第41話 泣き虫 都古

 「都古みやこ!」


 ようやく都古の姿を見ることができた。

 それに、今はまだ都古の事を忘れたりしていない。


 俺はホッとして都古の名を呼んだ。


 「おまえ・・・どこにいたんだよぉー。」


 しょうが泣きそうな声で話しかけると、都古は身体の力が抜けたのか、ヘタリとその場に座り込んでしまった。


 「・・・・・っ!?」


 光弘みつひろが慌てて都古ににじり寄り、心配そうに顔を覗き込んだ。

 光弘と目が合った瞬間。

 都古はボロボロと大粒の涙を落とし、声を上げて泣き始めた。

 俺と勝も、腰を抜かしていたことなど忘れ、都古と光弘の周りに慌てて集まった。


 こうみえて実は都古はちょっと泣き虫だ。

 だが人前では涙を見せようとするタイプではない。

 例えばこんなことがあった。




 小学3年生の時のことだ。


 当時、都古とクラスの別れてしまっていた俺たちは、後から話を聞いたのだが、都古の担任は、かなり意地の悪い男の教員で、忘れ物をしたり自分の思い通りに動かない児童に、その日の気分でとんでもないことを言ってくることがあったそうだ。


 その日も朝から機嫌の悪かったその担任は、朝の会の最中に突然大声で騒ぎだした。


 「今日の体育、体操服を忘れたやつはいないだろうなー!そんななめた奴は、親に連絡してやるからな。忘れた奴、手を上げろ!」


 すると、間の悪いことに、普段ほとんど忘れ物をしたことのない雄太ゆうたが、独り震えながら手を上げたのだ。


 「先生。ごめんなさい。僕、忘れました。」


 それを聞いた担任は、ニヤリと嫌な笑みを見せた。


 「ごめんなさい、で済むわけがないだろうが。お前は今日の体育、授業を受けるのは禁止だ。お前の親には電話してよく注意しておいてやる。まぁ、もしもお前が、下着で授業受けるってなら仕方がないから許可してもいいが。」


 雄太は、目にいっぱい涙をためていた。

 雄太の家は最近妹が生まれたばかりだった。

 身体の弱い母親を心配している雄太が、家の中の事を一生懸命手伝っているという話は、クラスを超えて聞こえてくるほど有名な話だ。

 恐らく、そちらに気を取られてうっかり体操服を入れ忘れてしまったのだろう。

 母親の身を気遣きづって尽くしている、そんな雄太が『親に電話をする』などと言われて・・・・・自分のせいで母を心配させてしまうのだとわかって、平気でいられるはずがなかった。


