第191話 濃紺の衣をまとった女

 女の悪意に満ちた美しい双眸が、紫に輝く。

 

 「好都合であったからよ。・・・・人の世にことわりがあるように、神妖じんようには神妖の理がある。派手に暴れれば理を外れた者として、同族の手で粛清されることになるのだ。」


 女は再び、うまそうに盃をあおった。


 「神官を隠れみのに人柱をたて、それを食らっていれば、神妖界に儂の悪事が知られることは、まず無い。だが儂は・・・・・・美しい子供の生き血をすすり、柔らかな桃色の肉を引き裂いて食らうのが、なによりも好きなのだ。・・・・欲がある。」


 「なにが、言いたい・・・」


 久遠は焦れ、苛立った声を上げた。

 女はさも面白いものでも見ているように、久遠を眺めた後、おもむろに立ち上がり身体が触れそうなほど彼に近づいた。


 「お前の父の望みどおり、儂は明日の夜、翡翠を食らう。・・・・身も心も、あの娘のすべてを切り裂き食らいつくした後、儂はこの地に大きな嵐を呼ぶ。・・・・・それをお前の父が偽りの儀式を行ったために起きた凶事であると訴えれば、さらにもう一人・・・真のにえであるお前を新たな人柱へと、仕立てることができるのだ。」


 「貴様・・・・」


 「・・・・一人しか食らえぬはずのところを、前菜に翡翠まで堪能できるというのだ。なぜ、儂がお前の父を止めると思う?儂はお前の父に騙されたかわいそうな神官。・・・・・心を鬼にして、泣く泣くまことの人柱であるお前の名を、皆に告げるしかあるまい?」


 そう言ってクスクスと楽し気な笑い声を立てながら、女は二本の冷たい指で久遠の顎を軽く上向けると、血のように赤い長い舌で喉元をぬらりと舐め、そこに柔らかく歯を立てた。


 「お前の父には、礼を言わねばな・・・・。」


 慈悲のかけらもない残忍な現実に、久遠は戦慄し、同時に激しい怒りに拳をきつくにぎりしめる。


 「久遠。妙な気を起こすなよ。・・・・お前は無力だ。儂を殺すことも、逃げることもかなわん。翡翠を楽に死なせてやりたいのなら、騒ぎを起こすな。なに・・・・じきにお前も同じ場所へ逝く。しばしの別れだ。寂しがることはない。」


 固く握りしめた久遠の手の内で、爪が皮膚を突き破り、拳を伝って血がポタリと滴り落ちた。


 「ああ・・・久遠。粗末なことをするな。お前は儂のものだ。一滴の血も無駄にしてはならん。」


 女は、されるがままになっている久遠の手のひらを、愛おし気にそっと開くと、流れ出した鮮やかな紅を丁寧になめとり、自分の手で包み込んだ。

 ぼんやりと光を帯びた久遠の手のひらは、ほのかな温もりをまとい、そこにあった生々しい傷はたちどころにふさがっていく。


 その様子はまるで、美しい女が愛おしい者を慈しんでいるかのようで・・・・たとえようもなく尊い情景にすらみえる。


 「さあ。もう部屋へ戻って休め。お前にできることは何もない。」


 色を失った瞳で、呆然と部屋へ向かい去ってゆく久遠の背中を、女は幸せそうな笑みを浮かべ見送った。

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