57話 「喪失」 後編

「リアンくん、もう放っておきなって」

「え、そんな……」アモスの言葉に、リアンが力なくつぶやく。

「結構いいとこまでいったのにね。どうやら、あいつにとって“ 友達、学校 ”は地雷ワードだったらしいわね」

 アモスが、まるで愉しむかのようにリアンにいってきた。

「友達、学校? な、なんでそれが?」

 なぜそれが激昂の原因なのか、リアンには理解できないようだった。

「でも、このまま放っておくわけには……。ここまでしておいて、放りだすなんて……」

 リアンが、ヒロトが走り去った人混みを眺める。

 アモスの手は、まだリアンをつかんだままだった。

「ここまでしてあげた、って考えもあるよ」

 アモスがそんなことをいう。


「考えてご覧なさい、あのキモい連中から、縁を切ってやったってだけでも良くやったほうだわ。感謝されこそすれ、恨まれるなんて筋違いもいいことよ。仲間や友達欲しけりゃ、あいつが勝手にやればいいだけなんだからさ」

 アモスはそういって、もうヒロトを追いかけるつもりがないことを、リアンから感じて手を離してあげる。

「ヤツにとって地雷原である学校に戻ることはないでしょうけど、あの若さならいくらでも修正可能よ。それとも、テロリストに戻るかも、とか考えてる? 案外男知って、セックスが生き甲斐になるかもよ。それはそれで、幸せな生き方でもあるわよ、女にとってはね」

 リアンはアモスの言葉に突っ込みたいが、まだ若いリアンには、どう返答すればいいのかわからなくって戸惑う。


 言葉に窮していると、アモスが宿に帰ろうと提案してくる。

 約束してたレストランに、今から帰れば間に合うといってくる。

「気分を直して、美味しい料理でも食べりゃいいのよ。あの娘は、明日また機会があれば、話してやりゃいいじゃない。見たところ、リアンくんにならあの娘、いろいろ話しするみたいだしさ。今夜は激昂したけどさ、明日になったら落ち着いて話しもできるでしょうよ。リアンくん、彼女なんとかしたいんでしょ? その下地は完成したと思うわよ、あとはリアンくん次第でなんとかできるかもよ」

 リアンは不本意だったが、今はアモスのいう通りにするしかないのだろうかと悩む。

「もう、リアンくん、ヒロトのことで思い悩みすぎよ! 宿にはもう少しいるんだし、あたしらの観光プランに誘うなり、してやりゃいいじゃない。適度に構ってやってれば、そのうちまた心開くでしょ。その際には、学校の話題はタブーだけどね、アハハ」

