4話 「海の見える宿」 後編

「この部屋が、お客さまのお部屋になります! 料金は気にしないでください! まだいろいろ改装中ということで、全室同じ値段で以前の値段のまま、提供させてもらっていましゅから」

 後半噛んだようだが、アシュンはリアンたちを部屋に案内するころには、だいぶ落ち着いてきていた。

 宿の綺麗さに反して、それほど高くない宿代だった。

 アモスのおかげで、金には困らないこの一団にとっては、端金程度の金額だった。

 アシュンが、いそいそとドアのカギをエプロンのポケットから探す。

 必死さが伝わってくる素人っぽさが、実に危なっかしくて、ハラハラするリアンたち。


 リアンたちの荷物を、アシュンはいくつか抱えたままでいた。

 カギを開ける際も抱えたまんまで、見てて今にも落としそうで不安だった。

「なあ、お嬢さん、その荷物預かろうか?」

 大量の新聞や雑誌を手にしたバークが、見かねてそういう。

「平気平気、わたしの仕事なんですから」

 アシュンはハキハキとそういい、鍵穴にカギを刺そうと悪戦苦闘している。

 肩にかけた荷物が、本当に邪魔そうだった。

 なんだか、ここまで必死だと、逆に手伝うと悪いと思うようになってくる。

「荷物を床に、置いたらいいじゃない」

 アモスの言葉で、アシュンはようやく気づいたようなリアクションをする。

 舌を出して、申し訳なさそうな顔をしながら、アシュンは肩にかけていた荷物を床に置く。


「お客さんは調べ物ですか? そんなに新聞とか雑誌、借りちゃってますけど」

 部屋のカギをようやく開けたアシュンが、バークに尋ねる。

 途端にアシュンが、驚いたような声を上げる。

 何事かと驚くリアンたち。

「余計な詮索しちゃダメだった! すみませんっ! 今の質問は忘れてください!」

 やたら大きな声でそういい、アシュンは頭を何度も下げる。

「いや、別にそこまで謝らなくてもいいよ」

 バークがアシュンの謝り具合に、若干引き気味で落ち着かせる。

 なんだか感情表現が大げさで、些細なことにも真剣に取り組む少女なんだろうと、バークがアシュンを見て思う。


「これは単に俺の趣味というか、活字を読みたいだけなんだよ。あと、やっぱり情勢が情勢なだけに、情報収集は必須だからね」

 アシュンの疑問に、バークがそう応える。

「おお、情報収集は、確かに必要でしょうな。なんでしたら、キタカイで、発行された雑誌もありますよ。そちらも、あとでお持ちしましょうか?」

 ここで老人が、そんな提案をしてくれる。

 バークがよろこんで、その申し出を受ける。

「では、夕食とご一緒に、お持ちしますよ」

 老人が笑顔でそういってくれた。

「ありがとうございます、ええっと……」

 バークが、老人の名前を聞いていないことを思いだし口ごもる。

「ああ、まだ名乗っておりませんでしたな、失礼しました。わしは、ハイレル・トマルと申しますよ。お客さまからは、ハイレル爺さんと呼ばれておりますゆえ、皆さまもお気軽に、そう呼びつけてくだされ。で、この騒々しい娘の祖父っていうのは、フロントでお話ししましたっけか」

 ハイレル爺さんは、アシュンを指差して笑う。


「そういえば、ですけど……」

 アシュンがドアをゆっくり開けながら、考え込む。

「わたしたちって、毎日バタバタしてるから。今、国が戦争してるって実感が、まったくなくって……」

 多少、申し訳なさそうにアシュンがいう。

「いや、サイギンから来た俺らだって、そんなに実感ないよ。こんなご時世に、戦線の最前線みたいな場所に、観光だもんな」

 やや自嘲気味にいうバークを、アモスが不快そうな表情でにらむ。

「それは、あたしへの嫌味かぁ?」と、アモスがすごむ。

「んなわけないでしょ、みんなこの観光楽しみにしてたんだから。そうだろ?」

 バークがアートンにいう。

「そ、そうだな……」と、アートンがアモスを見もせずに肯定する。


「エンドールは融和政策執ってるようで、民衆に危害を加えるような感じじゃないからねぇ。クウィン要塞での総力戦で、多くの死者を双方出しましたからなぁ……。フォールも、クウィンでの敗戦以降、戦意が著しく下がっておるようですしな。村でも話題に出るのですが、キタカイもサイギン同様、近く降伏して、明け渡すともいわれておりますな」

