第95話 光弘の告白 3
『俺が小3の時のだった。姉さんが、突然食事をとらなくなった。食事をしなくても平気と言ってはいたけど、俺は日に日に元気を失っていく姉さんが、心配でたまらなかったんだ。』
再び、
「姉さん。ちょっとでも何か食べたほうがいい。顔が真っ白だよ。いつものお店のプリン、買ってきたんだ。」
光弘がそう言うと、ベッドに寝転がりだるそうにしていた楓乃子が、ほんの一瞬ピクリと表情を強張らせたように見えた。
すぐに驚いた様子で起き上がり、光弘に声をかける。
「まさか。お小遣いで買ってきてくれたのかい?・・・・・・電車に乗って?」
「うん・・・・。」
光弘はなぜか肩を落としてしまった。
その頭を楓乃子が優しくなでる。
「ありがとう。すごく嬉しい・・・・。けど、内緒で電車に乗るのは無しだ。驚いて心臓が止まるかと思ったじゃないか。」
そう言って頬を膨らませた楓乃子は、今度は笑顔で光弘のおでこに自分のおでこを愛おしそうに重ねた。
「覚えておいて・・・・・・。何が起きても、みーくんは私の一番大切な宝物だよ。幸せになって欲しいんだ。」
手渡されたプリンを受け取り、楓乃子は一口口にした。
そのとたん、苦しそうに顔を歪め、床にうずくまってしまった。
光弘が驚いて、楓乃子からプリンを取り上げようとしたが、楓乃子は首を横にふり、真っ直ぐ光弘を見つめプリンを離さなかった。
「姉さん。無理に食べちゃだめだ!」
「大丈夫。無理なんてしてない。ちょっと具合が悪いだけなんだ。プリンのせいじゃないよ。」
顔を真っ青にして苦しそうに身体を丸めている楓乃子の背を、光弘が謝りながら撫で続ける中、景色は再び崩れていった。
『その翌日のことだった。姉さんがほとんど食事をとっていない事に気づいた母さんが、気分転換に俺たちを外食へ連れ出そうとしたんだ。』
「楓乃子、光弘。一緒になにか食べに行こうか。場所が変われば楓乃子の食欲も戻るかもしれないし。」
昨日のことが後を引いているのか、少し顔色の悪い楓乃子は「せっかくだけど」といって母の誘いを断った。
光弘の母は少し寂しそうに、「そっか、じゃぁ何かおいしいもの、買ってくるね。」そう言って、光弘を連れ出かけようとした。
玄関先で見送ろうと立っていた楓乃子だったが、2人が乗った車が走り出そうとした瞬間、驚きに目を見開き駆け寄ってきた。
「やっぱり、私も行っていいかな?」
そう言って窓越しに笑顔で話しかける楓乃子の額には、脂汗が浮かんでいた。
光弘がいぶかし気な表情で楓乃子を見つめている。
母親が嬉しそうに「もちろん」と答えた。
すると、楓乃子はなぜか、わざわざ光弘が乗っている助手席のドアを開けた。
「みーくん。悪いが今日は席を譲ってほしい。」
そう言われた光弘の身体から、黒い霧のような影が泥水のように湧き出してきた。
あの黒い霧は・・・・・。
今だから俺にも見えるようになったが、恐らくあれは人の目には映らないものだ。
宵闇がいる・・・・・。
「ごめん。姉さん。今日は僕、この席がいいんだ。」
頑としてどこうとしない光弘に、母親も隣で困った顔をしている。
光弘が気まずさからか、下を向いてシートを握りしめた。
「じゃあ、かわりばんこに座ればいいじゃない?私は助手席の奪い合いをしてもらえて光栄だけど。」
母親の言葉に、光弘はようやく楓乃子の顔を見た。
楓乃子の顔に、いつもの笑顔はなかった。
怖いくらい真剣な眼差しで、光弘の目を真っ直ぐ射抜くように見つめている。
「どくんだ。」
楓乃子の殺気すら感じさせる迫力に、光弘は反射的にシートベルトを外してしまったようだった。
楓乃子は運転席の後ろへ光弘を移動させ、しっかりときつくシートベルトをかけた。
「ごめん。みーくん。」
楓乃子は、光弘の目を哀しそうな瞳でじっと見つめ、愛おしそうに頭を撫でると、助手席に乗り込んだ。
景色が溶け、事故の現場と思われる凄惨な場所に姿を変えていく。
『すぐに事故が起きた・・・・・・。物凄いスピードの対向車が、俺たちの乗る車に突っ込んできたんだ。 事故の瞬間はよく覚えていない。気づいた時にはもう、俺と母さんは目撃していた人たちに車の外へ助け出されていた。 そこに姉さんの姿はなかった・・・。』
燃え盛る車の中から、光弘を呼ぶ楓乃子の悲鳴のような声が聞こえてくる。
呆然と立ち上がった光弘は、そのまま車に向かい走り出そうとした。
周囲にいた大人たちが、それを羽交い絞めにして止める。
光弘を呼ぶ楓乃子の叫びはすぐに聞こえなくなった。
光弘の叫び声が響き渡る中、景色は白い世界へと変わっていった。
真っ白な世界の中、
「数日後、姉さんの葬式が終わった。俺は、あの日以来初めて姉さんの部屋に入った。枕元に、俺があげたプリンのカップが、綺麗に洗って飾ってあったよ。姉さんは、あんなに苦しんでたのに、全部食べたんだ。プリンのカップをみたら、底に『ありがとう』って書いてあった。」
真っ直ぐ前を見つめ、そう静かに話す光弘の目から涙が零れ落ちた。
「俺が余計なことをしなければ。姉さんはあんなに弱らなかった。車から逃げ出すことだってできたかもしれないんだ。それに・・・・・。」
俺は、光弘が抱えているものの正体を知った。
なんて大きなものを、光弘は抱えてしまっているのだろう。
きっと、楓乃子には何かが見えていたのだ。
分かっていたんだ。
黒い霧の目的が・・・・・・。
光弘は一度言葉を切り、震える息を吐きだした。
「狙われていたのは・・・・・・俺だ。本当は俺が死ぬはずだった。席を変わったりしなければ、姉さんは死なずにすんだんだ。」
そう言って、光弘は両手で顔を覆った。
「炎の中から聞こえた、姉さんの声が、耳に焼き付いて離れないんだ・・・・・・。姉さんを殺したのは・・・・俺だ。」
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