 体育の授業が始まっても、体育館に雄太は現れなかった。

 担任は苦い顔をして舌打ちをし授業を始めようと口を開きかけた。

 その時。


 「雄太っ。」


 誰かが小さく声を上げた。

 体育館の入口にみんなが一斉に注目する。

 そこに、上下とも下着一枚の姿で雄太が立っていた。


 「おう。来たのか。その姿でこられたんじゃ、俺も断るわけにいかなくなったな。」


 担任は、大仰に雄太に「列にならんでいいぞ」と言って笑った。

 雄太が自分の列に並び、床に座るとほぼ同時のことだった。

 突然、クラスメイトたちから、ざわめき声が上がった。


 「おいっ!」


 都古が立ち上がり、担任の前に歩いて行ったのだ。


 「なんだ。小野寺。文句でもあるのか。」


 冷ややかに見下ろす担任の目を真っ直ぐ見つめながら、都古は思い切りよく体操服を脱いだ。

 みんなが絶句する中、下着姿になった都古は笑顔で雄太の隣に腰を掛けた。


 「おそろいだ。これで恥ずかしくないだろ?」


 雄太の大きな目いっぱいにたまっていた涙がポロリと零れ落ち、後から後からあふれ出した。


 「泣くな、雄太。最後まで私もこのままでいる。安心しろ。」


 そう言って体操服を体育館の端に放り投げ、都古は雄太の背を優しくなでた。

 それを見ていた、クラスメイトが何人も泣き出した。

 リコが立ち上がり、担任をにらみつける。


 「先生。ひどすぎる。私、気分が悪いので保健室へ行きます。」


 リコの声に、何人もの女子が同じように声を上げ、体育館から出て行ってしまった。

 担任は青ざめた。

 残ったクラスメイトたちも、担任をにらみつけ口々に抗議の声をあげる。


 「先生。やりすぎじゃないですか!」

 「雄太、毎日頑張ってるのにひどい!」

 「先生、雄太が家で毎日母ちゃんのためになにしてるか、知らないんじゃないの?」

 「え?隣のクラスの奴らでも知ってるのに?先生が知らないの?」


 次々に上がる声に、ついに担任はを上げた。


 「わ、分かった。今日は特別に許す。雄太。服を着ていいぞ。小野寺、お前もだ。」


 そう言って取りつくろおうとするが、もはや手遅れだ。

 授業どころではない。

 都古は、泣いている雄太を静かに立ち上がらせると、自分の体操服を拾い上げ、教室へと戻って行った。



 授業が終わって、少し長めの休み時間に入ると、俺のクラスに雄太が顔色を青くしてやってきた。


 「真也。都古が見つからないんだ。」


 俺はこの時、雄太から聞き、初めてこの出来事を知った。

 俺たちのただ事ではない様子に気づき、すぐに勝も駆けつけてきた。

 俺たちは雄太に教えてくれたことへの礼を言うと、すぐに走り出した。

 都古のいる場所なら、だいたいの検討はつく。


 校舎と校庭から外れたところにある、"せせらぎの池”と名付けられた場所に、都古はいた。

 そこは薄暗く、遊具も何もないので近づく者はほとんどいない。

 ここにくるのは、池の世話を買って出ている都古と、それに付き合って一緒に掃除の手伝いをしている俺たちくらいのものだった。


 「見つけた。」


 足元の苔むした木のベンチに腰掛け、都古は独り涙を流していた。

 俺と勝は、都古を挟むように、両脇に座った。


 「都古。無茶し過ぎ。女の子なのに・・・・・。」


 俺が息を整えながらそう言うと、都古は首を横に振った。

 

 「無茶なんて全然できてない。雄太がつらい思いをする前に、止められたかもしれないのに。なにもできなかった。」


 言いながら、都古の小さな身体は震えていた。

 寒さからではない。

 こんなに小さな女の子が、担任・・・・それも大人の男を相手にこんな行動を起こすのは、どんなにか勇気がいっただろう。

 みんなの前で服を脱ぐことが、どれほど恐ろしかっただろう。

 自分で選んだ手段とはいえ、女の子がそんな姿を見られて傷つかない訳がない。

 俺の隣で、勝が悔しそうに顔をゆがませている。


 「ちくしょう。そんなこと言ったら、俺はどうすんだ。クソの役にも立ってねーだろが。」

 「勝と真也はクラスが違うんだ。何もおかしくなんか・・・」

 「だーかーら!『義を見てせざるは勇無きなり』って言うだろ。俺たちじゃない。他の連中でもない。お前だから・・・そこにいたのがお前だったから。お前が動いたから雄太は救われたんだよ。……さっき雄太言ってたぞ。今度都古に、妹見に来て欲しいってよ。」


 都古が泣き顔のまま、驚いた表情で勝を真っ直ぐに見つめ、小さく首をかしげた。


 「バーカ。もっと泣いてろ。」


 勝はそう言って、自分の胸に都古の顔をうずめさせる。

 都古は張り詰めていた糸が完全に切れたのか、声を上げて泣き始めた。


 「独りで泣くな。こんな時くらい、そばにいさせろよ。」


 俺は、勝の胸で泣く都古の頭を撫でながら、一言ずつゆっくりと言葉にした。

 都古の心に届くよう願いながら。

 俺の言葉に、都古は小さくうなずいた。



 次の日、都古は熱を出して学校を休んだ。

 前日の出来事が、都の心に大きな圧力をかけていたのだ。


 こんな出来事を繰り返し、自分の打たれ弱さを都古自身が誰よりも理解してなお、都古は人の痛みを見過ごすことを・・・・・自分の心に背を向けることをそれからも一度もしなかった。


 傷ついても、怖くて足が震えていても、絶対に後ろに下がったりしない。

 そして、心が苦しくなって限界になる度に、都古は独りで涙を流すのだ。

 俺たちがそれを見つけ、そばにいることはあっても、都古が自分から俺たちの前で泣き出すことはなかった。


 俺は、そんな泣き虫な都古が・・・・その泣き顔が案外嫌いじゃなかった。

 傷つくのがわかっていても、心のままあろうとする都古の涙を綺麗だと思ったんだ。

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