 アモスがそう楽観的にいってくる。

 それを聞き、自分たちはまだ宿に滞在しているんだから、チャンスはあるかなとリアンはとりあえず思えるようになった。


 すると、目の前に見たことがある女性が現れる。

「あら、やっぱりリアンぼっちゃんとアモスさまですか」

 女性は、宿の従業員のオバチャンのひとりだった。

「ヒロトお嬢さまを、ひょっとしてお探しですか?」

「ヒロト、どこいったかわかります?」

 リアンが従業員に尋ねる。

「お嬢さまなら、市庁舎方面のバス停にいましたよ」

「市庁舎ですか……」

 リアンの中に少し不安がよぎるが、まさか彼女ひとりで、テロまがいのことをするとは思えなかった。


「あっれ~、リアンくんまさか追いかけちゃう? 楽しいディナーよりもヒロトを取るの?」

 アモスが何故か、ニヤニヤしながら訊いてくる。

「あっ!」

 するとリアンが、遠くの人混みの中に、ある人物を見つける。

 雑踏の中に、さっきのカチコミ時、アモスがぶん殴った青瓢箪のような男がいたのだ。

 貧相な男は、夢遊病者のようにフラフラと、人混みの中を漂って歩いていた。

「アハハ! あいつも、さっきの連中と仲違いでもしたのかしらね! 所詮、その程度の関係性だったのよ!」

 アモスが指を差して、バカにしたように大笑いする。


「笑い事じゃないよ、あの人、何かしでかしたら大変だよ……」

 リアンが、男のトボトボ歩く姿を見て不安そうにする。

「何もできゃしないわよ、あんな腰抜けには。どうせ家帰って、あたしのこと思いだしながらマスかくだけよ、泣きながらね」

 アモスが下品な手つきをして嘲笑し、「まぁっ!」と宿の従業員のオバチャンが驚く。

 怪訝な顔で、リアンはアモスを見る。

「ヒロトも、そのうち部屋に帰ってくるわよ。お腹が空いたら、家に食べに帰る健康優良不良少女だって話じゃない」

「そうなんでしょ? オバチャン」と、アモスが従業員に訊く。

「え、ええ、いちおうお部屋には、毎日帰ってこられているようで……」

「だってさ」

 アモスが、タバコの吸い殻を地面に捨てて踏み消す。


「ゴメン、アモス……。やっぱり、僕はヒロトを追いかけるよ。市庁舎の方面に、向かったかもしれないんでしょ? もしかしたら、本気で何かしでかすかもしれないから」

「それに……」と、リアンは、いいかけた言葉を飲み込んだ。

 それを見てアモスがニヤリと笑う。

「リアンくんがいけば、自暴自棄のヒロトも、考えを改めるかもしれないものね。照れることないわよ、結構漢らしい自惚れよ、リアンくんカッケー!」

 アモスの茶化すような言葉に赤面しかけるが、実際リアンは、ヒロトをなんとかできるような気がしたのだ。


「じゃあ、せっかくだから追いかけて、漢見せてちょうだいよ。レストランの件は、日を改めりゃいいだけだしさ」

 アモスが、ヒロトを追いかけることを許可してくれる。

「ありがとう、できるだけ頑張ってみる」

 リアンはそういうと、ヒロトが走り去った方向に駆けだそうとした。

 しかし、不意に足を止めるとアモスに向き直る。

「アモスは、あの人が変なことしないか見守ってよ! あの人も、自暴自棄で何か変なことするかもしれないよ」

 リアンが、憔悴しきった表情で歩く青瓢箪を指差して、アモスにお願いをする。

「変なこと? テロなんてしないでしょうね、だとしたら自殺か」

 自分でいって、アモスはうれしそうな顔になる。


「自殺するなら、させたらいいのよ。あんな醜男、生きてたって何も役に立たないでしょ。死にたいなら死なせとけばいいのよ、ククク。誰も困りはしないわよ、あんなゴミが消えたところで。親御さんも、穀潰しが消えたって大喜びよ」

 アモスは邪悪な笑いを浮かべながら、トボトボ歩く青瓢箪を見ていた。

 生きる意味を全否定されている青瓢箪は、放心してヒロト同様ゆっくりとさまよっていった。

「そんなこと、いわないであげてよ……。とにかく、追いかけて変なことしないか観察してよ。何かしようとしたら、さっきみたいに殴ってもいいから! 力尽くで止めてよ! きっとあの人は、アモスのいうことなら、なんでも聞くと思うし」

 リアンが必死にそういうと、アモスの返答を待つまでもなく、ヒロトの後を追いかける。

「じゃあ、頼んだよ!」

 そう大声でいうとリアンは、振り返ることなく人混みの中に消えていく。


 アモスは、何故かニコニコしながら手を振る。

「ふ~ん、意外と熱血な子なのね、リアンくんって。やっぱり、ヒロトのこと本気で気に入ったのかしらね」

 そんな下品なことを考えて、アモスは笑う。

「何があったのか知りませんが、何かヒロトお嬢さまとあったのですか?」

 不安そうに従業員のオバちゃんが聞いてくる。

「ま、そんなとこだけど、特に問題ないわよ。ガキがもうひとりぐらい増えたって、あたしら別に、どうってことないからさ」

「はい?」と、尋ねてくる従業員のオバチャン。

「いいの、いいの、こっちのこと」

 そういってアモスは、走っているリアンの後ろ姿を見ていた。


「まぁ、グダグダ拗ねるようなら、強引に部屋から引っ張りだせばいいわね。あの宿にいる限り、あのガキの人生、今からもう終わってるの確実なのよね。だったら、いっそのことよ」

 アモスはタバコをもう一本取りだし、火を点けながら例の青瓢箪を視線で追う。

 男は一軒の酒屋に入り、姿が店内に消えていた。

 ため息をつくと同時に、アモスは煙を吐きだす。

「リアンくんに、あの腰抜け野郎の面倒頼まれたけどさぁ……。さすがに、あっちはパスよね。勝手に、やりたいようにしとけって話しよ。いっそほんとに、すぐにでも死んでくれたほうがいいぐらいだわ。しょぼくれはさっさと死ね、生きてるだけで不愉快なんだよ」

 そう吐き捨てると、アモスは従業員の買い物の品を聞きながら、男を無視して宿方面に帰っていく。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る