77話 「紳士な豚と賊」 前編

 ヨーベルが、フカフカのベッドの上で丸まって眠っていた。

 顔は真っ赤で、ムニャムニャとぐずりながら、親指をくわえて涎を垂らしている。

 僧衣はまだ着ており、どこにも乱れた様子は見られない。

 そんなヨーベルを、怪しげな影が覆う。

 怪しい手つきのネーブ主教が、下衆い笑顔でヨーベルを見下ろす。

 しかし……。

 不意に真顔になるネーブ。

 今までの下衆い表情が消え、ネーブの表情は歳相応のお爺さんになっている。


「う~む……。これは、失敗してしまいましたね。さすがに飲ませすぎましたか」

 いつもの下衆い狂人のような話し方ではなく、理性のある落ち着いた口調でネーブが話す。

 ネーブは片膝をかけていたベッドがらのそりと降りると、天蓋つきのベッドの上で、眠るヨーベルを眺める。

「これでは、何も楽しめないですね……。彼らには、クスリの量を控えるように、いっておきますか」

 眠りこけているヨーベルを見ながら、丁寧な口調だが下衆い内容を残念そうにいうネーブ。

 ネーブは大きくため息をつくと、首を大きく回し肩のコリをほぐす。

「仕方ありませんね。少し時間を置きますか……。楽しみは、後に取っておけばよいでしょう」


 ネーブはヨーベルから目を離し、奥にある浴室を眺める。

 そして僧衣を、乱暴に脱ぎながら浴室を目指す。

「風呂にでも入って、準備しておきますか。あの娘のおぼこい感じは、なかなか楽しめそうです。しばらくはミシャリさんに、いろいろ調教させていただきますか」

 紳士的な裏の顔をのぞかせたところで、ネーブという人物の、性欲旺盛さはそのままのようだった。

 ネーブが、大きな窓のそばを通りかかる。


 一方その窓の外では、かすかに動く人影とうめき声がしていた。

 僧兵の首に腕が巻きついて、ギリギリと締め上げられていた。

 僧兵は脱力し、そのまま気を失い、ゆっくり尻もちをつく。

 ゴロリと横たわった僧兵を見下ろすのは、汗だくのバークだった。

 バークは周囲をキョロキョロと見渡し、今締め落としたばかりの、僧兵の脇に手を入れると建物の生け垣まで引きずる。

 生垣の裏側には、すでに三人の僧兵が綺麗に整頓され伸びていた。

 バークは、同じように連れてきたばかりの僧兵を後ろ手で拘束し、銃器を奪い取る。

 奪った銃から手際よくカードリッジを取りだし、すぐそばにあった池に静かに沈める。

 そしてまた、ゆっくりと暗闇に紛れ、バークは残りの僧兵を探しに向かう。


「さっきので九人だな……。詰所の名簿によれば、あとひとりいるはずなんだがな。参ったな、どこにいるんだよ」

 バークはポケットから、敷地の入り口の詰所から盗んできた出勤名簿を取りだして、上から順番にペンで斜線を入れてチェックする。

 名前まではわからないが、今夜ここには十人の僧兵が、護衛についているようだった。

 さっき始末したので、九人目だったのだ。

 しかし、あとひとりがなかなか見つからないので、本命のネーブの寝室に乗り込めなかったのだ。


「仕方ない……。これ以上時間かけてられない、ここまでにしておくか」

 バークは最後のひとりを諦めて、一気に本丸に攻め込むつもりだった。

 詰所にいた、ふたりの門番役の僧兵を落としてから、けっこう時間が経ってしまっていた。

 あのふたりが目を覚ましたりしたら、侵入がすぐにバレて、ヨーベルの救出が不可能になってしまう。

 かなりリスクがあるが、最後のひとりは放っておいて、ヨーベルの元へ急ごうとバークは思った。

「ほんと悪いな、緊急事態なんだよ……。しっかし、ついていた、ドンピシャだな。俺の予想通りで助かったよ」

 ネーブならきっとヨーベルを、ここに連れ込むと予想したバークの考えは正しかった。