 ハイレル爺さんが、そんな予想を口にする。

「情報収集は大事! これは、わたしたちみたいな、客商売の人間にも重要だって、村の偉い人がいってました。その時は、意味はよくわかんなかったけど……。なるほど、お客さんのいう通り、社会情勢は、きちんと調べておく必要がありそうですね。またひとつ勉強になりました!」

 アシュンが力強く、自分にいいきかせるようにいう。


 リアンたちが部屋に通される。

 廊下を抜けた広いリビングは、テーブルにソファーと最小限の家具しか置いてない、とてもシンプルな作りの部屋だった。

 意図的に質素な感じを演出していると、アシュンが設計プランを説明してくれた。

 部屋の奥はガラスドアが全面にあり、開放的なテラスに出られるような間取りになっていた。

 小さめのプールの存在も、テラスの隅には見える。

 テラスの手摺の向こうは丘になっているらしく、「転落だけは気をつけてください」とアシュンが説明。

 テラスから見える海もまた絶景だった。


「お爺さんにまで手伝ってもらって、すみませんね」

 アートンが、荷物をソファーの上に置いてくれたハイレル爺さんにいう。

「いいんですか? 漁の準備とかしなくて」

 アートンの心配に、ハイレル爺さんがカラカラと笑う。

「なぁに大丈夫ですよ、漁は午前中にすべて終わらせていますから。わしは、朝にだけ漁に出るんですよ。それも、今では道楽でやっているようなものですからな。この時間は、アシュンの補助がわしの仕事ですよ。村に来てくださるお客さんに、誠実な対応をするのも、無骨なわしのような人間にとっても、大事な修行ですからな。今後を見据え、わしも勉強しなきゃいけないことが多いですからなぁ。もし、いたらぬ点があったら、アシュン同様、ビシビシ指摘してくだされ。いわれぬと、わからぬことも多いかもしれんので、育成する気持ちでこき使ってくだされば、こちらも助かりますよ」

 けっこう重かったであろうアタッシュケースを、軽々と運んでいたハイレル爺さんは、案外この中の誰よりも、屈強な可能性があった

 漁師という職業で鍛えられたハイレル爺さんの肉体は、年齢を重ねたその顔とは違い、頑健そのものだった。


「とはいったものの……」

 ハイレル爺さんが、自分の容姿を姿見に映してため息をつく。

「まだ宿屋の人間として、自覚がないのでしょうな。服装を着替えてなくて、失礼しましたの。こんなむさ苦しい格好での接客、いまさらながら申し訳ない」

 漁師姿のハイレル爺さんが、恐縮したようにバークたちにいう。

「いや、予約もなしに来た、こちらも非常識な話しですよ。丁寧に対応してくれて、感謝してますよ」

 バークが逆に頭を下げて礼をいう。

「ほら、こういうこともあるんだから、いったでしょ? お爺ちゃんも、宿にいる時は、ちゃんと制服に、着替えるようにしないとダメだよ」

 アシュンが、部屋のカーテンを開けながらいう。


「ずっといってるのに、その格好のままなの。みなさんももっと、お爺ちゃんにいってあげてください。客商売は、見た目重視だって! そのごま塩髭も、客商売には失格なんだからね!」

 アシュンという少女が叱るようなことをいうが、ハイレル爺さんは孫から構ってもらって、うれしいような印象だった。

 漁師の格好をしたハイレル爺さんは、楽しそうにカラカラと笑う。

「すまんすまん、わしもまだまだ経験不足でなぁ。実際に現場に立つと、いろいろ不備が目立つ毎日ですわ」

 薄くなった頭頂部をペシペシたたきながら、ハイレル爺さんがいう。

 このふたりの家族としての関係は、すごく良好なようだなと、リアンは見ていて思う。

 サイギンで、家族間が最悪な宿を見たものだから、リアンはこの宿の家族関係を見るとなんだか安心する。

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