取り戻せない代償 2 あなたのいない日々 (短文詩作)

春嵐

第1話

 彼女が死んで、しばらく経った。

 今も思う。彼女は、幸せに死ねたんだろうか。ずっと、死にたいと言っていた。自分のせいで、生きたくもないのに生き長らえてしまったんじゃないか。

 それでも、自分が作った料理を美味しそうに頬張る彼女のことを、思い出す。幸せだっただろうか。


「おかわり」


 こどもがおかわりを要求してくる。


「よし。たくさん食え」


「うん」


 こどもがいなかったら。自分も死んだだろうか。分からない。こどもがいても、死ぬときは死ぬと思う。

 思うだけ。

 現実はそんなに。


「うわあこぼした」


「うわあこぼしたな」


 考える暇をくれたりはしない。


「よし。服を脱げ。洗濯だ。いくぞ」


「うん」


 まずは、目の前の失われた衣服とごはんに対応しなければならない。とりあえず、こどもが暇にならないようごはんの残りを持って洗濯機へ。


「スイッチオン」


「すいっちおん」


 洗濯開始。


「よし。ここに座れ」


「うん」


 自分のあぐらの上にこどもをマウント。


「よし。めしを食え」


「めしをくう」


 食いはじめる。


「こぼしたのは、なぜだ?」


「おいしかったから」


「もっと具体的にいこう」


「ぐたいてき」


「おいしいと、こぼすのか?」


「うん」


「もったいないとは思わんのか?」


「もったいなくない。おとうさんまた作ってくれるし」


 これは教育的指導が必要だ。


「じゃあ、おとうさんががんばって作ったものを、おまえはこぼして捨てちゃったわけだ」


「ううう」


 泣き出した。感情がジェットコースター。


「ごめんなざい。おどうざんのだべものごぼじだあああ。たべれなぐなるううう」


「よしよし。こぼした原因を教えてやろう」


 なだめに入る。ぐずるとこれまた大変なので。駆け引きは重要。


「手元の不注意だ」


「てもとのふちゅうい」


「スプーンをがっしり握る。これだけでこぼす確率は減る」


「がっしり」


「そう。がっしりだ」


 こどもの手。まだ箸も握れない。


「がっしり。がっしり」


「そう。いいぞ。おとうさんの作ったもの、たくさんこぼさず食べてくれると、おとうさんも嬉しいぞ」


「うん。がっしり嬉しい」


 よくわからないけど、とりあえず伝わったらしい。教育的指導おわり。


「よし。洗濯終了まで時間がある。ごはんに戻ろう。こぼさないようにがっしり器を持ってテーブルに戻るぞ」


「うん。がっしりがっしり」


 器をがっしり持ってこどもが立ち上がる。いいぞ。


「あっ」


 おい。そんなに突然走ったら。


「うわあ」


 こけた。


「あああああ」


 この世の終わりみたいな断末魔だな。


「おとうさんのごはんがあああああ」


 さすがに子育てのしがいがある。

 どったんばったん暴れ狂うこどもを見て。

 彼女にも、このかわいい怪獣を見せてあげたかったと。

 思う。

 思うだけ。

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