 バークは監視の少ない場所から敷地に潜入。

 その後本命とにらんだペンションの前で張り込んでいたのだ。

 しばらく待っていると、ネーブが手下を引き連れて黒い車に乗って市庁舎から帰ってきたのだ。

 その後、ペンション近辺を監視していた僧兵たちを、バークはひとりひとり締め落としていった。

 とても今、サイギンを金の力で動かしている重要人物の警備とは、思えないほどのザルさだったのだ。

 本命の、敷地内で一番大きなペンションをバークは観察している。

 灯りが漏れている大きな部屋がある。

「それじゃあ、本丸に取りかかりますか……」

 ネーブとヨーベル以外の人間が、建物内にいる可能性もあるが、ここはもう後に引けない。

 軽く上方を見上げると、市庁舎の巨大な姿が見える。


 バークの背後に、黒く蠢く影があった。

 しかしバークは、その影には気づかなかった。

 影は、隠密行動をするバークの屈んだ後ろ姿を、冷たい目でじっと追いかけていた。


「あのドアは……」

 建物の周囲を確認していたバークが、荷物でふさがれた勝手口らしきドアを発見する。

 すぐさまそこに向かい、バークは慎重に荷物を、ひとつひとつどけはじめる。

 すぐ近くにはネーブたちが乗ってきた車があった。

 荷物をどけて、ドアノブと荷物の間に、バークは身体が入るスペースを作る。

 ここなら死角になって、ドアの施錠作業も捗りそうだった。

「よし、この荷物で最後だな……」

 バークが、荷物を持ち上げて移動する。

 そこでバークは、人の気配を察知してしまう。


「飲みすぎたか、やけに小便が近いぜ。おいっ! 異変なんかないよな?」

 車の影から、突然大柄な僧兵が現れる。

 そして、バークと僧兵が遭遇してしまう。

「あ……」と、いうバークと僧兵。

「き、貴様! な、何者だっ!」

 僧兵がそう怒鳴り、腰につけていた銃を探すが、小便のためにホルスターを取っていたので見つからない。

 バークはその隙をついて、荷物を捨てて僧兵に飛びかかる。

 僧兵は飛びかかるバークの速さに驚くが、腰に装備していた小型のメイスを手に取る。

 しかし……。

「がふぁっ!」という僧兵の声と、鈍い打撃音が響く。

 ドサリと、僧兵が顔面から地面に倒れ込む。

 倒れた僧兵を驚いた表情で見て、バークは呆然と立ち尽くす。

 バークの足元に、僧兵が取り出した小型メイスが滑り込んでくる。


「ようっ! 惜しかったわねぇ」

 倒れた僧兵の後ろから、女の声が聞こえてバークがハッとする。

「あと少しで、ミッションコンプリートだったのにさ! あんたの動きならさぁ、こいつにも、気づくと思ったんだけどねぇ。やっぱ、詰めが甘いんじゃなぁい? あんたってさっ!」

 現れた女は、アモスだった。

 アモスは、バークにニヤリと笑い近づいてくる。

 僧兵を殴り倒した手頃な丸太を手に、アモスはポンポンとリズムを刻む。


「ア、アモス……? ど、どうしてお前が!」

 ここでバークが、アモスの存在を完全に認識して驚いて尋ねる。

「あたし、としてはねぇ。あんたが、ここまで強かったっていう事実に驚きよ。どぉこで、あんな体術身につけたの?」

 アモスが、下からのぞき込むような感じで訊いてくる。

「うむ……」

 アモスの疑惑を含む視線に、バークは思わず目を逸らしてしまう。

「ジャルダンで事務処理しかできない、しがないオジサンを演じてたのってぇ~。やっぱさぁ?」

 やけに小声になって、アモスが囁くように訊いてくる。

「なんかの、カムフラージュだったりするわけぇ?」

「おいおい、なんのことだよ……」

 アモスの言葉に、バークが慌てていうが言葉がつづかない。

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