えていたら、何か擦れたような物音がした。

未だ痛む胸の奥に疑問を抱きながらも、そろそろ学校へ行く準備をしなくちゃ。そう思って気持ちを切り替える。


頬を伝うなにかに気付いて、ゆっくりとまぶたを上げた。

眠りながら、泣いていたのだろうか。そう思って確かめようとした手が動かなくて困惑する。

ぼやけた視界にまず入ってきたのは、やけに近い月だった。


「つ、き……?」


朝なのに、こんなに綺麗に月が見えるなんて。

慣れ親しんだ私の部屋では無い。ここはもっと、途方も無く広くて、天井が見当たらない。

空と地上とに綺麗に分かれ、地上には終わりの見えない水面があった。

瞬きを繰り返すうちに、月を囲む深い紫色が、宵闇では無く、絹のように伸びる髪の毛だと気が付く。


(人だ。男の人……?)


私よりは年上くらいのお兄さんが、ファンタジーのような、歴史ドラマに出てきそうな服装をしている。黒を基調とした裾の長い服を首元まできっちりと着こなしているところを見ると、意外と几帳面なタイプなのだろうか。服に施された中華っぽいけれど、細やかな刺繍はそれにしては洋風に近いように見える。上品な銀色の動物の刺繍は、何だか可愛らしく見えて不釣り合いな気がした。


不思議な服に身を包み、男性にしては長い髪の毛を緩く編んで纏めている。夜だと勘違いしてしまったのは、そのせいか。改めて見てみると今まで遭遇したことも無いレベルの美貌を携えた青年だ。顔の片側が長い前髪で隠れてしまっているが、それでも十分にイケメンの部類だろう。


(──似てる。さっきの人に、似てる)


背中に感じる温さは、その人の腕のようだった。

何故、見知らぬ美青年に抱えられているのだろうか。よく観察していると、焦点のあった瞳が小さく見開かれた。


「ようやく、起きたか」


顔に似合った心地好い声だ。懐かしい感じ錯覚すら覚えほど、よく耳に馴染む。

詫びを入れたその人にゆっくりと横たえられる。耳の傍でぴちゃりと水の跳ねる音がする。


辺りを見渡すと、やけに何も無い空間だった。本来地面があるはずの場所にどこまでも広がる水面があり、そこに横になっている。けれど、私の体はどこも濡れていない。

驚いて飛び起きると、何かを持ったその人の額とぶつかった。


「っくぅ……っ」

「落ち着け」


同じくぶつけた額を抑えて悶える私とは対照的に冷静なその人は、一言そう述べた。

不服そうに顰められた眉に反射的に謝ってしまったが、ちょっと待って欲しい。

一体あなたは誰で、今私はどんなドッキリを受けているというのか。


似てるとは思ったが、やはり違う。

夢の中の彼はこんなにも無愛想では無かった。


「あの、ここ、えっと」

「ウンジョウ、俺はユーゴ。お前は先程天寿を理不尽な形で全うした。拾ってやったからには、こちらの言うことを聞け。国を救え。以上だ」


淡々と並べられた言葉に、呆気に取られているうちに、何やら上質そうな布を絞ってユーゴさん?とやらは私の頬を拭う。顔から離れて行くそれには、赤黒い汚れがびっしりと着いていて血の気が引いた。


慌てて体を見渡せば、痛みも覚えも何一つ無いにも関わらず、制服から覗く肌にはべっとりとした血痕のようなものが多数見えた。


「えっ、私……死んだってこと?」


ですか。後付けした敬語はカラカラの喉に置いてけぼりにされた。


無言で頷くユーゴさんは先程の布を手渡してくれる。何度見つめても、汚れたそれが綺麗になる事は無い。

視線で促されるままに見える範囲の血のようなものを拭うと、また頷かれた。どうすれば良いのか分からずに見つめると、冷たい視線を返される。切れ長の、それも金色の目で睨まれると、身がすくんだ。


「いつまでもそうしていられると困る。俺も忙しい身だ。早く下に降りてシジュウを従えて来い」

「しじゅ……?えーと、そういうドッキリですか……?」

「……また記憶を引き継げなかったのか」

「また?」

「よくあることだ。俺がこうして説明するのも、もはや数えきれない」


ちんぷんかんぷんなことを言うユーゴさんはため息をつく。私だってため息をつきたい気分だ。


(早く帰りたいのに)


「シジュウを従えてテンホウザンに来い。王の選定はお前に任せる」

「だから、言ってることがよく分からなくて」

「お前は死んで、元の場所には帰れない。お前は自分の名前が言えるか?」

「はあ!?そんなの、言えるに決まって……」


言葉に詰まった自分に、驚く。苗字と名前。言えて当たり前の文字が浮かばない。両親の顔に始まり、なにか思い出せるものは無いかと、家族や親友の顔を縋るように追っていく。けれど、どれも手を伸ばせば逃げていってしまう。通っていた学校や、流行っていた冗談。取り留めのない単語や常識なら思いつくのに、大切な思い出程、靄がかかったようにぼんやりとした何かに邪魔されて何一つとして思い出せない。


「わたし、私は……」

「名がなければ何処へも。名を与えてやろう。この世界ではミコと名乗れ」


ショックを隠しきれない私に、その人はそう告げる。


「お前の世界では神に仕える者をそう呼ぶんだろう。お前は天命に背いてはならない。ぴったりだな」


ミコ──巫女、の事だろうか。あまりそういったことには詳しく無いので思いつかない。そもそも、私は今変な記憶喪失のようだし。


やけに乾いた笑いを漏らしたユーゴさんが、指を鳴らす。すると急に、風を感じる。それから、浮遊感。重力。まるで遊園地のアトラクションのような。

その瞬間、私の足元が崩れてぽっかりと穴が空いていることに気が付いた。


「っぎゃあァァ!」

「喚くな。ほら、やる」


無我夢中でユーゴさんにしがみつく私を鬱陶しそうに払い避けようとしたユーゴさんが、何かを私の首にかけた。それが何かを確認する前に、唯一繋がっていた温もりが離れる。

手が、離された。


(そんなっ)


足元の先は、真っ暗で何も見えない。深淵だ。これに落ちたら私は一体どうなってしまうのか。恐ろしくて、堪らない。


「今度は間違えるなよ、ミコ」


手始めにビャッコあたりを適当に騙せよ。そんな軽口を叩いて、美貌の青年は、私をまさしく雲の上のような場所から突き落とした。

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