第172話 光弘の家 5

 「双凶の黒・・・・。あなたがなぜ、その傷を癒そうとしないのかはわかりませんが・・・・私にとっては好都合です。貴方のような、中身を伴わない名ばかりの者には虫唾が走りますからね。・・・でもまあ、良い機会をくれたそのみじめな姿には、素直に感謝を申し上げておきましょう。」


 エビはそう言うと、タコと一体化させた触手をしならせ、雷光のような一閃を、黒めがけて走らせた。


 黒の目が睨むようにわずかに細められ、紅い光を帯びる。


 触手は、黒に触れることはできなかった。

 それどころか、黒の顔からまだだいぶ離れた位置で、その先端は止まっていた。

 エビは触手を伸ばし切ったままの状態で、小刻みに全身を震わせている。


 背中の焼けつくような痛みに冷たい汗を流しながら・・・・・黒は寝ころんだままの姿勢で、エビに向かって意地の悪い表情を浮かべ、顎を少し上に向けた。


 「お前を相手にするために、僕がわざわざ身体を起こそうとしたと、そう思ったの?・・・・僕はただ、彼にこうしたかっただけだよ。」


 そう言って黒は、激痛に強張る身体をゆっくりと起こし、ためらいがちに・・・おびえたようにそっと、光弘の顔へ向かい手を伸ばした。


 その手が触れる前に、光弘は黒の手に自ら頬を寄せると、空いている方の手で黒の頬を包み込み、黒の額に自分の額を押し付けるようにして重ねた。


 黒は目を見開き、体をすくめて息をのんだが、すぐに切なげに目を細めて、澄んだ涙をこぼして肩を震わせている光弘の頭を、肩に抱き寄せた。


 「ありがとう。・・・ボクをこんなに、大切に想ってくれて。」


 黒の言葉に、光弘は彼の首に顔をギュッとうずめることで答えた。


 「ごめんね。・・・・君をひどく、不安にさせてしまった。」


 光弘が小さく横に頭を振る。

 光弘の柔らかな髪に耳元をくすぐられ小さく肩をすくめると、黒はそっと息を吐きだし、微かに口元を緩めた。


 ふいに、部屋の中を小さな風が吹き抜けた。

 振り返ると、ドアの前に海神と蒼が立っている。


 「エビ・・・・お前なのか。」


 海神が冷たく目を光らせ問いかける。

 エビは濁った黄色い瞳から、涙をぼろぼろこぼし始めた。


 黒がうっとおしそうに顔をゆがめ、向こうへ行けと言うように手であおいだ。


 「海神。そいつは水妖の類だろう?だとすればこれは、君の失態だ。僕はもう知らないよ。・・・・後始末は、君がしろ。」


 軽口をたたくような口調でそういうと、黒はエビに対する興味をすっかり失って、光弘以外はどうでもいいといった様子を見せている。


 背中の痛みが辛いのだろう。

 黒の呼吸は少し乱れていたが、自分のことなどそっちのけで、光弘のことを心配し労わっている。


 一体、この二人の間に何があったんだ・・・・。


 俺は冷たく広がる雪原に置き去りにされたような・・・心細さにも似た不安を感じた。

 都古と勝を振り返ると、二人とも俺と同じく不安げな表情を浮かべている。


 海神は眉間にしわをよせ、黒に「わかった」とうなずいた。

 黒の術が解かれ、前のめりに倒れこんだエビは、そのまま這いずって海神の足にすがりついた。

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