第201話 芍薬 1
「久遠!」
固く閉じられた
翡翠の全身から血潮とともに熱が引く。
身体の芯からくる震えを抑えきれず冷たく掠れた声でつぶやくように、もう一度その名を口にすると、海神が深く響く声で暖かく包み込むように声をかけてきた。
「案ずるな。かすかだが、まだ鼓動も息もある。」
そう言って海神が久遠の手を握りしめると、そこは熱を帯び温かな光に包まれる。
十も数えないうちに、久遠の瞼が震えた。
わずかに眉をしかめながら、その目が薄く開かれていく。
「翡翠・・・・」
呆然としたまま紡がれた久遠の声に、翡翠は涙で胸が詰まり言葉を吐き出すことができなかった。
立ち上がった久遠を強く抱きしめ、翡翠はその温もりに顔をこすりつける。
「久遠っ・・・・久遠っ。なぜ、あなたを失って、私が生きていけると思ったりしたの。あなた無しに、私は私として生き続けていけるわけがないのに・・・・。わからなかったの?」
「・・・・翡翠。」
「どうして私を残していなくなるの。私を一人にするの。・・・・久遠。許さない。一生あなたを、許さないからっ。・・・・もう二度と、私を離したりしないで・・・・」
翡翠のむせび泣く声が、久遠の胸に染み入る様に消えていく。
「・・・・・誓うよ。二度とお前を、離さない。・・・・私の心が傍らに望む者は・・・翡翠、お前だけだ。」
久遠は、翡翠の細い身体を折れてしまうほどきつく抱きしめた。
息ができないほど強く抱きしめられながら、翡翠はそれでも足りなくて、更に強く久遠を抱き返す。
ひとしきりそうして抱き合っていた二人だったが、ふいに翡翠が、
「・・・この花は」
「・・・・ああ。お前の気配を手繰るため、預かってきたのだ。・・・・祠に祈りを捧げてくれた者は、お前だな。」
久遠が静かにうなずくと、海神は芍薬を翡翠の手から受け取り、哀しい色の瞳のまま頭を下げた。
「すまなかった。・・・・流の所業、許せとは言わない。お前が祠へ祈りを捧げていなければ、お前たちの命はなかったのだから。」
海神は頭を上げると、芍薬と簪を片手に小さく息を吐き、背を向け去ろうとした。
翡翠は、慌ててその背に声をかける。
「お待ちください。お急ぎでなければ、お聞きしたいことがあるのです。」
翡翠の言葉に、海神はゆっくりと振り返り、うなずく。
「人と違い、我らは生きることを急がない。時はある。私で答えられることであれば答えよう。」
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