第130話 宵闇 1

 光弘は、自分の部屋のベッドに黒をうつぶせに横たえると、その背に手をかざした。


 癒しの術を使っても、背の傷は全く癒えない。

 恐らく普通の傷ではない。

 何か術が施されていたのだ。


 苦しそうに顔を歪める紅葉の額に浮いた球のような汗に気づき、そこへそっと手を置くと、焼けた石のように熱かった。


 光弘は氷水を張った桶にタオルを浸し、しぼって紅葉の額に乗せるがすぐにタオルが熱を持ってしまう。


 紅葉が意識を取り戻すことができれば、彼自身の守りの力を戻すことですぐに回復できるのだろうが、意識を失っている今の状態ではそれは難しい。


 先ほどから姿を見せなくなっている癒の事も気になっていた。


 滑らかな額にかかった黒髪を指ですくいあげるようにしてよけると、光弘はぬるくなったタオルをかえ、再び黒の背に手をかざした。


 その時突然、光弘を耐えがたいほどの強烈な睡魔が襲った。


 光弘は、抗う事すらできず床にくずれ落ち、そのまま泥沼に沈むように、澱んだ重い眠りに引きずり込まれていく。

 眠りの先にあった場所は・・・・紅葉の作る温かみを帯びた白い世界ではなかった。


 一面の闇の中、目を開いた光弘は、そこに紅葉の気配が欠片すらないことを知り、心細く思いながらも安心した。


 紅葉をこれ以上傷つけたくない・・・・・。


 「初めましてと言っておこうか・・・・光弘。」

 「宵闇よいやみ・・・・か。」


 光弘は身構え、目の前に立つ人物を睨みつけた。 

 黒く染まった宵闇の右半身は、闇に沈み、青白い左半身だけが黒一色の世界に淡く光を帯びる様にポカリと浮いて見える。


 闇に溶け込んだ右の顔で、血が滴るような赤い色の瞳だけが、ギラリと不気味な光を放ち、こちらを覗いていた。


 以前の自分だったら、ただ震えるだけだったかもしれない。

 だが今は、紅葉をあのまま独りにはできないという強い想いが、光のない世界に囚われた光弘の心を、一途に支えていた。


 「ようやく邪魔者が消えた。小細工は止めだ・・・・。俺の仲間になれ・・・・光弘。お前が私の元へくるならば、お前の周りの者には手は出さない。母親の呪いも、解いてやってもいい。」

 「・・・・・。」

 「これも・・・・返してやれるぞ。」


 そう言って、煩わしい荷物を持ち出すように宵闇が出してきたソレを見て、光弘はこぼれそうな程目を見開いた。


 「姉・・・さん?」


 宵闇は一本の槍のようなものを気だるげに振った。

 槍の先で、楓乃子かのこが固く目を閉じ、槍の先端を抱きしめるように腹に鋭い刃を突き立て、揺れながらぶら下がっている。

 薄い身体を通り抜けた鋭い刃が、背中からわずかに顔を覗かせていた。


 光弘は、胸の奥を詰まらせながら、身体の奥が震えるのを抑え、絞り出すように叫んだ。


 「ふざけるな!幻覚を見せるのはやめろ!」

 「幻覚・・・か。お前、分かっているくせに面倒な事を言うのだな。幻覚ではない・・・・。これは俺の槍を封じて離れないゴミだ。お前が望んで私の仲間になるというのなら、これをお前にやろう。」


 煩わしそうに振られた槍の先で、楓乃子の身体がガクガクと揺れる。


 死んだはずの楓乃子は、美しくどこまでも残酷なさやとなり、そこで宵闇の槍を封じていた・・・・・。

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