第176話 正直な蒼

 緊張で冷たくなった光弘の手を、熱を持った自らの手で温めながら蒼を見つめていた黒は、哀し気なその視線を静かにそらした。


 「心が楽なように生きるということは、本当はとても難しい。すごく、勇気がいる。自らを傷つけ、追い詰めることだってある。だけど・・・・それが分かっていても、全力で駆け続けるような生き方しか、選べない奴もいるんだ。」


 短い沈黙ののち、蒼は頭をあげ、取り繕うように明るい声を出した。


 「悪い。少し話がそれてしまったな。・・・不安に思う必要はない。自分の心の願いを聞いてやれって、君たちに伝えたかっただけだ。」


 されるがままになっている海神から身体を離し、今度は彼の艶やかな髪を手の内で遊ばせながら、蒼は軽い口調で言った。


 「・・・・・あまり遅くなると、家の者にばれるぞ。君たちはもう戻れ。・・・・真也。三人のことはボクが君に代わって存分に疑っておいてやるから、安心しろ。ボクはあいつらを疑ってもなんとも思わないからね。」


 そういって海神の顔を覗き込んだ蒼は、ぎょっとして少し慌てた。


 「ちょっと、海神・・・・・。どうして君までそんな顔してるんだ。」


 俺の目にはいつも通り、凛とした表情にしか見えない海神だったけど、どうやら蒼には違うように見えているらしい。


 「わかったよ・・・・。どうせ、そこの二人も同じなんだろう。みんな好きにすればいいさ。あの三人の中に腕の奴がいたら、その時はその時だ。」


 蒼はおおげさなため息をつきながら、勝と都古に視線を送った。


 「僕と、彼もだ。」


 スルリと滑り込んできた黒の発言に、蒼は露骨に顔をしかめた。


 「君は自分でなんとかできるだろう。なぜボクに言う。」


 「優しくないね。・・・・傷が、ひどく痛むんだ。いいだろ?」


 わざとらしくかすれた甘い声でねだる黒に、蒼は顔をしかめ、なにかを言いかけた。


 が、黒のこめかみを流れ落ちる冷たい汗に、実際、冗談を言っていられないほどの酷すぎる傷が彼の背にあることを思い出したようだ。


 「いいよ、わかった。彼呼迷軌はボクが目を光らせておく。・・・・・君、よくそのケガで軽口なんて叩けるな。・・・・感服するよ。」


 蒼にほめられると、黒は可愛げなく鼻を鳴らし、そっぽを向いた。


 「ただし、手を貸すのはそれだけだぞ。・・・・ボクには海神が全てだ。海神しかいらない・・・・・海神のことしか、選ばない。君たちに傾ける愛情なんて、これっぽっちもないんだ。自分の大切なものを守りたいのなら、各自、修練だけは怠るなよ。」


 あまりにもサラッと蒼が言うから、聞き流すところだったけれど、言葉の意味がようやく頭の中に染み込むと、俺の顔に一瞬で熱が上がった。

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