第81話 癒 2

 数か月後。

 命逢みおとどろく雷鳴に、神妖たちは耳を塞ぎ首をかしげた。

 空は雲一つなく、いつもと変わらない淡い色合いで揺らめいている。

 

 再びこの地に戻ったゆいは、神代かみしろの枝へ一直線に舞い降りた。

 生まれ落ちてから数カ月が経過していたが、癒の外見的な変化は全く感じられない。

 生まれた時の愛くるしい、綿毛のような姿のままだ。


 だが、人へと姿を変えた時・・・・・・癒の様子は一変していた。

 陶器のような白く滑らかな肌も、艶やかな髪も、妖しいほどになまめかしく、美しさを増していた。

 切れ長の瞳は少年のあどけなさを微かに残したまま色めき、見る者の心を暴力的なまでに魅了する。


 闇色の黒衣に包まれた青年姿の癒は、ただただ途方もなく美しかった。


 癒は、神代の枝の葉に映る光弘みつひろの姿を泣き出しそうな切ない瞳で見つめ、指で撫でた。

 共に映る真也しんやたちの姿を見つめ、嬉しそうに少し寂し気に表情を緩める。

 都古みやこに目をとめた癒は、目を細め印を組んだ。


 「いざなえ。」


 甘く柔らかな声が響く。

 長く美しい指先から、薄紫色の霞が流れ、渦をまいて球となった。

 

 「見せろ。」


 美しく輝く紫の球の中に、都古の姿が映る。

 癒の瞳が紅く光り、同時に美しい球は水音を残して消えた。


 「開眼かいがん。」

 (九泉きゅうせん


 癒の心の呼びかけに応え、宙に描かれた目玉模様の中から一人の影が現れた。

 何かしらの術を使用しているのか、姿が朧気おぼろげで並みの者では視覚に捕らえることが叶わない。

 九泉という隠名かくしなで呼ばれたその影は、癒の前にひざまずくと単調に挨拶の言葉を述べた。


 「お帰りをお待ちしておりました。」

 「力を戻すのに少々手間があった。」

 「お戻りになられただけで十分です。」


 九泉の言葉に、癒は片方の眉をあげ、皮肉な笑みを浮かべた。


 「歯の浮くことを言うな。私とお前はそんな仲ではない。」


 言って、癒は表情を引き締めた。


 「宵闇よいやみが、復活した。」

 「あの方は・・・・?」

 「今は無事だ。」


 癒の答えに、九泉は身体の力を抜いた。


 「時間の問題だ。影を落としてきたが、いつまで耐えられるかわからない。」

 「無茶をされる。死にたいのですか。」

 「はははっ・・・・・まさか。そのつもりはない。分身体では反応が遅れるし・・・弱過ぎる。奴を抑えることはできない。それに彼呼迷軌の加護が与えられるまでは、私は異界へ転移することさえもできない身だ。それまでのささやかな抵抗、置き土産というものを残してきたまで。」

 

 九泉は眉をひそめた。

 影を落としてきたということは、自分の魂を残してきたという事だ。

 到底考えられることではない。


 どれほどの力を持った者であっても、魂が直接攻撃を受ければ、死の安息を望みたくなるほどの激痛からは、逃れることなどできない。

 ささやかなどと軽く言えるような状況ではないのだ。


 傲慢ごうまんで他人を冷たく見下した目でみつめるこの主は、あの方にだけは、どこまでも誠実で実直なのだ。

 平気でどのようにでも身を投じてしまう。

 いい加減な言い方をして逸らしているが、恐らく魂だけは傍らを離れさせたくなかったのだろう。

 そのために分身ではなく、影を守護として落としてきた。


 だからといって、一番の急所ともなりうる影をほいほい置いてきてしまうその幼い子供のような潔さは、あまりにも危ういというものだ。


 九泉は、小さくため息をついた。


 他の追随を許さない圧倒的な強さと美しさを誇るのに、暗黒の凍てつく闇と温かく全てを包み込む光が内に混在しているかのような、大人と子供が入り乱れているような、そんな不安定で薄氷を踏むような癒から目を離すことができず、九泉はこの孤高の主に忠誠を誓っていた。


 「おいで。」


 突然の甘い口調に、全身がうずく。

 彼がこんな言葉を使う時は、ろくなことなどないとわかっているのに・・・・。

 九泉は、主の求めに従い立ち上がると彼の目の前に立った。

 程んど高さの変わらない視線が絡み合う。


 「力を分けてやる。私の願いをきけ。」

 

 癒は、言うと同時に九泉の髪をかき上げると、首筋に爪を立て切り裂き、そこに口づけた。

 痛みと同時に、全身を気が狂いそうなほどの激しい熱が駆け巡る。


 「っ・・・・・。」

 「こらえろ。・・・・・すぐ、済ませてやるから。」


 癒は、彼にしては珍しく、美しい顔を曇らせ困ったように耳元でささやいたが、激しい耳鳴りと、鳴り響く鼓動の音、熱による焼け付くような痛みに必死で耐える九泉の耳に、その小さな声が届くことはなかった。


 癒は硬直する九泉の身体をいたわる様に腕に抱き、再びその首筋に口づけた。


 痛みが甘い疼きとなって身体を満たしていく感覚と同時に、九泉の意識はハッキリとより鮮明に感覚を取り戻していった。

 九泉は、冷たい瞳で自分を見つめ、顎で行けと指図する主の願いをきき、すぐさま人の世界へと渡った。


 自分の身を案じてくれる愛おしい存在が寄越してくれた、護りの腕飾りが、「気をつけて」と言うようにシャラリと音を立てた。

 

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